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第7話 雅人

瀬奈たちとカラオケに行ったあと、友里は雅人の部屋に泊まった。

雅人が目を覚ましたのは夜が明ける直前の午前二時を過ぎた頃だった。

目が覚めたとき、冷房をかけているのにびっしょりと汗をかいていることに気がついた。

「なんだこれ……」

顔の汗を拭った。

なにか恐ろしい夢を見た気がするが、それがどういう夢なのか思い出せない。

ふと横を見ると隣に寝ているはずの友里の姿がない。

トイレか何かだろうと思った雅人は部屋の雰囲気がいつもと違うことに気がついた。

部屋の雰囲気というより空気と言った方がいいかもしれない。

淀み、重く、じめっとした空気。

息苦しささえ感じる。

雅人はリモコンを手にとると冷房から除湿に切替えた。

これですっきりするだろうと思うと今度は喉が渇いてきた。

喉の渇きを潤すため、ベッドから起きるとキッチンへ向かう。

冷蔵庫にあったミネラルウォーターをラッパ飲みしたときだった。

顔のあたりを風がふわっと撫でた。

玄関の方を見るとドアがわずかに開いている。

「あれ?閉め忘れたか?」

友里たちは飲んでいたが、自分は車の運転があったのでアルコールは一切口にしていない。

だから記憶もしっかりしている。ドアを閉め忘れたりといったようなことはなかったはずだと雅人は思った。

もしかして友里が外に出て閉め忘れたのだろうかと考える。

この寝苦しさだから外になにか買いに行ったのかと思ったが、よく考えたら自分たちはここに来る前にコンビニで飲み物を買っているはず。

その飲み物はこうして冷蔵庫の中にある。

するとこんな時間にどこにいったのだろう?不審に思った雅人だったが、それも一瞬。

頭の中の半分以上はまだ眠気があるために考えを打ち切り、玄関のドアを閉めた。

この町は自分の知る限り治安は最高にいい。

事件らしい事件もない。

最近でも思い当たるのは、友里たちが話していた高校生の失踪後の自殺と、その家族の自殺くらいだ。

鍵さえかけてなければ戻ってきても家に入れないことはないから大丈夫だろう……さあ寝ようとベッドへ戻ったときに異様な臭いが鼻についた。

「なんだこれ……?」

まるでなにかが腐ったような強烈な異臭。

キイ…

玄関の方でドアが開く音がした。

「友里、どこいってたんだよ」

雅人が声を掛けるが返事はない。

不審に思った雅人はベッドから降りると玄関の方へ行った。

「うっ……」

さっきよりも息苦しくなっている。

重くじめっとした空気がまるでまとわりつくような濃密さを感じた。

「友里、なにしてんだよ?」

ドアはわずかに開いているが人影はない。

僅かに開いた隙間は、まるで黒く塗りつぶしたように真っ暗闇だ。

廊下の照明はいつも点いているはずだからこんなに暗くなるわけがない。

照明の電気が切れてしまったのか?

いや、仮に切れていても廊下には各部屋の分だけ天井に照明が付いている。

少しは明かりがさすはずだ。

全部が一斉に消えるなんてありえないだろう?

停電でないことはエアコンが作動しているからわかる。

完全に眠気は覚めた。

代わりになにかがじわりじわりと忍び寄るような恐怖を感じていた。

それはまとわりつくような空気なのか?

この酷い悪臭なのか?

動悸は増してきて胸が圧迫され息苦しくなり、手足から汗が噴き出していた。

「友里!」

さっきよりも大きな声で呼ぶが闇は応えない。

「早くドアを閉めないと!」

雅人は本能的にあのドアを開けていてはいけないと感じた。

しかし体が動かない。

「あのドアを開けていてはいけない」という警報が本能から発せられている一方で、「あの暗闇に近付いてはいけない」という相反する警報が体中の器官をとおして発せられている。

こうなっては雅人は恐怖に震えながら立ち竦んでいることしかできなかった。

「ヤバイ……!ヤバイ!ヤバイ!!」

うわ言を呻くように言葉が漏れた。

そのときドアの隙間にできた暗闇の端に脚が現れた。

「ああっ!!」

雅人が叫ぶ。

隙間の片隅に見える脚は裸足で、肌は土色にくすみとても生きている人間のものとは思えない。

死霊の足だ。

その脚の上に雅人の視線が移っていく。

見てはいけない!見たくない!そう思っても目を閉じることもできずに自分の意志とは関係なしに見てしまう。

裾が膝のあたりまでボロボロに朽ちた着物はどす黒い染みで汚れていて、これが血によるものだとすぐにわかった。

その上についている顔はだらんと首を垂れていて、長い黒髪がぬらぬらと光っている。

その毛先からぽたぽたと足下に黒い雫が垂れ、耐えがたい腐臭はいよいよ強くなってきた。

「ええ……」

さらに雅人の目に映ったのは土地色の脚から真っ白いウジ虫がにょろにょろと這い出てくる。

それが血の雫と一緒に地面にぼたぼた落ちてくるのだ。

「ひっひっひっ……」

雅人はいつの間にか泣いていた。

恐怖のあまりしゃくりあげ言葉すら発せない。

「なんでこんな奴がおれのところへ!?あの家に入ったからか!?あれマジだったのか!?」

雅人が必死に考えを巡らしている最中にドアの隙間に佇む女が垂れていた首をゆっくりと上げ始めた。

「イヤだ!イヤだ!……見たくない!!」

心の中で発狂しそうなほど叫んでも目は閉じれず逃げることもできず、哀れに震えて泣くしかできない。

「イヤだあああ―――ッ!!!」

女が顔を上げた瞬間、そのおぞましい顔を目の当たりにした雅人は狂気を爆発させたような叫び声をあげた。

「雅人!雅人!!」

「うわあっ!!」

跳ね起きた雅人はベッドの上だった。

すぐ横に心配そうに自分を見つめる友里の顔がある。

「ええ……あれ?」

「びっくりしたよ……うなされて痙攣してんだもん」

「俺が……?っていうか友里、おまえどこいってたの?」

「はあ?ずっといたよ」

友里が呆れたように笑う。

ハッとして時計を見る。

午前二時。

「汗すごいよ。拭いてきなよ」

友里に言われて自分がおびただしい汗をかいているのがわかった。

部屋の室温は快適な涼しさなのに下着もぐっしょり濡れている。

さっきのあれは夢だったのかと雅人は安堵した。

「そうだな……拭いてくるよ」

雅人はそう言ってベッドから起き上がりバスルームに向かった。

「夢から覚めたと思っていたら夢だったわけか……」

汗を拭きながら初めてのことに雅人は戸惑った。

「そういえば……俺なんでこんなビビってんだ?」

何か恐ろしいものを暗がりで見たというおぼろげな記憶はある。

しかしそれがなんなのか、全く覚えていなかった。




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