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第2話 蛇餓魅のいる町

篠崎町は静岡県賀茂郡にあり、伊豆半島南西部の海岸沿いに位置する町である。

下田からはバスで五十分ほど。

山間部を通り、姥ガ瀬という峠を越えたところにある。

この町は北、東、南の三方を天城山系に囲まれ、西は駿河湾に面している。

町の六割は山林であるが、町中心部に流れる那賀川・岩科川により、流域には耕地に居住区が形成されていて小学校から高校まである。

街の西側にある遠浅の海水浴場は波も高くなく穏やかなことから親子連れの観光客に人気が高く、温泉もあり、多くの観光客が訪れる。

特に夏休みの海水浴シーズンは町の賑わいもひとしおだった。

また、町には全国でも希少となったなまこ壁の建造物が残っている。

「なまこ壁」は、平瓦を壁に貼り付け、目地を漆喰で海の生き物「なまこ」のように盛り上げるスタイルからその名称がついたという。

防火性、保温性、保湿性に優れ、明治時代から昭和初期まで各地で見られた外壁の工法で、なまこ壁の建造物はこの町のウリの一つだ。

これが私の生まれ育った篠崎町である。

しかし、この町には私の知らない恐ろしい秘密があった。

「蛇餓魅(だがみ)」。

この異様な響きを持つ名称は私の祖母が口にしたものだ。

この町には「蛇餓魅」がいると。


「瀬奈。扉をちゃんと閉めないと、蛇餓魅が来るよ!」

蛇餓魅。

この名前を私がはじめて聞いたのは小学校に上がる前だったと思う。

今日のように夕涼みしようとリビングの窓を三分の一ほど開けて風を取り込んでいた。

リビングのドアも少しばかり開いていた。

それを見つけた祖母が顔をしかめて、リビングの扉を締めながら口にしたのが、聞いたこともないこの名前。

「なにそれ?」

「恐ろしい蛇のような化け物だよ。ああして外につながってると蛇餓魅みたいなよくないものが入ってくるから」

祖母は諭すように私に言った。

「この町には恐ろしい蛇餓魅がいるんだよ。本当なら考えたり口にするのもいけないことなの。蛇餓魅が寄ってくるからね。それだけじゃなくて蛇餓魅は近い人を誘って食べるんだよ。誘われてついていったら二度と戻れない」

「わかった」

当時の私はそれで納得したものだった。

そして社会人になって三十歳近くになり同じことを言われたわけだ。

ようやく荷物の整理が一段落して息抜きしていたというのに。


祖母はなにかにつけて、迷信めいたことを口にする。私が言うのもなんだけど、よく生徒にバカにされなかったなと思う。

祖母は数年前まで地元の中学で教職に就いていた。もちろん学校では家のようにそんなことを話す機会なんてないのだろう。

小さい頃の私はそんなことを一々考えずに、祖母が学校の先生ということが誇らしかった。

それが後年、自分の中で教職というものへの憧れに育っていく。

また、祖母が口にする迷信話も面白くて、よく聞いたものだった。

そんな私を祖母は可愛がり、私もなついていた。

 それがいつからか祖母に対して馴染めなくなっていった。

祖母は昔と変わらず優しいし、私を一番に思ってくれている。

それはわかるのだけど、なんていうか……

年齢の差というのか、こちらの伝えたいことがなかなかスムーズには伝わらない。

同じことを二度、三度と話したり、私たちの間では普通の言葉でもいろいろと聞き返されたりで鬱陶しくなってくる。

でも一番の理由は…… 祖母の迷信癖と、それを語るときに感じるなんとも言えない陰気な影だ。

それを感じるようになったのは小学校高学年になってからだった。


昔、祖母にどうしてそんなに迷信というか、そのての話を知っているのか聞いたことがある。

祖母は自分の母親やそのまた母親から聞かされたらしい。

といっても、たいていは「夜に口笛を吹くと蛇がくる」とかなんてことない話なのだが……。

この「蛇餓魅」に関してはいつもの語りとは違うものを私は感じた。

切迫した緊張感のようなものが伝わってくる。

車道に飛び出す子供の手をつかんで引き戻すような。

陰気な影がよけいに深く強く刻まれて、祖母自身が幽霊かなにかのように見えてしまう。

では祖母は自分が口にする「よくないもの」というのを見たことがあるのだろうか?

