翌日になり蝉の大合唱で目が覚めた。暗いうちはまばらな蝉が、日が昇ってくるとそこら中で一斉に鳴きだしたのだ。
例年よりも二週間も早い梅雨明けがこんなとこにも影響している。
祖母は私より先に起きて、既に漁協の手伝いに出ていた。
用意された朝食を口にしてから簡単な掃除と庭の花草に水をやってからシャワーを浴び
て、昼を過ぎた頃に友里と綾香が言っていた町民総合施設に行くために家を出た。
そういえば昔、子供のころに遊んだ大きな公園があったことを思い出した。
遠回りになるが、外に出たついでに見てみようと思った。たしか真ん中に神社がある公園だった。
みんな「神社公園」なんて言っていた。
公園に向かう途中に町会が設けた掲示板に貼ってあるチラシに目がいった。
他のチラシはきれいだが、これだけが黒く汚れているからだ。
「この子を探しています」雨風にさらされたせいか汚れがひどい。
私服で友達と一緒に楽しそうな笑顔で写る女の子。
高校生だ。
写真の下にいなくなったと思われる日時が書かれていた。
そのときの服装は……
学校の制服と書いてある。
日時は一年と少し前……
一年も前ならこのチラシだけ酷く汚れているのも納得がいった。
一番下に連絡先が書いてあった。
携帯電話の番号と名前。
家出なのかな?と思った。
学校の制服ってのが引っかかるけど、着替えとか用意してれば別だし。
そのまま歩き出してからしばらくすると、建設中の分譲住宅の現場が目に入った。
いろんなところから引っ越してくるとこの町も活気がつくかもとか、そんなことを考えながらまだ土台しかない工事現場を見ながら歩くと、隣の敷地にある一軒の家の前で脚が止まった。
塀にかかった表札に目がいく。
「荒木」……
これは今さっき見たチラシの連絡先にあった名前だ。
じゃあ、この家が失踪だか家出した子の家かな?
なんの気なしに家を見てみる。
「取り壊し予定なんだ……」
道路に面した門扉には「取り壊し予定」と書かれた看板があり「立ち入り禁止」と赤くでかでかと書かれている。
ここも取り壊された後は新しい家が建つのだろうか?
見上げると二階の窓がわずかに開いていた。
カーテンがふわりと窓の外に出る。
反対側の窓とかどっか開いてるのだろうか? でも、誰もいないのに窓とか開けるものか?
窓を見ながら不思議に思ったときだ。
キイッ……
「わっ!」
いきなり玄関の方から音がしたので驚いた。
人の家の前で立ち止まって見てるなんて、不審者と思われたらどうしよう?内心慌てた私だったが、玄関に人の姿はなかった。
ただ、ドアがわずかに開いているだけだ。
暗い隙間がそこにあった。
もとから開いていたのが風で動いたのか……?
無人と言っても、家の前でこんなふうに立ち止まっているのも傍から見たら良いもんじゃない…… 立ち去ろうとしたときに、なぜか玄関ドアの隙間に目が引き寄せられた。
暗い空間。
これだけ日差しが強く明るいのに、そこの玄関にできた僅かな空間だけが真っ暗でなにも見えない。
なにも見えない分、吸い込まれそうな気さえしてくる。
ヒュー…
風が吹いたかと思うと家の中からまるで啼いているような声となって吹き抜けてくる。
すると背中を冷たい汗が流れた。
「えっ……うそでしょう?」
腕に鳥肌がたっている。
あの暗闇の向こうになにかいる気がしてならない。そのなにかは闇の奥からこちらをじっと見ているような気がした。
胸が圧迫されるような感じで息苦しくなる。
「ひいっ!!」
僅かな隙間の暗闇からこちらを見る目が見えた気がした。
一瞬だけど目が見えたと思ったけど、私の視線の先には誘うような暗闇があるだけだった。
鳥肌もいつの間にかおさまっていて、息苦しさもない。
気のせいだったんだ……。でも……。
気持ち悪い。
足早にここを立ち去ることにした。
するとまた風が吹く。
バタンッ!!
