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第12話 友里 2

月曜日の朝。友里は午後からバイトなので昼前に起きた。

幸いにも自分の身にあれから不可解な現象は起きていない。

「やっぱり幽霊とか祟りなんて気のせいなんだろうな」

そう思いながら朝のシャワーを浴びながら自分の手足を見る。

みみずばれの様に赤く刻まれていた跡はほとんど消えかけていた。

日曜日は取り乱してしまってバイトも休んでしまった。

今日行ったら店長やバイト仲間に謝っておかないと、と考えながらシャワーを止めると、バスタオルを巻いてバスルームから出た。

「お母さん、今日はバイト行くから」

キッチンで食器を洗っている母親に声をかける。

父親はもう仕事に出た後だ。

「あなたもう大丈夫なの?」

「うん」

「なんだか顔色も良くなったし安心したわ」

「ごめん、心配かけたね」

日曜日に瀬奈から伊佐山の叔父である霊媒師を紹介してくれると連絡があった。

あれのおかげでどれだけ気が楽になったことか。

二階に上がって時間を見ると十二時過ぎ。

ちょうど雅人は昼休みなのでLINEを送っておいた。

「今日はちょっと早めに行っておこうかな」

時間を見ながら髪をセットする。

「これからお昼を食べて行けば二時には着くかな」

支度を終えた友里が昼食をとりに行こうと立ち上がったときにインターホンが鳴った。

母親が応対している声が聞こえたかと思うと、友里を呼びながら二階へ上がってきた。

「友里、お客さん」

「えっ?私に?」

こんな時間に自分に来客とは誰だろう?綾香かなと思った。

「綾香?」

母親に聞くと首をふった。

「あなた、この前の夜に子供を保護したんですって?」

「えっ」

そう聞いた瞬間に全身の毛が逆立つような悪寒が走った。

母親には子供を保護したなんて話はしていない。

「その子のお母さんって方がお礼に見えてるの。なんだか若くて、あなたより年下なんじゃないかしら。それに凄い奇麗な人よ」

友里の体が小刻みに震え、上下の歯がガチガチとなり始めた。

「どうしたの!?」

「お母さん、その人家に入れたの?」

「いいえ……まだ外だけど……」

「入れないで!絶対に入れないで!!」

「ちょっとどうしたのよ!?せっかくお礼にいらしてるのに」

「断って!私はいないとかなんとか言って!!」

困惑する母親を追い出すように部屋から出すと、友里の脳裏にあの日の夜遭遇した佳奈美という子供のことが恐怖と共に鮮明によみがえった。

あのとき佳奈美が言っていたこと。

「お母さんもすぐに来るよ」

それが来たのだ。


でも幽霊が昼からインターホンを押してくるなんてありえるのだろうか?と、友里は思った。

もしかしてあれは本当に自分の錯覚で、佳奈美という子は普通の子供だったのではないだろうか?

だとすると、あの日の自分は取り乱して蹴飛ばしてまで佳奈美から逃げたことになる。

もし佳奈美が幽霊でないならお礼なんて言われる立場ではないのだ。

では、その母親という女はいったい何をしに自分の家に来たのだろう?

考えを巡らせていた友里は下が静かなことに気が付いた。

「お母さん、上手く断ってくれたのかな?」

母親がインターホンでなにか話したような声は聞こえなかった。

しかし誰かが家に上がってきた気配もない。

きっと断ったのだろう。

「バイトどうしよう……?」

またわけのわからない理由で休むわけにもいかない。


恐る恐る窓の端から外を見てみる。

家の前には誰もいない。

家に上がるのを断っても外に待っていられたら気持ち悪いが、ここから見る限りではそれらしい人影は見えなかった。

「大丈夫なのかな……」

部屋の中で呼吸を整える。

それにしても下が静かなのが気になった。

「お母さん」

呼びながら下に降りる。

階段を降りて玄関を見るとドアは閉まったままで、家の者以外の履物はない。

誰も家に入れていないことに安堵した友里は妙な空気に気が付いた。

「なにこれ……?」

纏わりつくような、ものすごい湿気。

そしてさっき自分が下にいたときよりも空気が冷たい。

「お母さん?」

リビングに入ると母親がソファーに項垂れて座っていた。

「お母さん……どうしたの?」

肩に触れると、母親はそのまま横に倒れた。

「お母さん!!」

母親の顔は口を半開きにして目は虚空を見つめ、焦点が定まっていないように見えた。

「お母さん!どうしたの?お母さん!」

揺すっても叫んでも母親は反応しない。

「なに?なんなの?どうしたの?」

友里が大声を出したときにソファーの陰から子供がクスクスと笑う声が聞こえた。

「ぎゃああああ――!」

友里はソファーから飛びのくように床にしりもちをついた。

ソファーの陰には、あの佳奈美が床に座りながら肩を揺らして笑っている。

佳奈美は最初に見たときと同じように愛くるしい顔を友里に向けた。

「あ、あ、あなた、なにしてるの!?どうやって入ってきたの!?」

「家においでって言ったのはお姉ちゃんだよ」

佳奈美は笑顔で言うと立ち上がった。

「だから来たの。あの夜から私、ずっとこの家にいたよ」

「な、なにを言ってるの!どこにいたの!おかしいんじゃないの!」

ここにいてはいけないと友里の本能が告げていた。

佳奈美が幽霊か人間かというのは、この際どうでもいい。

とにかくここにいてはいけないのだと直感した友里は力を振り絞って立ち上がると、リビングから玄関に向かって駆け出した。

が、廊下に出た瞬間に脚が止まってしまった。

「あああ……」

玄関のドアが少し開いている。

そしてその隙間の向こうが真っ暗なのだ。

今は昼で、さっき外を見たときだって太陽の光は燦々と降り注いでいた。

それなのに夜の様に隙間から見える外が暗いのだ。

廊下の電気がパチパチと点滅すると、玄関の外から腐臭が家の中に侵入してきた。

腐臭と共に悪寒が足下から這い上がるように全身に広がる。

肌は泡立ち、冷たい汗が止めどなく噴き出した。

「佳奈美を保護してくれてありがとうございました」

「ひいいっ……」

外の暗闇から背筋が凍りつくような声が聞こえた。

その声を聴いた瞬間、鼓動が体の内に響くように動悸が激しくなり胸が押しつぶされそうな圧迫と、血管が急速に縮まるような感覚に襲われた。

「お母さん」

佳奈美の声が友里の耳に入った。

友里は体の震えが止まらなくなり、その場に立っていることすらできなくなってへたりこんだ。

ドアの隙間から素足が覗くと腐臭が増してきて胃液がこみ上げる。

どす黒く変色したボロボロの着物に、ぬらぬらと光る長い黒髪。

髪の先からは赤黒い血が、体からは白いウジ虫がぼたぼたと落ちてきた。

「来ないで…!!いや!!来ないで!!」

恐怖で心臓が押しつぶされそうになりながらも友里が叫ぶ。

「な、なんなの!?なんで、わ、私の家に来るの!?」

「先に私の家に来たのはあなた。私を呼んだのもあなた」

佳奈美の母親は冷たい声で言うとゆっくりと顔を上げた。

その顔を見た瞬間、友里の心が想像を絶する恐怖と絶望に支配された。

「ああああ――……」

友里が子供の様に泣き出すと玄関のドアがバタンと閉まった。

家の外では夏の日差しが燦々と照り付けて、空気を圧するような暑さの中で無数の蝉の声が鳴り響いていた。



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