それを聞いたとき「見たくもないが見えてしまうものはしょうがないよ」と私に言った。

「この人には私には見えないものが見えたりするんだ」

そう思った頃から自分の中で祖母に対する「壁」ができてしまった。

一度壁を作ってしまうと容易に取り除くことはできず、私の祖母に対する敬遠はこの町から出て、離れて暮らしても変わることはなかった。

「それより正美に電話した?」

「ああ……まだ」

「早く電話しなさい」

正美というのは私の母親だ。

「まだ仕事中だよ」

「いいから」


祖母に急かされるように二階へ上がると少し時間を見てから母に電話した。

「お母さん、さっき荷物の整理も終わった。うん……大丈夫」

電話を切ると窓を開ける、潮気をふくんだ風が浜辺に打ち寄せる波の音と一緒に流れ込み、郷愁をくすぐった。


私、桂木瀬奈は十年以上生活し、慣れ親しんだ東京を離れ西伊豆に帰ってきた。

もともと私はこの町で産まれ育ったのだが、中学のときに親の都合で東京に引っ越した。

新しい家と新しい友達、都会の生活はあっという間に以前の暮らしを忘れさせた。

東京に引っ越してから西伊豆の家には一度しか行かなかった。

高校のときに亡くなった祖父の葬儀のために帰ったが、バタバタと手伝いをして終わったら帰るという強行軍だったために誰かと会話したという記憶がほとんどない。

このとき父と母の間で一人になった祖母の面倒をどうしようかと話しているのを聞いたことがある。

東京に呼ぼうという話もあった。

しかし祖母の方から心配はいらないからと何度も言われ、結局この話は立ち消えになる。

私はこのとき内心ほっとしたことを覚えている。

今の自分の生活している圏内に祖母が入ってくるということは、あの迷信体質と一緒に「古い過去のもの」が一角を占めるような気がしたからだ。

その一方では自分の中に芽生えた教職への憧れを伝えたいという気持ちもあったので当時の私はかなり矛盾していたといえる。

それから一年ほどして両親は離婚して私は母と暮らすことになった。

私にとっては大きなショックとはならなかったが、受験を控えた私を心配した祖母と電話越しに会話したことは覚えている。

そのときに自分は教職を目指していると祖母に話したときの嬉しそうな反応は今でも忘れられないし、それ故に自分自身に対する失望と嫌悪感を大きくしているのも事実だ。


 念願の教師になり、私は新入生と同じように夢と希望に溢れて教壇に立った。

でも現実は私が考えていたほど容易くなかった。

教師になり数年経ち、私が受け持ったクラスは学級崩壊。上司や同僚、保護者との関係。

それらがあっけないほど簡単に私の心は折れてしまった。

 学校を辞めて二三ヶ月は人と会話するのも嫌だった。

母は私のことを理解してくれたけど、日が経つにつれて母の世話になることに罪悪感を覚えた。

そんなときだった。

祖母から話があったのは。

 地元の中学が非常勤講師を募集するので申し込んでみないかという内容だった。

幸いなことに、そこの中学の校長が祖母の知り合いで、頼んでみるから悪いようにはならないだろうと言われた。

 母にこれ以上苦労をかけるような情けない状況から脱したかった私は、祖母の話にのることにした。

それに教職への未練も最近になって感じていた。