後ろでドアが閉まる音がした。
「なんなの…!?」
思わず立ち止まって振り向いてしまった。
夏の日差しを照り返したアスファルトに、そよそよと揺れる深緑の葉。
遠くから聞こえる蝉の声。
振り向いた私の視界に映る景色はごく普通の夏のもの。
だけどあの家の周りだけなんだか異質に感じる。
周囲とは切断されたような雰囲気。
敷地に生えてる木が風に吹かれてざわざわとする様も、黒い塊が蠢くようでおぞましい。
家の前を通り過ぎるとその隣の家も取り壊し予定の看板が立っていた。
ここらの土地を持っている人が不動産会社に売ったのだろう。
思い出の場所はこうして現実の世界からは消えていく。
そして新しい世代の思い出の場所ができていく。
あたりまえのことなのだけど、少し寂しい気分にもなった。
町民総合施設についた。白い壁の四階建ての建物は上から見るとL字型を逆さにしたような形だろう。
一階の入り口の横には花壇をはさむように大きな階段があり、二階にも入口が見える。
小学生くらいの子供が階段のところで鬼ごっこをしている。
二階の入口の方は日を浴びて明るく見えるが、一回の入口は玄関の照明もついていなくて薄暗い。
ここだけ見たら閉鎖された施設に見えそうだ。
私はそのまま一階の入り口から入った。自動ドアが開くと空調できんきんに冷えた空気が包み込んでくれる。
暑い中を歩いてきた身には救われた気分だ。
節電しているのか天井の照明は間引きされていた。
受付のようなものは特になく、手前に階段、奥にエレベーターが二台と自販機がある。
階段横にある案内板で図書館を探した。
「三階か……」
また汗はかきたくないのでエレベーターで図書室へ。
エレベーターを降りると、フロア案内板には囲碁、将棋教室の部屋や茶道、生け花教室もある。
だけど平日の昼をまだ少し過ぎたばかりなのか、人の姿は見当たらなかった。
図書室は一番奥にあるのを確認してから向かう。
ミュールの足音がやけに廊下で響いた。
「違うの履いてくればよかったかな……」
ガラス張りになった図書室の扉を静かに開く。
受付は無人だった。
「伊佐山君は…いないか…」
ちょっと落胆したような気になった。
いやいや、なに落胆するの?自分でもなにを期待しているのだろうと可笑しくなった。
たしかに初恋の相手がどんあ大人になったのか?同じように大人になった自分を見てどう思うか?
そこに興味もあったし楽しみにもしていた。
でもそれだけのことで落胆するようなことじゃないはず。
図書室にはテーブルにノートと参考書を広げた高校生くらいの女子が二人、同じように勉強に来ている男子が一人目に入るくらいだった。
なるべく音を出さない様に歩いて、棚を見て回る。
時間もあるので改めて「蛇餓魅」の話を調べてみることにした。
ああいう言い伝えみたいなものって、何を見ればいいのだろう?
郷土史かな?
まずは大蛇伝説について調べてみたが、私が知っている内容とさして変わらない。
伝承の中の大蛇はただ人や動物を食べるだけで「人を誘って仲間にする」「連れていく」ということはない。
「蛇餓魅」という名前からは「餓え」と「魅了」が連想される。
しかし伝承を読んでも大蛇が人を「魅了」するような話はなかった。
語り継がれるどこかの時点で尾ひれがついたと思われる。
なにか事件や事故があり、混ぜこぜになったのだろうと思った。
町の歴史としてはどうだろう?なにか関連付けられるようなことがあったのだろうか?
でもそんな真面目な資料に怪談なんてふざけたものが載っているだろうか?そう思いながら「町の歴史コーナー」というところで足を止めた。
適当なものを二三冊選んでから窓際のテーブルに着いた。
しかし載っているのは、いつ国道が開けたとか学校が出来たといった、町の発展の歴史だった。
残りの二冊も似たようなもんかな?
