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第6話 友達の異変

友里と綾香たちと飲んだ翌日の朝は 少しだるめの目覚めになった。

昨日は例の家に言ったあとに友里とその彼氏、綾香とカラオケに行ったのでだいぶはっちゃけた。

久しぶりに楽しい雰囲気で飲みすぎたせいか、アルコールがまだ抜けてない気がする。

頭も少し重い。

壁にかかっている時計を見ると八時。

窓の外から差し込む強い陽射しで目が覚めたが、今日は土曜日で学校はやっているが、非常勤講師の私は受け持つコマがないので今日は休み。もう一眠りすることにした。

 十時になりようやくベッドからぬけ出して一階に降りると「おはよう……」 と、リビングでテレビを見ていた祖母に挨拶した。

「おはよう。飲みすぎ?」 「まあね……久しぶりだったし」

「楽しいのは良いけど、あんまりハメ外さないように気をつけなさい。狭い町だし、誰の目があるかわかったもんじゃない。それにあんな、中学校の講師なんだから」

「わかってるって」 頭をかきながら冷蔵庫を開けて冷えた麦茶を取り出した。

祖母の言うことは正しいだけに反論の余地はない。

朝から小言を言われて情けないやら悲しいやら…… 。

 麦茶の冷たさをのどごしに味わって一息ついた私に祖母がテーブルを指さしながら朝食があることを教えてくれた。

まだ胃が本調子でないことを理由に今はいいとお詫びと一緒に断った。

その後、シャワーを浴びて少しさっぱりした。

 昼になり祖母の作った朝食を食べると、ようやく頭も冴えてきたので明日の授業で使う資料作りに取り掛かった。

二時間ほど作業に没頭していて、一息入れようと思ったときだった。

キイ…… 音がしたので振り返るとドアが微かに開いている。

自分ではきちんと閉めたつもりだったが…… また祖母に小言を言われるなと内心苦笑いする。

タンタンタン…… 階段を降りたような足音がした。

祖母が二階に来てたのか。 少ししてから私は飲み物をとりに下に降りた。

リビングに入ると誰もいない。 テーブルにはメモがあり、近所に出かけると書いてあった。

「なんだ……いないのか」 と、呟いたとき。

チリン…… 庭先の風鈴が鳴りカーテンが揺れた。

「あっ……窓が開いてる」 庭に面した窓が20cmほど開いている。

「おばあちゃんったら。出かけるなら戸締りしないと」 祖母にしては珍しいなと思いながら近付くと窓を閉めた。

キッチンに行くと麦茶を飲みながらリビングを見渡す。

一人でいることを意識すると、この家はわりと広い。 一人で住んでるなら寂しくならないだろうか?

ずっと一人で暮らしている祖母のことを思った。

もし寂しかったら私がいることで少しは紛れるんだろうか?