そうした動機から、私は西伊豆にある祖母の家に住むことになった。


翌日になり祖母に用事を頼まれた。あまり気が進まなかったが、いつまでも家にこもっているわけにもいかない。

遅かれ早かれ、外に出て同級生とも顔を合わせることになる。

どうせ気まずい思いをするなら、早いうちに慣れた方が良いと腹を括った私は、散歩もかねて午後になると家を出た。

今年は梅雨明けも早いし、暑さも全国的に過去最高なのだとか。

たしかに外に出た瞬間に体を包む熱気は去年より暑く感じる。

家から五分もかからない距離だが、郵便局に着いたときにはすっかり汗をかいていた。


 順番を待っている間に、同じようにソファーに座っている人をチラ見するが、知っている顔はいない。

いても十年以上前とでは記憶も曖昧だし、人の容姿もかなり違うだろう。

そう考えると私を知っている人間、例えば同級生に会っても互いに気が付かないかもしれない。


 祖母に頼まれた用事を終えた私は、大回りをして川沿いの道を歩くことにした。

町の中を流れる川は幅も広く、両脇には桜並木が植えてあって春になると何処までも続く桜の回廊となって、花びらが舞い散るさまは極楽の雲に包まれる様な心地になる。

この町の観光名所の一つだ。

その川が町の東側を海に向かって流れているので、川沿いに河口まで木陰伝いに歩いて行った。

木陰と程よい風が暑さから守ってくれる。

こういうときに自然は凄いなと思ってしまう。

途中で飲み物を自販機で買うと、水分を補給しながら歩いた。

ここいらも昔は自転車で友達とよく通ったものだ。

私といつも遊んでいたのは友里と綾香という子だった。

二人とも私と同じ年だけど、どんなふうに変わっただろう?

もう結婚してるかもしれない。

二人とは小学校も中学校も一緒だった。

私が東京に引っ越すときは見送りに来てくれて…… 東京に引っ越す私を励ましてくれたのを覚えている。

引っ越してからも連絡は取り合っていた。

ただ、それも段々と減っていき、自然と途絶えてしまった。

もし二人に会ったら私は彼女たちのことをわかるだろうか?

昔の友人を思い出しながら懐かしい道を歩いた。


ぼんやりと海を見ながら防波堤に沿った歩道を歩いていると、自分がいた頃とは随分変わったところに目がいった。

反対に全く変わることなく懐かしい姿を留めているところもある。

川沿いに歩いていると漁港があり、その右側には海岸がある。

漁港の手前を右に曲がり、海岸沿いの一本裏道に入った。

ここら辺は変わっていないと思う。

自分の中にある昔のイメージのまんまだ。

住宅にはさまれた細い道を抜けると、二車線の大きめな道に出た。

ここも昔は商店街で賑わっていたが、今は静かなものでシャッターが目立つ。

歩いていて、たしか精肉屋を営んでいた同級生の家の前を通過した。

看板の文字はきれいに剥げてなくなり、シャッターと雨戸が閉まっている。

「もう住んでいないのかな?」

塩と風にさらされて傷んだシャッターと雨戸を立ち止まって見上げた。

少ししてから歩き出すと、前の方から自転車を引いた二人の女性が歩いてくる。

歳は私と同じくらい。

一人は茶色く染めたロングヘア。

もう一人は同じく茶髪だがまとめて上で結んでいる。

もしかして同級生?

