日曜日。家の居間で転寝をしている夢を見ていた。
どこか古い家で私が気持ちよさそうに寝ている。
この家はどこだろう?見たことがない。
庭に面した大きな窓がわずかに開いていて風が吹き込んでくるのが心地良い。
すると見たこともない着物姿の男が音もたてずに庭から侵入してきた。
年の頃は30歳くらい。誰だろう?この男は。
どこか狂気をはらんだような目が寝ている私をのぞき込む。荒い息遣いをまるで現実のようにはっきりと感じる。
気が付いた私は驚いて声も出ずに、ただ後退りするだけだった。
見ず知らずの男が私の口を押えるように手を伸ばしたところで目が覚めた。
なんだろう?今の夢は?友里や綾香が言っていた誘拐の夢かもしれない。
昨日の晩に友里が幽霊だ祟りだと言っていたのを聞かされて、それで意識して夢を見たのかも。
こういうことは一度気になるときりがない。
まずはシャワーでも浴びて気持ちと頭をスッキリさせようと思った。
午前中に綾香と連絡を取り合ってから友里の家へ行った。
友里のお母さんに会うのは久しぶりなので、挨拶をすると驚いたあとに喜んでくれた。 ただ友里のお母さんの表情は暗く、不安を抱えているように感じた。
「わざわざごめんなさいね」 友里のお母さんは申し訳なさそうに頭を下げると、私と綾香を部屋に案内してくれた。
「友里、瀬奈さんと綾香さんがお見舞いに来てくれたわよ」 ドアをノックして開けると、涼しいを通り越した冷たい空気が廊下にいた私たちを包んだ。
「友里、雨戸くらい開けなさい。もう昼近いんだから」 お母さんが声をかけても友里からの返事は聞こえなかった。 ため息をついたお母さんは、私たちに「どうぞ」と言いながら促した。
「友里、入るわよ」 「お邪魔するね」 私たちはベッドの上に座り込んでいる友里に声をかけると部屋の中へ入った。
エアコンが効き過ぎているせいか、寒さすら感じる部屋の中で長袖のパーカーにジャージを穿いている友里の姿は異様に見えた。
「綾香、瀬奈、来てくれてありがとう……」 顔を上げた友里は目の下にくまができて、憔悴しきっているように見えた。
「友里、あんたどうしたのよ!?」
「あなたたち平気なの?」 「平気って「蛇餓魅」のこと?」 友里がしきりにLINEで訴えていた「蛇餓魅」の祟り。
しかし私には祟りと言えるような兆候はなかった。
「私はなんともないわよ……」 あるとしたら、あの侵入者の夢だ。 でもあれが霊的なものとは思えない。
綾香も首を振った。
「そうなんだ……」
「ねえ、なにがあったの?友里、教えてよ」 綾香が聞くと友里は間を置いてから話し始めた。
土曜日の夜、つまり私たちが例の家へ行った翌日に子供の幽霊に遭遇したことを。
私も綾香もにわかには信じられないが、友里の様子を見ているとそうも言っていられない。
「それ、雅人さんには話したの?」
「ううん……錯覚かなんかだろうって笑われると思うから言ってない」 私の問いに友里は苦笑いを浮かべながら答えた。
「たしかに時間が経ってから考えてみると記憶が曖昧なの……どんなふうだったとか、そういうのが靄がかかったみたいにはっきり思い出せなくて……」
「なら……なにかの間違いなんじゃない?」 綾香が優しい口調で友里の肩に手を添えた。
「私もそう思ったの……現に、いつの間にか寝てしまって、起きたらほとんど忘れていたの……なんか怖い思いをしたなってくらいに自分の中ではなっていて」 そこまで話してから友里は小刻みに震えだした。
「どうしたの……?」 私が聞くと友里はパーカーの袖をまくって腕を見せた。
「ああっ!」 「き、傷!?」
私と綾香は思わず声を上げた。 友里の腕にはなにか引っ掻いたような傷跡が赤く残っている。
「ここだけじゃない、脚にも背中にもあるの……朝起きたらできてたの!!」
「そんなこと……」 寝ている間に自分でかいたのかもしれない。
「頭がおかしいとか思ってるんでしょう!?私のこと!」
半信半疑な私のことを見た友里が大きな声を出した。
「友里、瀬奈はそんなこと言ってないよ」 綾香が宥めるように静かに言う。
「ごめんなさい……私怖くて」 友里は泣き出してしまった。
私も綾香も困り果ててしまった。
私はふと疑問を抱いたのだが、ここで話しても友里を怖がらせるだけだと思い口にするのを止めた。 代わりにあることを思い出したので、そのことを言ってみた。
「ねえ、伊佐山君の叔父さんが霊能者なんだって。相談してみない?」
「えっ!そうなの!?」 友里が驚いたように顔を上げた。
「私たちじゃなにもできないけど、そういう専門家なら力になってくれるよ」 綾香が励ますように言う。
「綾香、瀬奈、ありがとう……!!」 友里は声を震わせながら言った。
それから少し話をしたあとに友里に綾香が言った。 「あとでお守り持ってくるよ」
「ほんと?ありがとう」
私たちと話していて友里は気分が落ち着いたのか、少し休むと言って横になった。
私と綾香は友里のお母さんに挨拶すると、おいとました。
綾香と二人で前に行ったファーストフード店に入って少し話すことにした。
