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第27話

 ──取材を終えてからも、優斗は呆然とソファに座り込んだままだった。


 宮野からもたらされた情報が、うまく頭の中で構築できない。陸が他人に対して攻撃的だったという話すら納得しきれない内に、さらに自分が正体不明の何者かで、本当は陸こそが三科家の人間だという。


 ただでさえ親族を亡くして疲弊し尽くしている脳が、理解を拒んでも仕方がない話だったのかもしれない。


 あまりにも、優斗がこれまで持っていた世界からかけ離れすぎている。そのせいかどれもこれも断片的な情報としか思えず、一つに繋がってはくれなかった。


 どこも見ていない視界の中に、やがて心配そうな顔が入ってくる。


「優斗くん、大丈夫?」

「……陸の、お母さん……」


 口に出して、そうじゃないのかと項垂れる。


 陸の両親は優斗が両親だと思っていた二人だ。だから目の前にいる稲本友理奈のことは、陸のお母さんなどと呼ぶべきではない。


 しかしそう考えてしまうと、優斗という存在はどこにあるのか。


「あぅ、うう、うぅうううう……!!」


 堂々巡りを始める脳が頭痛を訴え、次第に優斗の表情は耐えがたい苦痛に歪んでいた。


 頭を掻きむしり、抱え込み、なぜこんなことになってしまったのかと涙が出てくる。それを哀れみの表情で抱きしめ、友理奈は心底苦しげに頬をすり寄せた。


「かわいそうに、ごめんね。本当にごめんなさいね。こんなことになるならあの日、大輔くんのお願いなんて聞かなければよかった」


 抱きしめられながら、優斗はじんわりと髪が濡れていくのに気がついた。


 泣いている。なぜ?

 後悔して。なにを?


 三科大輔の願いを聞いたから。それはなんだ?