私と二人組の距離はどんどん近くなってきた。

「あれ?もしかして……瀬奈?」

一人が私を指して声をかける。

この声と面影……。

私はこの二人を覚えている。

「えっ……うそ、友里?綾香?」

「そうそう!友里!!」

「綾香だよ!懐かしいねー!」

「久しぶり!」

さっき思い出したばかりの友里と綾香。

大人になっているけど、面影は残っている。

「いつ帰ってきたの!?っていうか、どうしたの?」

友里が目をぱちくりさせながら聞いてきた。

「うん……ちょっとこっちで働くことになったから」

私は濁して答えた。

いくら仲が良かったと言っても、十年以上も会っていなければすぐに昔のような距離感にはなれなかった。

「おばさん元気?明日にでも挨拶にいくよ」

綾香が笑顔で言う。

「ごめん、お母さんは東京なの。私だけおばあちゃん家に帰ってきたの」

「えっ!そうなんだ!久しぶりに会いたかったなあ~」

「瀬奈の家に行ったときの、おばさんが焼いてくれたクッキー美味しかったもんね!」

残念がる綾香に、昔を懐かしむように友里が話す。

「ごめんね。せっかくなのに」

もう帰ろうと思っていた矢先に旧友に再開した。

 少しの引け目を感じながらも自分の中で大部分を占める高揚感に駆られて、私は二人と国道沿いにあるファーストフードに入った。

最初の話題は私の東京でのことだった。

東京にいる間に両親は離婚、姓は麻宮から母方の桂木に変わったこと。

教職に就いたけどいろいろあって辞めたこと。

そこまで話すと自分でもスッキリしたのか、心の中にあった垣根は消えていた。

「私らなんかこの町から出たことないからね~」

「そうそう。だいたい小学校から高校まであるんだもん。ずっと同じ顔だよ」

友里と綾香はうなずきながら話す。

「でもけっこうこの町から出て行ったよね」

「そうなんだ……どのくらい?」

さっき見たシャッターの閉まったお店を思い出した。

「三分の二くらいじゃない?出て行ったの」

「そうそう。考えてみると寂しいもんよね」

友里に綾香が相槌をうちながら「今や静岡県で一番人口が少ない町だもんね」と、笑いながら言う。

「瀬奈はなんの仕事こっちでするの?」

綾香が聞いてきた。

「中学校の非常勤講師。ほら、私たちが通っていた」

もっとも私が通っていたのは中学一年生の間だけだったけど。

「瀬奈のお祖母さん、桂木先生も中学の先生だったもんね」

「懐かしい」

二人は当時を思い出すかのように言った。

その後は懐かしのクラスメイトの話題に花を咲かせた。


「そうだ!伊佐山君には会った?」

「ううん」

伊佐山譲。

小学校から女子の人気が高かった。

スポーツも勉強もできて、そして周りには内緒で私と付き合っていた。

この二人には話してたけど。

ただ、私たちが付き合っていたのは小学校六年生から中学一年の私が引っ越すときまで。

その後電話で何度か話したりはしたが自然とどちらからともなく連絡は途絶えた。

その頃の私は家の中がごたごたした雰囲気で、そういう気分にはなれなかったというのもあるけど……。

「今は町の役場で働いてるの。ここから川沿いの道に行く途中に町民総合施設ってのがあるのよ」

私がいた頃はそういう建物はなかった。

「そこの図書館にいるから」

「そうなんだ!」

以外だった。

伊佐山君は勉強もできたし、ここより外の世界に行きそうな感じだったから。

「明日にでも行ってみれば?」

「あんたたち付き合ってたんだし」

茶化すように二人が言う。

「いつの話ししてるのよ。もう子供じゃないんだから」

私は笑っていなしたけど、内心では懐かしさでいっぱいになっていた。


「おばあちゃんが待ってるから帰らなくちゃ……ごめん」

「そっか。瀬奈、来週の週末は空いてる?金曜か土曜の夜」