しばらくそんなことを考えてから時計を見る。

昼の二時を少し過ぎたばかり。 この調子なら四時前には終わるな…… 。

終わったら図書館に本を返しに行こう。 頭の中を伊佐山君の顔が過ぎった。

これを終えて顔を見に行こうと思うとやる気が出てくる。

飲み物を持って部屋に戻ると、もうひと踏ん張りだと気合いをいれて作業を再開した。


 作業が終わって家を出る頃に祖母が帰宅した。

「おばあちゃん、ちょうど良かった!私、今から総合施設の図書館に本返しに行ってくるから」 本を詰めたバッグを見せて言う。

「ああ、気をつけてね」

「ありがとう。あっ…そうだ、おばあちゃん」 私は少し間を置いてから、からかうような感じで「さっき外に行くときに窓閉め忘れてたよ。蛇餓魅が来るよ~」と、言った。

「えっ!そうだった?」 祖母は目を丸くしながら窓を見る。

「たしかに閉めたんだけどねえ……」 そうつぶやくと窓の方をじっと見た。

「まあ、おばあちゃんが出て間もないうちに私が気がついたけどね」 私が得意げに言うと祖母が首をかしげた。

「仕事してるだろうから悪いと思って静かに戸を閉めて出て行ったつもりだったんだけど、聞こえるもんだねえ」

「ああ、別に出て行った音が聞こえたわけじゃないの。おばあちゃんが二階にきてから少しして下に降りて気がついたの」

「私が二階に?」 祖母はきょとんとする。

「うん。私がちょうど一息いれようかと思ったときに階段降りてく音がしたから」

「ああ……そう……二階には行ったけど、それは出るだいぶ前にだけど」

「そうなんだ!じゃあ私の勘違いかな?それじゃあ行ってくるね!」

若干困惑気味の祖母に手を振ると家を出て総合施設へ向かった。

借りたときは伊佐山君の自転車の籠に入れてもらっていたからだけど、本の重さが肩に堪える。

まだ日が高い道を歩きながら、バッグを左右に掛け直しながら歩いた。


総合施設の図書館に着くと受付には伊佐山君が座っていた。

「こんにちは」 「やあ」 伊佐山君はニッコリとして軽く手を上げた。

「今日は本を返しに来ました……!」 私はわざと大袈裟にバッグから本を重そうに取り出した。

「これはこれは、ご苦労さまです」 伊佐山君はおどけて言うと、恭しく本を引き取った。

「このての本って面白いね。夢中になって読んじゃった」

「そうだろう?俺も読んだことあるよ」

「へえ……伊佐山君も。なにか他におすすめはある?この町とか、ここいらに関した本で」

「そうだな……」 伊佐山君は立ち上がると私を案内してくれた。


人の背丈よりもある本棚の間を歩きながら説明してくれる。

「これは東海地方にまつわる民間伝承をまとめたもの……たしか近隣の話が一つあったかな……こっちは……」

本棚と本棚の間にこうして二人でいると、遠い昔を思い出す。

放課後、みんなの目を盗んではこうして本棚の間に隠れて話したりした。

いよいよ私が引っ越す前の日、誰もいない学校の図書室で唇を重ねた。

それは淡い初恋の思い出として私の深いところに沈んでいた。

それがここにきて、伊佐山君と再開してから甘酸っぱい香りとともに、地中深くから萌芽するように私の中で大きくなっている。

ともすれば嬉しくなり、また胸がきゅうっとなり、まるで少女のような感覚になる。

私だって人並みに恋愛はしてきた。 自分でも大人の女と自覚している。 しているのに、今の私は子供のように目の前の男性に恋心を焦がしているのだ。

その未熟さが恥ずかしくもあり、余計に私の体をかあっと熱くさせる。

「桂木さん?」

「は、はい」

伊佐山君に呼びかけられ我にかえった。

「他にもあるけど、まずはこれが良いと思うよ」 伊佐山君は三冊の本を私に見せた。

「ありがとう」 お礼を述べてから伊佐山君の顔を見た。

「懐かしいね。こういうの」 伊佐山君が目をパチッとして「ん?」という表情を見せた。

「よくこうして本棚の間で話したよね。て、覚えてないか」 伊佐山君はクスッとすると、私に向かって優しい眼差しを向けた。

「桂木さんが覚えてるなんて思わなかったよ」

「ええっ…どうして?」

「東京にいれば楽しいことや刺激的なことがたくさんあるだろう?だから覚えてないと思っていたし、記憶にあってもそれは埋もれてると思ったから」

「そんなことない。覚えてるよ。全然……」 私は首をふりながら言った。

「て、ごめん!私なんか恥ずかしいね!なんだろう……一方的に」

私がいくら当時の恋心に新しく火を灯しても、相手が同じような気持ちを抱いているかなんてわかりようもない。

むしろ普通は……伊佐山だって中学の恋愛が時を経て新しく燃えはじめるなんてありえない。

恥ずかしくていたたまれなくなった私は「また来るね」と言って立ち去ろうとした。

「桂木さん」 呼び止められて振り向く。

「もうすぐ閉める時間なんだ……良かったらまた送らせてくれないかな」

 私は表情を見られないように、伊佐山君から顔を背けた。 照れくさい、恥ずかしい、嬉しい、そうした感情がめまぐるしく私の中を駆け巡る。

二三秒してから伊佐山君に向き直った私は「まあ……いいけど」と返すと、肩をすくめて笑った。

伊佐山君も私に微笑むと、さあと言って本を持ちながら私を受付までエスコートした。


 ロビーで待っていると伊佐山君が階段を降りてきた。

外に出ると、もう夕方だというのにまだ強い日差しと熱気でむわっとする。

「暑いね」 私は手で顔を扇ぎながら言った。

「良かったら日が傾くまで、冷たいものでも飲んでいかない?海のそばに丁度いい喫茶店があるんだよ」

「あっ!それ助かる!行こう!」

私の家に帰るには少し遠回りにのるけど、そんなことは気にならなかった。

総合施設がある道は海岸から垂直方向に伸びているが、私の家に向かうには海岸と平行している商店街の通りを左に曲がる必要がある。そこを曲がらずに、そのまま海岸へ住宅にはさまれた細道を進むと青地に白文字でコーヒーショップと書かれた看板が見えた。