 優斗が顔を上げたことに気付き、友理奈も正面から優斗を見る。後悔を示すように眉尻が下がった表情で唇を噛んだ友理奈は、落ちついて聞いてちょうだいと口火を切った。


「こんなことが起こらなければ一生、優斗くんと陸には話さないつもりだったことよ」


 この切り出しで、優斗はその内容を予感した。


「……陸が三科家の子だって、知ってて育てたんですか?」


 問いかけに、友理奈は静かに頷く。


「俺がどこで生まれた、誰の子どもかも、知ってるんですか」


 再び、頷く。


「先に結論だけ話しましょうか。──優斗くんはね、本当はうちの子」


 目を細めて口を開いた友理奈に対し、優斗は目を見開いて受け止める。


 疑問を口にするでも、狼狽えるでもなく息を飲むと、くしゃりと前髪を握りしめた。


「……なんだよ、それ。わけわかんないよ」


 そのまま、ソファの上で顔を覆って蹲る。


「分からないわよね。急な話だし、他人から聞かされたあとにこんなことを言われても納得できないのは分かるわ。でも話しておくべきだと──」


 優斗の肩に添えようとした友理奈の手を振り払い、指の間から引き攣った声が漏れた。


「聞きたくないです。今は嫌です! いきなりそんなこと言われたって、頭に入るわけないじゃないか……!」


 より体を縮める優斗に、友理奈はなにも言わずただ隣に腰を下ろしたままだった。


 落ちつくのを待つつもりだろうかと脳裏をよぎるも、もはや優斗には、それが友理奈の自己満足以外には思えなかった。


 現在の優斗は、身内から、世間から追い立てられ、四面楚歌だ。稲本夫妻は唯一の庇護者だったはずが、ここにきて優斗を裏切り、最後の追い込みをかけているように思えた。


 どこかに行ってくれと願いながら、どこかに行くべきは本来自分なのだと自覚する。


 しかし行く当てなどあるわけもない。消えてしまいたいと、泣きながら願う。


 そんな優斗の傍らに座ったまま、友理奈が口を開いた。


「ここからはね、私の独り言。ドロドロした大人の思い出語りよ。だから聞きたくなければ、寝ちゃっていい。──私ねぇ、三科さんの家にすごく憧れがあったの」


 ほんの少し、優斗の目が友理奈を見る。


 うっすらと笑みを浮かべるその顔は、夢見心地の少女のようにも見えた。



  ■   □   ■



 友理奈は昔から、欲しがりの少女だった。


「お母さん。お母さんが食べてるアイスちょうだい」


「お父さん。あの子がこんなオモチャ持ってたの。私にも買って」


「その消しゴムめっちゃ消えるよね。私にくれない? 消しゴムくらい、いいでしょ?」


「私の方が可愛いし、あの子二股かけてるって噂あるんだよ。彼女なら私にしなよ」


「この企画の大元は私なのに、あなたがプレゼンするなんておかしいわ。せめて連名にすべきでしょ? じゃなきゃあなたが私の企画を横取りしたって、人事に言いつけるから」


 幼児期から社会に出るまで一貫し、友理奈はなんでも欲しがった。


 駄菓子、私物、恋人、名誉。欲しいと思ったものは手当たり次第だ。しかもそれを根回しと機転で手に入れてしまうことから、疎まれる反面、賞賛されることも多かった。


 その中で、誰かが言った。


「友理奈って、もしかして三科って家の親戚だったりする?」


 小馬鹿にしたような言い方だったと思う。しかし意に介さず、友理奈は瞬いた。


「三科ってなに?」

「知らない? 山奥に住んでる、座敷わらしが家にいるお金持ち。欲しいものは全部座敷わらしが持ってきてくれるって。だからなんでも欲しがる友理奈も、もしかしたら……」

「え、なにそれ最高じゃない!?」


 嫌味を遮り、友理奈は目を輝かせた。


 友理奈はなんでも欲しがる。強請(ねだ)れるものも、奪えるものも、掠め取れるものも、欲しいと思ったものは手段を問わず手に入れてきた。


 その友理奈が、欲しいものを持ってきてくれる座敷わらしの話を聞いて、なにを思うか。


 ──答えは明白だった。


「ねぇねぇ、三科さんちって校区で言えばどの辺りにあるの?」


「同級生だった子とか、誰かいないかな」


「噂でもいいから、なんか教えてよ」


「ねー、三科さんって人知らない?」


 三科家に関する情報なら住所、家族構成、噂話までなんでも集め、稲本家に嫁いでからもそれは続いたらしい。縁さえあれば、そのおこぼれに預かれると睨んでのことだった。


 そして結婚して数年。友人のツテでついに、当時新婚だった大輔と顔を合わせた。



  ■   □   ■



 その話を聞いた頃には、優斗はすっかり友理奈の話に聞き入っていた。


「……まさか陸のお母さんは、父さんと……っ!? じゃあ俺は二人の……!」

「それは違うわ。話は最後まで聞きなさいな」


 不倫は否定しないまま、クスクスと笑う友理奈の神経が優斗には理解できなかった。


 なにを話そうとしているのかも分からない。ただはっきりと言えることは、優斗が友理奈を恐ろしく思い始めていることだけだ。得体が知れない、と言ってもいい。


 考えてみれば、友理奈は陸が死んだと分かった日から、一度も優斗を責めたことがない。


 陸の父親からも表立って責められたことはないが、夜中、優斗を逗留させる辛さを吐き出しているのを耳にしたことはある。友理奈はそのときも愚痴に同調せず、そっとその苦悩を慰めるだけだった。


 優斗はそれを優しさだと思っていたが、そんな生易しいものではないのだと確信する。


「お互いに伴侶のいる身だったし、偶然同じ時期に妊娠が発覚してね。自然と別れることになった。……だけど大輔くんは、出産直後の私に会いに来てね」


 足先から冷えていく感覚がした。


 聞きたくないとも思った。なのに言われるまでもなく、想像がついてしまった。


 陸の顔と、──陸が書いた日記の一部が頭をよぎっていく。


「知ってた? 優斗くんと陸の誕生日は一日違いなの。しかも茜さんは出血多量で、入院中は子どもと顔を合わせられなかった。……この辺りは産院が少なくて、みんな同じ病院で産むんだけど……大輔くん、私の病室に来て言ったのよ。交換してほしいって」

「子どもを、ですか」

「そう」


 満面の笑みだった。


「もちろん私は、産んだ直後からあなたが愛しくてたまらなかった。絶対に苦労させずに育てようと思ったわ。そして大輔くんは茜さんの容態を見て、子の……陸の健康状態に不安を持った。跡継ぎなら丈夫な子がいいと考えたんでしょうね」


 そんな馬鹿な、と思ったけれど、なにも言えなかった。


「主人だってそれなりの稼ぎはあるけれど、結局は中流家庭。あなたに何不自由ない生活をさせてあげられるほどじゃない。だから、私は大輔くんの提案を受け入れた。あなたを三科家で育ててもらうことにしたの。……異常かもしれないけれど、私なりの愛だった」


 優斗は返事さえできなかった。


 異常だと認識しているのなら、なぜ平然とそんな真似ができたのか。愛情だと言いつつ、なぜマスコミがDNA鑑定を持ちかけた直後にこんな話をするのか。


 すべて、意味が分からない。


「陸の、ことは」

「うん?」

「陸のことは、可愛がってなかったんですか」

「もちろん愛してたし、充分可愛がったと思ってる。だけど……」


 友理奈は困ったように眉尻を下げた。


「結局、他人の子なんだもの」

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