「金曜か土曜?空いてるけど」

基本、今の私に先の予定はない。

今日は祖母が夕飯の支度をしてくれているので帰るだけだ。

「来週、三人で飲み行かない?」

「いいね!」

友里の提案に綾香が手を叩く。

私も話し込んだおかげで大分距離を感じなくなった。

三人でいると共通の懐かしい出来事をいくつも思い出す。

「行こう!何時にする?」

私は乗り気だ。

「となりのコンビニに6時は?」

「OK!」

「決まり!」

中学以来、十数年ぶりの女子会は来週の金曜日、夜6時に決まった。

「先の楽しみができるとバイトも楽しくなるね」

「いえてる」

「バイトって?」

二人に聞いた。

「バイトって言っても半分はボランティアみたいなもんだよね」

「そうそう」

話を聞くと友里と綾香は地域の町興しとかを手伝っているらしい。

それの一貫でホテルのバイトも。

二人の話によると周りのお年寄りとかに気を遣うので違う意味で疲れるのだとか。

でもホテルには若い子がけっこういるので息抜きができると言った。


連絡先を交換して友里、綾香と別れたあと、私は気分が良かった。

もちろん私の状況が変わるわけじゃない。

でも楽しい気分は必要だ。

くさくさした気分を払って、見える景色を明るくしたい。

帰る道すがら紫色の空を見上げながら思った。


その日の夕食時に私は無意識のうちに嬉しさを表情に出していたのだろう。祖母に指摘

された。

「瀬奈、なにかいいことあった?」

「えっ…なんで?」

「やけに表情が明るいから。ここにきてはじめて見たから」

「そうかな……」

気にかけて見てくれているものだと思った。思わず照れくさくて笑みがこぼれる。

「ついさっきまで友里と綾香と一緒だったの。散歩してたらばったり会ってさ……国道沿いのファーストフード店ってわかる?コンビニの隣にある」

「うん。あそこね」

「そこでけっこう話し込んじゃった」

「そう。あの子たちは明るくてシャキシャキしてるいい子だよ。町会のことも手伝ってくれるしね」

「そうなんだ」二人が愚痴っていたことは言うまいと思った。

「ここらも商売が上手くいかなかったりで、だいぶ人が出て行ったからねえ……商店街も静かになったものだよ」

「うん……友里と綾香も言ってた。私がいたころの友達はだいぶ出て行ったって」

 そう考えると小学生の時に町を出て行った自分が戻ってきたのは不思議な気分になる。

他のみんなどういう気持ちでこの町を後にしたのだろう。

「それでさあ、二人とも話したんだけど私もなにか町のこと手伝えないかな?」

「瀬奈が?いいんだよ気にしなくて。あんたはまず講師の仕事を頑張りなさい」

「でも空いてる日が結構あるし、休みの間ふらふらしてるのも暇だし」

「気持ちはうれしいけど、休みの日は休みで授業の準備とかいろいろあるんだから大変よ」

「わかってる」なんだか明るい雰囲気の食卓になった。

「ねえおばあちゃん」

「ん?」

「おばあちゃんが言ってた「蛇餓魅」だけどさあ、あれなんだかわかったよ」

「そんなことを調べてたの?」 祖母は半ば驚いたように私を見た。

私は前にスマホで検索した内容をかいつまんで話した。

「もとはここいらにある大蛇伝説でしょ?」

それを聞いた祖母は「そう」と短く返すと冷えたお茶を飲んだ。

「違うの?」 コップをテーブルに置いた祖母は笑みを見せながら言った。

「ここらでは、私が口にしたのはちょっと違うのよ……」

「えっ?なにそれ?」

「伝説というのはいろんな伝わり方があるんでしょうね……いろんな言い伝えも全国で一字一句同じなわけはないし、同じ場所でも少し離れただけで違ってくる。まあ…… そんなもんよ。とにかく興味を持つのは止めなさい。もう大人なんだから」