「あそこだよ」「あんなお店ができてたんだね」伊佐山君が指さす先、そこはちょうど海岸の真裏で、白い壁が青い空に映えている。

 お店のドアを開けると冷えた空気が出迎えてくれた。「よお!譲!」「こんにちは」カウンターに座っていたマスターとおぼしき人がきさくに手を上げる。

伊佐山君は挨拶すると窓際のテーブルに私を案内した。

お水を運んできたマスターにアイスコーヒーを二つ注文した。


「どう?学校の方は」

「うん。まあ……これからかな。まだ始まったばかりだし」

「そうだよね。ただ、急ぐ必要はないからね。自分のペースでいいんじゃないかな」 水滴のついたグラスの中で氷が、カランと音を立てる。

ふとテーブル脇を見るとおすすめスイーツのポップがあった。

「伊佐山君は時間大丈夫?」

「え?大丈夫だけど、どうしたの?」

「これ食べたくなっちゃった……」

「ああ、どうぞどうぞ。気にしないで」 ちょっと気恥しいけど、カボチャのプリンを注文した。

「昼まで調子悪くてさ、お昼食べてないんだよね」 なんて言い訳をする。

「調子悪い?大丈夫?風邪とかかな?」

「違うの。昨日、友里と綾香、友里の彼氏と遅くまで飲んじゃって」 それを聞いて伊佐山君はクスッとした。

「ああ、二日酔いね」

「そう……そうだ!そういえば昨日はとんだハプニングがあったの」

 私が友里たちと例の家に行ったこと、先に生徒たちがいたこと、家に入り生徒を叱ったことを話すと伊佐山君の顔から笑が消えた。

「まあ、たしかに私たちも肝試しみたいな感じで入ろうとしたから生徒にあれこれ言う資格はないんだけどさ……」 と、言い訳してから改めて伊佐山君の顔を見る。 軽蔑……されたかな?

「なんともない?」

「えっ」

「いや、その……なにか変わったようなこと」

「変わったようなことって……どういうこと?」 伊佐山君の表情があまりにも真剣なものだから、私は怖くなってきた。

「まさか、噂されてるように霊がいて祟りがあるの?」

マスターがカウンターでテレビを見ているのを確認さしてから声をひそめて聞く。

「いや、そうじゃない。そういうんじゃないんだ」 伊佐山君はさっきの笑顔に戻ると、笑って顔の前で手を振った。

「俺なんてあの家や近くは気持ち悪くてさ。人が実際に変なかたちで亡くなってるわけだし。それを考えたらよく入ろうとしたなって、驚いたんだよ」

なんだかはぐらかされたような気がしたけど…… まあ、いいか。

「なんか私が引っ越した後に流行ったんでしょう?怖い話が」

「ああ……一時期はみんな話してたよ」

「伊佐山君はそういうのあまり好きじゃない?」

「うちは親がうるさかったしね。叔父が霊媒師みたいなことをしてて、その筋では有名でさ。母方の家系がそういうことを生業にしてたらしいんだ」

「そうなんだ」

「だから遊び半分にそういうことに関わったらいけないって厳しく言われたよ。それにあの家にはなにか感じるらしくて」

伊佐山君の家系のこととか初めて聞いた。 昔はそんなこと話さなかったし。

「じゃあ伊佐山君も、うちのおばあちゃんみたいに霊感あるの?」

「桂木先生が?」

「うん。自分で言ってたの。そういうものが見えるって」

「意外だな……」

「ああ見えて、おばあちゃんは迷信深いの。私はそういうとこが一時期抵抗があってね……でも最近は気にならないけど」

「幸か不幸か、俺にはそういう霊感みたいなものはないよ」

「私もないからさ……ただ、気持ち悪さは感じるの。でもそれって幽霊とかそういうものとは違うと思うんだよね」私が言うことに伊佐山君はうなずくとアイスコーヒーを一口飲んだ。