「どう思う?瀬奈」 綾香が深刻な顔で聞く。
「そうだね……実際どうなんだろう?こういうの初めてだし、正直わからないっていうか……」
いくら真剣に言われても、あの傷跡を見ても、これが霊の仕業と思うことはまだできなかった。
だが綾香は私とは違う捉え方をしていた。
「友里が言ってた子供の話。あれは幻覚とかそういうのとは違う気がするんだよね……」 たしかに見間違いとかで済む話ではない。
でもなあ……
「瀬奈は信じられない?」
「どうだろう……ただ、わからないことがあって」
「なあに?」
「蛇餓魅って人さらいの幽霊でしょ?なんで友里は子供の幽霊を蛇餓魅って言ってたんだろう?」
「それはあの家に入ったからよ。だからそう思ったんでしょ」
「でも私たちはなにもないよ」 私が言うと綾香は口を結んで押し黙った。
「どうしたの……?」 綾香はなにか思い詰めたような表情を見せると口を開いた。
「気のせいかもしれないけど……少し感じるの」
「なにを?」
「誰かに見られてるような……側にいるみたいな……」
「いつから?」
「金曜日……カラオケから帰るときから。最初は気にしないようにしたけど、友里の様子を見たらもしかしてなんて思えてきて」
家に行った日だ。 私はどうだろう?綾香みたいに「なにか」を感じただろうか? ……ない。
思いあたるといえば変な夢くらいだ。
「私は変な夢見たくらい……なんだかリビングで寝てたら庭先から男が入ってくるの」
「ねえ、伊佐山君の叔父さんに本当に頼んでみるの?」
「うん。まず伊佐山君に話してお願いしてみる。友里が元気になるなら」
友里を安心させたいために伊佐山君の名前を使ったが、今となっては少々気が重かった。
伊佐山君の叔父さんだって「仕事」としてそういうことをしてるわけだし…… 私が話すことを聞いて、伊佐山君はどう感じるだろうか?迷惑にならないだろうか? でも話すしかない。 とにかくありのままを話して聞いてもらおう。
「実はね、今日の夕方に伊佐山君と会うの。そのときに話してみるよ」
「そうなの!?いつの間によりもどしたの!?」 綾香は驚いたように口に手をあてた。
「そんなんじゃないって!ただ、前みたいに話すようになっただけ」 私は手を振って否定した。
「それで叔父さんが霊媒師とか知ってたわけね」
「そうなんだ。とりあえず私はお守り買いに行ってくるよ」
「私も行く」
「えっ、だって夕方から伊佐山君に会うんだから」
「まだ昼だよ。時間あるって」
「そっか!じゃあ行こっか!」 私と綾香はそう決めるとすぐにファーストフード店を出て神社に向かった。
目的地の神社は、そのまま国道を山の方に向かって道なりに歩き、約30分。 国道沿いにある大きな赤鳥居をくぐって参道を歩いた。
境内には何人か参拝に訪れた人が二本の大きな銀杏の木をバックに記念撮影している。
「あれ、樹齢一千年なんだって」
「そうなんだ……」 周りを見渡すと他にも銀杏の木がたくさんある。
神社は森に囲まれていて厳かな空気に包まれていた。
二人でお賽銭を投げてお祈りしてから売店でお守りを買った。
「私、自分の分も買っておこう。瀬奈も買っておいた方が良いよ」 綾香がそう言うので私も購入した。
「さっ!友里に渡しに行こう!」 綾香は元気良く言うと私の先を歩きだした。
私は先に歩く綾香の背中を見て、ふと疑問が湧いた。
綾香は私より友里の言うことを信じている。
それは何故だろう?付き合ってきた時間の長さだろうか?
「綾香」 と、私が呼び止めると綾香はくるっと振り向いて「タクシーで行かない?汗だくだよ」と笑顔で言った。
神社の入口横にはタクシー乗り場と駐車場があり、二人でタクシーを待つことにした。
周りからは私たちを包むように四方から蝉の声がする。
「ねえ綾香」
「なあに?」
「綾香は友里の言ってることを私より信じてるみたいだけどどうして?友達だから?」 綾香は私の顔をじっと見てから首を振った。
「普段なら私も信じないと思うよ……いくら付き合い長いからって」 綾香は苦笑いしてから、急に暗い顔をする。
「でもね……瀬奈さあ、あの家に行ったときに一階で話し声がしたって言ったじゃない」
「うん」 二階にいた生徒を発見して家を出ようというときに聞こえた。
「誰もいなかったけどね」 私が言うと綾香が首を振る。 「あれ、私も聞こえたの……たぶん、女子生徒の一人も」 「えっ……」
「友里たちは聞こえてなかったと思う……反応なかったし」
「でも、あのとき誰も声が聞こえたなんて言わなかったじゃない」
「空見だと思ったし……言うのも怖かったし……聞こえてないって言う方にあわせちゃったの……」
「だからって……」 それだけで祟りなんて信じてしまうのかと思った。
「わかってる……それくらいでいたずらに怖がらない方がいいっていうのは。でもね……」
綾香は周りを見て誰もいないのを確認してから、おもむろにTシャツの裾を捲りあげた。
「あっ!!」
私は思わず口に手をあてた。
綾香の白いお腹には友里と同じ引っ掻いたような傷跡が赤々と刻まれていた。