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第8話 友里

金曜の夜から雅人と一緒にいた友里が家に帰ったのは土曜日の夜9時頃だった。

雅人と付き合いだして一年になるが、向こうが空いてるときはだいたい週末は一緒に過ごす。ただ、仕事もしていないで実家に厄介になっている身分としては泊りは一日くらいにしておかないと両親からあれこれうっとおしいことを言われてしまう。

なので雅人に送ってもらうときも家の前ではなく、側にある大通りまでにしてもらっている。

 友里自身は夜に男に送られてくることは気にもしないのだが、近所の人間はそうはいかない。

世代が違えば価値観も違う。夜に男に送られて帰ってくると変に尾ひれがついて両親に伝わってしまう。それが煩わしかった。

「ここでいいよ」友里が言うと雅人は車を止めた。

「気を付けてね」

「ああ。家に着いたら電話するよ」

友里が微笑んで手を振ると、笑顔を返した雅人は車を出した。

もう一度手を振ってから歩き出す。

 この大通りを少し歩いて曲がると友里の家のある住宅街に入る。歩いて五分もかからない距離だ。

一人家に向かう友里は内心不安を抱えていた。不安といっても一つは冗談みたいなものなのだが。

 その一つは雅人との関係だった。雅人は自分と結婚する気はあるのだろうか?お互いに好きというのは実感しているが、雅人から結婚を意識させるような話題はふられたことがない。

最近は両親も結婚のことを口にするし、歳の近い知り合いも何人か結婚した。

なにより友里自身が二十代で子供が欲しいと思っている。どうせ母親になるのなら「若い母親」に憧れる。

将来は友達のような親子関係を築きたいと思っているからだ。

それには自分の年齢を考えるとうかうかとはしていられない。しかし、あまりがっつくと雅人に引かれてしまうのではと思うとつい遠回しに言ってしまう。

それが雅人に通じているかと思うと甚だ自信がない。

それにもし雅人にその気がなかったらどうしよう?自分たちの関係は終わってしまう。それも不安だった。

 そしてもう一つの不安は瀬奈だった。東京へ行く前から瀬奈は美人だったと思う。それが東京から戻ってきた瀬奈は、自分の側にいる人間とは全然違った雰囲気を持っていて、洗練されていた。

身に着けているものや服のセンス、メイクといい「東京の人間」を感じさせる。

ようするに田舎の生活感がないのだ。

そんな女生と雅人を酔った勢いとはいえ会わせてしまった。

雅人はずっとこの町に住んでいる自分と東京から来た瀬奈を比較しないだろうか?比較して自分に幻滅しないだろうか?