「そうか……でもあれだね。その生徒が先に来ていて良かったね。桂木さんたちが入った後に来たら立場なかったでしょ」

「そうだね」 二人して笑った。

その日は伊佐山君が奢ってくれるというので、最初は断ったけど最終的には厚意に甘える形になった。


 外に出ると気温は幾分下がっていて潮風が心地よい。 私たちは海岸線の歩道を歩いて帰ることにした。

「けっこう西日が強いね」 私は思わず目を細める。

「一本奥の道にする?」

「大丈夫。気持ちいいし」 潮風にふかれて波の音を聞きながら歩いていると、西日の暑さもこの季節の風景の一つなんだと思える。

私たちは夏の風景にとけ込んでいるような気がしていた。

「桂木さん。今度は食事でもいかない?」

「えっ!いいの?」

「ああ。こっちに帰ってきたのと講師採用のお祝いに」

「そんな悪いよ」 と、言いながらも私の胸は喜びが清水のように湧き出てきていた。

「いいんだ。お祝いしたいし」

「大丈夫なの?彼女とか」 そこが肝心だ。

「いないよ」 伊佐山君は苦笑いしながら首を振った。

「じゃあ……ご馳走になろうかな」 嬉しいのを隠すような言い方をしてから笑がこぼれた。

伊佐山君に家の前まで送ってもらうと、ちょうど祖母が家の前に植えてる花に水をやっていた。

「おかえりなさい瀬奈。あら、あなた伊佐山君じゃない」

「先生、ご無沙汰してます」

「ちょうど夕飯の支度してたのよ。良かったら伊佐山君も召し上がっていって」

「いえ、そんな」

「いいじゃない伊佐山君!ご飯って人数多い方が楽しいし、いつもは私とおばあちゃんの二人だけだから寄っていってよ」

「ああ……それじゃあ、お邪魔します」 固辞していた伊佐山君だが、最後は折れて夕食を共にすることにした。

最初こそ若干ぎこちなかった晩餐だったが、だんだんと和やかになってきた。

「そうだ!伊佐山君はもう結婚してるの?」 祖母は突然、脈絡もなく質問した。

「い、いえ、まだです」 ビールを飲んでいた伊佐山君は噎せながら答えた。

「おばあちゃん、いきなり失礼だよ」 少しこぼれたビールを拭きながら窘める。

「私らの頃は早かったからね。結婚」

「今は時代が違うって。ねえ?」 伊佐山君にふる。

「ああ、いや、そうかな……相手があることだしね」

「誰かいないの?お相手は?」

「もう!おばあちゃん!」 酔ってるようには見えないのに、今日の祖母はどうしたのだろう?

「ハハッ……まだいません」 それを聞いて「そうなんだ?」 思わず私が反応してしまった。

「うちの瀬奈なんてどう?これでも良い子なんだよ」

「ちょっと止めなよ!ねえ?」さすがに私の方が恥ずかしくて熱くなってきた。 これ以上の暴走を止めないと。

伊佐山君はきまりが悪そうに苦笑いしているだけだった。 その後は話題を切り替えて祖母が教師になりたての頃を話したりした。

こっちの方が私は安心して話を聞いていられた。


九時近くになり、伊佐山君が帰る。

「どうもご馳走さまでした。今度お礼に来ます」

「いいのよ。気を遣わなくて」 お辞儀する伊佐山君に祖母はにこにこと上機嫌に返した。

私がその辺まで送ると言うと伊佐山君は夜だし危ないといって断った。

仕方がないので、玄関の前で見送ることにした。

祖母は梨を袋に何個か入れると、お土産に渡すように私に言い、奥に引っ込んだ。

家の中は冷房が効いていたけど外に出ると日はすっかり沈んだのにむわっとするような暑さだ。

「ありがとう。美味しかったよ」

「ううん。こっちこそ変な話題になってごめんなさい」

「そんなことないって。俺は気にしてないから」

「ならいいけど……」

「梨ありがとう。後でいただくよ」

「うん」

「それから……」

「なあに?」

「桂木さん、明日の夜は空いてるかな?」

「えっ……空いてるけど」

「さっき話したお祝いの食事だけど、明日行かない?」

ドキッとした。 もちろん嬉しいのだけどあまり顔に出したくない。

「いいよ。じゃあ……連絡して」

「わかった」

連絡先を交換すると伊佐山君は自転車を引いて帰っていった。 途中、二回振り返り手を振りながら。


家に戻ると友里からLINEがきていた。そこには祟りだなんだと書かれていて、ひどく取り乱している。

どういうことだろうか?気になった私はすぐに電話した。

「どうしたの友里?」

「瀬奈、あのね……あの家から変なのがついてきたみたいなの」

「変なの?」

「幽霊……私祟られたかも」

「ちょっと落ち着いてよ友里、そんな祟りとかあるわけないじゃない」

「でも見たのよ!実際に触れたの!」

友里はとても混乱していて、とにかく明日になったら綾香と一緒に家に来てほしいと繰り返すばかりだった。

私はそのことを約束すると電話を切った。

自分自身があまりのことに驚いている。

友里はどうしてしまったのだろう?いきなり幽霊だなんだと騒いで、大丈夫だろうか?

私だってあの家は気持ち悪いと思った。でもそれは幽霊とかそういうものではなく、単純に不気味というだけだ。

明日の朝になって友里が落ち着いてくれればいいけど……。




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