早々に自分の中にあきらめムードが漂ってきた。
でも自分が生まれた町の歴史というものは思っていたよりも見ていて面白い。
私が生まれる何十年も前の写真や町並みは新鮮だった。
町内を見廻るためにお揃いの法被を着た人たちが何人か警察署の前で写っている。
今でいう町内会の防犯パトロールみたいなものか。
もうこの年は祖母が生まれている年だ。
祖母の年齢だと逆算したらこの頃は幼稚園くらいかな…?
次のページには表彰状を胸の前にかざした女の子の写真が載っていた。
「全国小学生作文コンクールか……この子小学生なんだ」
中学生くらいに見えた。
長い黒髪に不自然なほど整った顔立ちのせいで年齢よりも上に見える。
私は作文とか苦手だったから尊敬してしまう。
さらにページをめくって行くと祖母の名前を見つけた。こちらは写真こそなかったが市の健康優良児に選ばれたということでこの町から三人の名前が載っていた。
時間が経つのも忘れて読みふけった。
ふと時間を見るともう四時だ。気が付くと勉強していた学生の姿はなく、図書室には私一人だった。
「いっそのこと借りて行って家で読もうかな」
本を手に取り受付へ行くと男性が一人座っていた。
前髪を垂らした、少し長めの黒髪。
細面で学究肌っぽい印象。
でもどこか見覚えのある感じ。
「あれ…?もしかして……」
男性は本をもって歩く私に気が付いて顔を上げると口元を緩めて会釈する。
私も同じように笑みを浮かべて会釈した。
男性の胸にあるネームプレートには「伊佐山」の文字。
間違いない。
男性の方も私に何かを感じたらしいのが目でわかる。
「お久しぶりです」
受付の前に来るとそう言って私はお辞儀した。
「あれ……もしかして」
伊佐山君は右手で頭を掻きながら私を見る。
「麻宮……ああ!麻宮瀬奈さん!?」
「思い出した?中学の最初まで一緒だった麻宮です。今は桂木だけどね」
「えっ、じゃあ結婚したの?」
「ううん。両親が離婚したの。だから今は母方の桂木姓」
「ああ、これは失礼……いや、お久しぶりです」
伊佐山君は立ち上がってお辞儀する。
私はその様子がなんだかおかしくてクスッとしてしまった。
「へえ……郷土史関係をこんなに」
けっこうボリュームがある本が三冊。
伊佐山君は半ば驚いたようにつぶやいた。
「うん。来週からここの中学で非常勤の講師として働くことになったの。それでこの町の歴史とか頭に入れておこうかなって」
「えっ……じゃあこっちに引っ越してきたの?」
「ううん。おばあちゃんの家に居候。将来どうするかなんて決めてないけど今はこっちで働こうかなって」
「そうか……」
伊佐山君は感慨深げに言うと頬をほころばせた。
「驚いたよ。見かけない人だけど、どこか見覚えがある。そうしたら麻宮、いや、桂木さんだったなんて」
「私はなんとなくだけど伊佐山君ってわかったな。確信したのはネームプレート見てからだけどね」
図書室に誰かが来る気配はなかった。
「あまり人こないの?ここ」
「ああ。できた当初はけっこう賑わったんだけどね」
伊佐山君は苦笑いした。
「伊佐山君はずっとこの町にいたの?」
「高校まではね。大学は静岡市の方へ行ったよ」
「それでここへ?」
「ああ。この町が気に入ってるから」
「そうなんだ。意外」
「そう?」
「うん……伊佐山君ってスポーツもできたし外向きな性格だと思ってたから……まあ、子供のころの勝手なイメージだから気にしないで」
「そう見られてたのか」
伊佐山君は苦笑いした。
「桂木さんは?ずっと東京にいたんだろう?」
「私は……ちょっと仕事で失敗して」
「ああ……そっか……ごめん」
「いいの。私、学校で教師やっててさ。若いから舐められたのかな……休みはないし学級崩壊みたいになって、保護者とか生徒とかいろいろ疲れちゃった……」
挫折らしい挫折を経験していなかった私にとって大きすぎる挫折だった。
立ち上がる気力すら起きないような。
「それで辞めてから半年くらいは家に引きこもってた」
