渚さんとの甘い二日間を過ごした後は、ひたすらバイト。忘年会シーズンだ。目が回るような忙しさだった。
大晦日にJR岡山駅まで行き、そこで母と待ち合わせた。
「瑠偉! 元気そうじゃなぁ!」
「母さん。ただいま」
母は茶髪に染めており、それを高い位置で一つに束ねていた。僕は母が十九歳の時に生まれた子供だ。計算すると今三十八歳。それにしては若々しいと思う。
定食屋で昼食をとり、そこから車で二時間。途中、「西川飯店」が見えるところを通った。赤い屋根の目立つ店は何も変わらない。父はまだ営業中なのだろう。
そこからさらに十分ほど。僕の実家が見えてきた。
「なんか大きゅう見える……」
祖父母が亡くなるまでは、家族五人で暮らしていたから、平屋だが部屋の数は多い。玄関には母の趣味である刺繍の飾りが置いてあり、帰ってきたことを実感した。
僕の部屋は何も変わらず残されていた。児童向け文庫も図鑑もそのままだ。引き出しを開けると、文房具と一緒にビー玉が出てきた。
仏間で祖父母に手を合わせ、縁側でタバコを吸った。母がやってきて隣に座った。
「帰ってこなんじゃというこたぁ、特に困っとらなんだんじゃなぁ」
「うん。一人暮らしの先輩もおるし。軽音サークルに入った話はしたじゃろう」
「ボーカルやっとるの?」
「動画観る? ネットにあがっとる思うけぇ」
僕はスマホで母に動画を見せた。僕だって確認するのはこれが初めてだった。歌う僕の姿を、母はどう受け止めたのだろうか。ちらり、と顔を見た。
「カッコええじゃねぇ。さすが母さんの息子じゃなぁ!」
「へへっ……」
「それ母さんに送って」
「はいよ」
自分の部屋で昼寝をして、出前の寿司を食べて、風呂に入って。父が帰宅したのは今年もあと少しで終わるという頃だった。
「父さん、ただいま」
「瑠偉。元気にしとったか?」
「うん」
父は母と同い年。高校の同級生だったらしい。二人が卒業する間際になって、僕の妊娠がわかって。そのまま結婚した、というのは何度か聞かされた話だった。僕の背の高さは父譲りであり、今は同じくらいの身長だった。
「瑠偉、酒でも飲むか?」
「要らん。僕、よえーみたいで……吐いた」
「じゃあ仕方がねぇなぁ」
テレビのカウントダウンを観て年を越し。僕は布団に入って渚さんに電話した。
「明けましておめでとうございます、渚さん」
「おう、今年もよろしくな」
「今年の渚さんの声、聞けた」
「なんや、そんなに嬉しいんか?」
「はい、嬉しいっす」
一泊だけで神戸に戻ることにしていた。渚さんとの念願の初詣は二日。僕は寝返りをうった。
「渚さん」
「なんや」
「僕のこと、好きですか?」
「うん……好きやで」
「僕も好きです」
「可愛い子やなぁ」
早く、早く会いたい。隣の県なのに、物凄く遠く感じた。
「で、久しぶりの実家はどうや?」
「何も変わってなかったんで安心しました。両親も元気そうでしたし」
渚さんは今、孤独にあの部屋にいるはず。すぐに行って抱きしめたくなったが、「スプートニク」の歌詞にもあった。
――時々は一人になるのを許してね
だから、あまり電話を長引かせないようにしようと決めた。
「二日、楽しみにしてます。好きですよ、渚さん……」
「俺も瑠偉のこと好きやで。ほな、おやすみ」
電話を切った後、スマホを握りしめて布団の上をゴロゴロと転がった。
――好きじゃって。僕のこと、好きじゃって。
何度もその言葉を反復して、幸せな眠りについたのはいいのだが。翌朝、お節料理が並べられた席で、母がこう言った。
「瑠偉、彼女できたんじゃなぁ」
「……はっ?」
「渚さん? 可愛い名前じゃなぁ」
「聞いとったの? 卑怯じゃ!」
父も言ってきた。
「神戸の女の子? そりゃあすぐに戻りてぇよな」
二人とも盛大に勘違いをしている。でも、渚さんが男だと知られたらどんな反応をされるのか。僕は訂正することができなかった。
それ以上の追撃が来るのがこわくて、僕は部屋に引きこもりスマホでゲームをしていた。昼食は父のチャーハンだった。父が言った。
「結婚するんじゃったら早めに連れてこい。楽しみじゃ」
「まだ付き合ったばかりじゃ……」
僕は今さら、結婚できない相手と付き合ったことの重みを知ることになった。渚さんと共に歩むことを決めたけど、そうするにはいくつものハードルが存在するのだ。
帰りは父が運転してくれた。父はやたらと渚さんのことを聞きたがった。
「同じ大学か?」
「そうじゃ」
「同級生?」
「年上」
「可愛い? 写真は?」
「うるせぇなぁ」
さらに、母からとんでもない連絡がきた。自治会の人たちに僕のライブの映像を触れ回ったらしく、それが評判になってしまったのだとか。
「教えるんじゃなかった……」
「ええじゃねぇか。母さんも自慢しとうて仕方がねぇんじゃろう」
父と別れ、電車の中で、僕はそっと渚さんと二人で撮った写真を見返した。僕の大切な恋人。でもまだ、家族に紹介する勇気がない。果たしてその日は来るのだろうか。