笑いながら言う祖母に若干の違和感を抱いた。

「そういえば昔、幽霊とか見えるって言ってたじゃない」

「それがどうかしたの?」

「じゃあ、例の蛇餓魅っていうのも見たことあるの?」 聞いた瞬間、祖母の柔和な笑顔の一端が強ばったような気がした。

「見てない……感じたこともない……聞いただけだね……」

「ふうん……」 もっと聞いてみようか躊躇われるような雰囲気だ。

「とにかく。もうそんな話はよしなさい。それより来週からの講義は大丈夫かい?なんなら大先輩のよしみでいろいろ話を聞こうか」

「ほんとに!?それ助かる!……でもスパルタそう」

「あたりまえじゃない」祖母が笑うと、私も同じように笑った。

 ここにきてまだ一週間だけど、こんな話せるなんて最初のうちには考えもつかなかったな。

目の前に盛られた白身の刺身をつまむ。

「美味しい!」

「でしょう?おとなりが朝方に釣った縞鯛をいただいたんだよ」

「となりって佐藤さん?」


和やかな食卓の後にお風呂に入って私は二階の部屋へ行った。

外は静かなもので、東京にいたころとは比較にならないくらいの早い夜。

そういえば私がここに来たとき、部屋はきれいに掃除されていて埃一つなかった。来た当初はそんなことに気が付きもせずに塞いでいた自分を思い出す。

祖母は私が来るからと掃除してくれたのだろう。そう思うと感謝せずにはいられない。

心に余裕ができるってこういうことなんだろうな。普段なんとも思わないことにも気がまわる。


部屋はクーラーをかけていたけど、窓を少し開けてみた。風にのってわずかだが波の音と花火で騒ぐ声が聞こえてくる。もしかして私がお世話になる学校の生徒かもしれない。楽しそうな声だ。

 自分の学生時代を思い出すと、6月くらいになる時期、特にもうすぐ夏休みになると思うと妙に浮かれた気分になってものだ。

 冷蔵庫から持ってきたチューハイの缶を開けて口にした。冷えてて美味しい。波と花火の音を聞きながら、風にあたって冷えたお酒を飲む。この辺では普通に当たり前のことがひどく贅沢に感じた。時間も止まったようにゆっくりに感じる。今はこの感覚に浸っていよう。

しばらくするとスマホのトークアプリに友里からメッセージが届いた。

綾香と三人でグループ登録しようという内容だった。

早速登録して三人で話す。

下に降りて冷蔵庫から二杯目の缶チューハイを持って部屋に戻る。

いつの間にか花火は終わって波の音だけが聞こえていた。

吹き込む夜風が私の髪を揺らし頬をなでると少し開いた窓に視線をやる。

あっ……

また「蛇餓魅」を思い出した。

そして昔、祖母が口にした「蛇餓魅に連れていかれる」「誘われる」という話。

私が検索した結果だと、この地方にはずっと昔に大蛇が住んでいた。

その大蛇は山から山に移動する際に動物や人間を襲って食べたという。

そこで信州の猟師に退治をお願いしたが、猟師は大蛇に食べられてしまった。

その猟師には二人の娘がいて弓の上手だったという。

二人は父の仇と大蛇退治に乗り出して、窪みに身を潜め待ち伏せをすると見事大蛇を仕留め父の仇を討った。

姉妹のうち姉は惜しまれながらも故郷に帰った。

帰る際に小杉を植えたという。

そこに大蛇を祀る神社を建てたのだとか。

それが町の外れに位置する小杉原という場所で、神社は大蛇院と呼ばれている。

姉妹が身を隠した窪地の岩の一部を御神体にしたとか。

そして妹の方はこの地に残り、村の男と結ばれたという話だ。

因みに姉妹は類まれない美しさだったという。

後に大蛇院の他にもこの町には大蛇を鎮める祠や神社が存在するらしい。

でも祖母はここの地域というか近辺では違うと言っていた。

なにが違うのか……?

まあいい。このての迷信というか都市伝説みたいなものに地域での違いなんて気にしたらきりがない。

それに「連れていかれる」なんてあるわけない。

怖い話としては面白いんだろうけど。

心地よい夜風にあたりながら缶チューハイをあおった。

遠くから女の子の楽しそうな笑い声が聞こえた。

夜空を見上げると月がくっきりと夜空に浮かんでいた。

その近くにある星が一際大きく輝いて見えた。

今まで夜空なんてじっくり見たことがないせいか、やけに珍しい光景に見える。

しばし見慣れない夜空を眺めていると、また祖母に言われたことを思い出した。

ここいらでは昔、人が死ぬときには月がでて大きな星が近くに見えると言われていたらし

い。

後はカラスの鳴きが悪いとか。

そういう禍事の知らせのように言われるのは、この夜空が珍しいものなんだろう。

大気のせいでそう見えるのか、理由はわからないが、少し得をした気分になった。




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