私は笑いながら言う。
「それでこっちで非常勤の講師を?」
「そんなんで務まるのかって?」
「いや、そういうわけじゃなくて」
慌てたように顔の前で手を振る伊佐山君。
「他の仕事とか考えたけど、なにしていいのかわからないし、他にできることとか思いつかなかった」
ずっと家にいて、さすがに何か働かないと母に悪いと思った。
でも教師を辞めて自分ができる仕事はなかった。
「そうしたらおばあちゃんが、こっちに来ないかって誘ってくれたの」
「お祖母さんが?」
「うん。こっちで非常勤講師の募集があるから来ないかって」
「怖くはなかった?」
「正直怖かったよ。でもこのままでも良くないっていうのは頭にあったからさ……明日からなんだけど、正直ちょっと不安はあるの。でもフルタイムじゃないしね……リハビリもかねてって感じかな」
「そっか……頑張りなよ。応援する」
「ありがとう」
伊佐山君の笑顔に応えるように自然と顔がほころんだ。
「ああ!もうこんな時間だ!閉めないと」
時計を見た伊佐山君が慌てたように言う。
「ごめんなさい!長居しちゃった」
「いやいや、いいんだ……それより送っていくよ」
「えっ」
「桂木さんが良ければだけど」
「私は全然、っていうかいいの?」
「ああ。一階のロビーで待っててくれたら」
「わかった」
十五分ほどで降りていくと言った伊佐山君を後に、私は一階のロビーへ降りた。
自販機で冷たいお茶を買ってロビーにあるイスに座る。
まさかこんなに話し込んじゃうなんて。
お茶を飲むとちょっと自分が興奮しているのがわかった。
ドキドキしてる。
なに意識してるんだろう?
昔のクラスメイトに再開しただけだっていうのに。
でも…… 良い意味で裏切られたかな。
自分が抱いていたイメージに。
ロビーで待っている間、誰も通らなかった。
間引きされた薄暗い静かな空間。
空調が効きすぎなのか、少し肌寒くなってきた。
人気のないロビーを見渡す。
照明の届かないところにできた暗がりがなぜか気になった。
「お待たせ」
伊佐山君が小走りに階段を降りてきた。
私は首を振ると本を抱えて立ち上がる。
「その本、俺の自転車の籠に入れるといいよ」
「ありがとう。助かる」
六時を過ぎていたが空は明るい。
「けっこう変わってきただろう?この町も」
「そうだね!私がいたころはなかったホテルが建っていたり、古い旅館は新しくなってるし、国道沿いはお店も増えたんじゃない?」
「ああ」
「逆に昔の商店街ではなくなってるお店もあったけど」
「同級生の店も随分閉まったよ」
伊佐山君は寂しそうに言う。
私は送られる立場だったけど、伊佐山君は送る立場だったんだな。
それは友里と綾香も同じだ。
送られる者にはわからない寂しさがあるのだろう。
「子供のころ遊んだ大きな公園覚えてる?神社公園」
「えっ…ああ」
伊佐山君はちょっと驚いたような反応をした。
「あそこも見てきた……神社も公園もなくなって、周りも住宅地になってたね」
「ここ数年くらいのことだよ。公園がなくなったのは一年前だったかな」
「そうなんだ…… そこの隣と、その隣の家も取り壊しだってね。新しいお店とかができても出て行く人がいるんじゃ変わらないのに……なんかもったいない」
「そうだね……」
そう返したときの伊佐山君の表情はなんとも形容しがたいものだった。
この町に愛着がある伊佐山君にとっては町の人が出て行くことは私が受け取るのとは違う意味があるのかもしれない。
「そうだ!昨日ね、友里と綾香に会ったの!」
「ああ!あの二人か!」
伊佐山君の表情が明るく変わった。
「二人に聞いたの。伊佐山君があそこで働いてるって。だから今日来てみたんだ」
「えっ……」
「ほら!懐かしくって」
「ああ、そうだよね!なるほど!ハハハ」
二人とも笑った。たしかに懐かしくって会いに行ったけど今はちょっと違うのかも。
だんだんと夕暮れになっていく空の下、蝉の声を聴きながら二人で歩いて帰るのは、まるで昔に戻ったような錯覚を覚えた。