そんな不安が小さいながらも芽生えてしまった。

 これは瀬奈に問題があるというのではなく、そんなことが気になってしまう自分自身の問題だと友里もわかっていた。

「これもさっさと決めない雅人が悪いんだ」と、歩きながら毒づいたときだった。妙な気配を感じて後ろを振り向く。

 行き交う車のヘッドライトと街灯に照らされた通りを見るが自分の後ろには人影は見えない。

誰か……というより「なにか」が後をついてくるような気がした。街灯の明かりの及ばない影に何かを感じる。

友里の背筋を冷たいものが走ったときに前からコンビニ袋らしきものを持った人が歩いてくるのが見えた。

内心ほっとした友里は後ろを気にしないように歩き出した。

コンビニの袋を下げた人は男性で電話しながら歩いている。すれ違うと大通りを曲がるところにきた。

ここを曲がると友里の家まで50メートルだが一気に明かりは心細くなる。

後ろを見るとさっき感じた気配はもうない。

変質者かなにかにつけられたのかと思ったが気のせいだったみたいだと安心して歩き出した。

 怖いといえば、例の家に行った夜の雅人といったらなかった。雅人があんなにうなされるなんて初めて見た。

もしかして内心ではとても怖がっていて、夢に見たのだろうかと思うと心配した半面おかしくなってくる。

ぺたぺたぺた……「えっ」後ろから誰か歩いてきたような音がした。

しかし後ろを見るとさっきと同じように人影はない。

「なによ……気持ち悪い」気にしないで家まで急いで帰ることにした友里は脚を速める。

 急ぎ足で歩いていると、家のすぐ手前にある小さな公園にさしかかった。

公園といっても小さな敷地に滑り台と動物を模した遊具が二つあるだけのものだ。そこから子供の泣き声がする。

見ると滑り台に女の子が一人、小さな背中を丸めて泣いているではないか。近くには誰もいない。

こんな時間に女の子が一人で泣いているなんていうのはどう考えてもおかしかった。

今さっきまで感じていた気持ち悪さよりも子供への心配が勝った友里は声をかけながら公園に入った。

「どうしたの?」女の子は泣いているだけで答えない。

なおも近付くと泣いている女の子は5、6歳といったところだろうか。黒い髪を三つ編みにしている。

「ねえ、どうしたの?」そばに寄った友里が小さな肩に手を添えて聞いた。

ようやく顔を上げた女の子は、ふっくらとして大きな目にきれいな目鼻立ちをした人形のように愛らしい顔をしていた。

「怪我でもしたの?」女の子は首をふる。

「お母さんやお父さんはどうしたの?お家に帰らないの?」そう聞くと女の子は顔を伏せて泣くばかりで何も答えない。

「お家はどこ?お姉ちゃんが送って行ってあげようか?」女の子が顔を伏せながらうなずいた。

「じゃあ行こうか」友里は女の子の手をとったときにぎょっとした。腕にいくつも痣や傷がある。脚にもだ。真っ白な肌に刻まれている分、より鮮明に際立つ。

「えっ……これどうしたの?」女の子は引き攣ったような表情をして答えない。

これは虐待だろうと友里は思った。だとしたらこの子をこのまま家に帰すわけにはいかなくなる。

こういうときはどうしたらいい?と、友里は自問した。

「警察に電話しなきゃあ」

ポケットからスマホを取り出してから思い当たってまたしまった。

警察に電話しても、この子を親が探していたらどうなる?ここに現れないという保証はない。

警察が来るまで時間がかかったら自分だってなにをされるかわかったものじゃない。

危機感を感じた友里は自分の家に連れて行ってから警察に通報しようと決めた。

「お姉ちゃんの家に行こうか?なにか美味しいもの食べよう?」

「うん」女の子は満面の笑みを見せた。それがまたなんと可愛らしい顔だろう。

友里は一瞬でこの子が好きになった。

人を虜にするようなこの笑顔。自分もこんな愛らしい子供が欲しいと思った。

女の子の手を引いて歩き出す友里は、公園を出て家に着くまでのわずかな間に女の子に話しかけた。

「ねえ、あなたのお名前はなんていうの?」

「佳奈美」

「へ~かなみちゃんか。いい名前だね!で、かなみちゃんは」話しながら女の子、佳奈美の方を見た友里は絶叫した。

「ぎゃあああああ――っ!」自分が握っていた佳奈美の小さく細い腕は土色に腐っていて、皮膚からウジ虫が這い出てきている。

ものすごい腐臭が嘔吐を催す。

「早く連れて行ってよ……お姉ちゃんの家に。お母さんもすぐに来るよ」顔を俯かせた佳奈美が背筋も凍るような声を出した。

「いやいや!!離せ!!」

手を振りほどこうとするが佳奈美は凄まじい力で友里の手を握ってはなさない。

「離せ!離せ!離せ!!」

死に物狂いで佳奈美を蹴飛ばし、叩き、無我夢中で手を振りほどくと悲鳴をあげながら一目散に家まで走った。

家の前に着くと、ドアを思い切り叩きながら鍵を出すが焦ってなかなか挿せない。

「お姉ちゃあ~ん」後ろの方から腐臭と共に自分を呼ぶ佳奈美の声が聞こえる。

「イヤだ!!くるくる!!早く開けて!!」

「どうしたの友里?」ドアが開くと驚いたように母親が友里を見た。

友里はとにかく玄関に飛び込むと「早く閉めて!」と叫んだ。

「どうしたのよ?」母親が不審に思って外を覗こうとするのを必死に制した。

「ダメよ!開けたら!」

「なに!?どうしたの!?」

「で、でたの」

「でたってなに?」

「幽霊よ!幽霊!」

「なに言ってるの?この子は」

「ほんとうなんだって!女の子の幽霊!」

「大丈夫なの友里?」

取り乱す友里とは対照的に母親は半ば呆れ顔だった。

「そんなもんいるわけないでしょう」母親は呆れてドアを開ける。

「お母さん!」母親は外に出ると家の前の通りの左右を確認した。

「見なさい。なんにもいないわよ」笑ながら言う。

友里は恐る恐る外に出て子供のように母親にすがりつきながら夜の暗い通りを見た。

なにもいない。

「あなた酔っぱらってるの?」母親が首をかしげる。

友里は安心すると同時に腑に落ちないものがあった。

 部屋に入ると友里は窓のカギを確認してからカーテンを閉めようとしたが、一旦窓を開けてから外を見ないようにして一気に雨戸を閉めて鍵をかけ、カーテンを閉めた。

部屋の電気はとても消す気になれない。

たしかに外を見たときに佳奈美の姿は全く見えなかった。

すぐそこまで追ってきていたと思ったのに、あの強烈な腐臭も跡形もなかった。

あれは幻覚だったのだろうか?しかし友里にはあれがとても幻覚には思えなかった。では幻覚でなければなんなのか?

幽霊……?幽霊だとしたらどうして自分にあんな幽霊が寄ってきたんだろう?あそこの公園で何か事故なんてあったっけ?と、友里はめまぐるしく考える。

思い当たるとしたら例の家に行ったことだ。あの「蛇餓魅」の曰くがつく家。

でも「蛇餓魅」は男の人さらいのはずで、あんな子供じゃない。

恐ろしくなった友里は雅人に電話をした。

「もしもし雅人!」

「おお。もう家に着いたのか?」

「うん……それでね……」さっきのことを話そうとして友里は思い止まった。

さっきの母親の反応を思い出す。こんなことを話したら笑われる、というよりおかしいと思われると思ったからだ。

「あ~…雅人さあ、昨日の夜うなされてたじゃない?あれってなんだったのかなって思って」

「えっ……ああ~なんか夢見たと思うんだけど思い出せないんだよな」

電話の向こうで雅人は笑って言った。

「今は何ともないの?」

「今?なんで?」

「幽霊なんじゃない?あの家に行ったから「おとないさん」がついてきちゃったとか」

雅人は自分と同じようなものを見たのだろうか?

友里はそれが気になった。

「バカ言うなよ。そんなもんありえないって」

「そうだよね!うん!そうそう!」

「おまえ、どうかした?」

「ううん。なんか夜になって思い出したから」

どうやら雅人には何もないらしい。

なら自分も大丈夫だろうと友里は思った。

自分はノイローゼかなにかなんだろうか?さっきのはどうしても幻覚とは思えない。

しかし、この世にあんなものがいるわけもないと思うと、やはり幻覚なのだろうと友里は自分を納得させた。





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