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座敷わらしの標
座敷わらしの標
井之上みこと
ホラー怪談
2025年03月05日
公開日
10.7万字
完結済
稲本 陸の親友・三科 優斗の家には、座敷わらしが出る。
そのお陰で三科家には莫大な財産があり、男系血族全員が同じ敷地内に住み、働かないまま裕福に暮らしているという現実離れした話に、学生作家を志す陸は好奇心を刺激されていた。
優斗から誘われ、陸は夏休み、三科家本宅で二週間滞在することになる。しかしそこで目にしたのは、ギスギスとした人間関係と、三科家所有の山に不法投棄されていたという、刻銘のない墓石だった。
優斗の大叔父であり三科家当主でもある清に誘導されてこの墓を埋めることになった陸だが、その直前直後から、身の回りにおかしなことが起き始める。

※表紙写真は写真ACより、ぎゃーとるさんの「日本人形」を加工して使用しています

第1話

「三科優斗です! うちの家には座敷わらしがいます!」


 これが俺の友人の第一声、自己紹介だった。クラス中が悲鳴みたいな、歓声みたいなものであふれたのを、よく覚えてる。


 優斗とは中二の時、山奥にある分校との統合がきっかけで同じクラスになった。なんでも分校生が優斗一人になるせいで、統合が決まったそうだ。


 自己紹介のインパクトか、優斗は転入早々、話題の中心になった。小学生の頃、文庫の怪談シリーズがブームになっていたのも原因かもしれない。座敷わらしという言葉に反応した同級生が多かったんだ。


 学生作家を目指している俺──稲本陸も、もちろんその一人だ。


 家に幸運を運んでくる妖怪、座敷わらし。それが家にいるなんて聞いて、ワクワクしないわけがない。少し自分にも幸運を分けてもらえるかもなんて、ちょっとした下心も顔を出す。なんせ中学生だ。欲しいゲームもあるし、小遣いだって増やしたい。中には授業で好きな子と二人で組まされたい、なんてささやかな願いを持っている人間だっていた。


 しかしそのワクワクも、半年もしない内になくなってしまう。


「うっわ、またヤマ外したー!」

「またかよ優斗ー」

「お前この前も、大事なもんなくしたとか言ってなかった?」

「マジでお前、運ないよなー。家が金持ちってだけでじゅうぶん勝ち組だけど」

「陸は? テストどうだった?」

「ヤマ全部当たって、九十五点!」

「怖すぎ……。優斗、陸から運もらえよ」

「あっはは! もらえるもんなら俺だってもらいたいよ!」


 こんな会話が日常になるほど、優斗がとんでもなく運が悪いと分かってしまったからだ。やがて俺以外、クラスメイトのほとんどは座敷わらしの話を嘘か冗談だと判断し、気にすることもなくなっていった。


「優斗、今日も遊びに行っていい?」

「うん。宿題やる?」

「いや、今日はダラダラしよう」

「賛成ー!」


 優斗と俺は生活リズムというか、スタンスというか、とにかくそういうものが妙にしっくり合っていた。なにもしなくても退屈しない。まるで兄弟みたいな空気だ。知り合って二か月も経たない内に、優斗と俺は何度も家を行き来するくらい仲良くなっていた。


 それから一年。


 中学三年の一学期末テストを前にした、昨日。テスト勉強をしに来ていた優斗が、思い出したように言った。


「そうだ陸。夏休み、うちんちに泊まりに来ない? 二週間くらい」

「え、二週間!?」


 驚きすぎて、握っていたシャーペンの芯がポキンと音を立てて空を飛んだ。


「……夏休みの半分も? え、いいの?」

「うん、うちは全然問題ない。家族にも許可はもらったし、陸なら歓迎されるよ」

「家族って──もしかして俺、本宅に招待されてる?」

「当然、座敷わらしが出るほうの家。……小説のネタにできるだろ?」


 にんまりと笑った優斗に、俺は思わず声を上げそうになった。


 優斗は転入以来、学校に近い一軒家でお母さんと暮らしている。別に両親の仲が悪いわけじゃない。学校と本宅が遠すぎるからって、通学用の家を用意されたそうだ。


 本宅は街から、車で片道三十分以上走った山の中。分校への通学も車だったと聞いたから、よっぽど遠いんだろう。だけど通学のために家を買ったと聞いたときは、心底驚いた。うちも貧乏ってわけじゃないけど、まるで別世界だ。現実味がない。


 ともあれ──突然の誘いに、とにかく驚いた。


「ちょ、ちょっと待ってて!」


 友だちの家に長期宿泊となれば、親に許可をもらわないわけにはいかない。俺は優斗を部屋に残し、バタバタと音を立てて階段を下りる。足がもつれて、派手に転がり落ちそうになるのをこらえながら、なんとかダイニングキッチンに駆け込んだ。


「母さん!」

「コラ陸、バタバタ走るんじゃないの! 優斗くんに笑われるわよ!」

「夏休み、優斗んちに泊まっていい!? 本宅のほう!」


 行儀がどうとか、今はそんな説教をされている場合じゃない。少しでも興奮を伝えようと、あえて母さんの注意を無視した。


 たぶんギラギラな俺の目を見て、夕食準備を進めていた母さんがきょとんとまばたく。


「本宅って──座敷わらしがいる?」

「そう!」

「お泊まりに誘われたの?」

「そうそう!」

「あら、本当に!? すごいじゃない!」


 母さんは俺以上にはしゃいだ。俺が今でも優斗の話を信じてるのは、母さんが原因だ。




 優斗と知り合った始業式の日の夜、母さんに転入生のことを話していたときだ。


──もしかして……座敷わらし?


 転入生が面白い家に住んでると言ったとき、母さんはこう言った。


 カレーを食べながらの会話だ。そうそうってうなずいて、母さんを見た俺の目に飛び込んできたのは、見たことのない母さんの顔だった。


──そう。やっぱり──三科さんの家の子なの


 あの時の母さんの顔。目を見開いたまま薄ら笑いを浮かべていた母さんの顔がなんだか怖くて、俺は今でも夢に見る。


 なんとか会話を続けようと、何か知ってるのかと聞いた俺に、母さんは何事もなかったようにカレーを食べながら話してくれた。


 なんでも、代々座敷わらしを祀ってて、親戚全員で大きなお屋敷に住んでるらしい。しかも誰も働いてもいないんだ、と。


 これを聞いて、驚くと同時にホッとした。いつもどおりの母さんに見えたからだ。


 優斗の家の事情はこうだ。誰も働かなくても、お金も食べ物も、欲しいものは座敷わらしが運んできてくれるらしい。たとえそれが他人の恋人でも、だ。


 母さんはこれを噂だと笑っていたけど、ただの噂にしたって、とんでもない話だ。ご先祖の遺産や不労所得だって話もあるみたいだけど、どっちにしたって贅沢すぎる。


 働かなくても親戚全員が暮らしていけるなんて、まるでマンガの中の存在だ。一庶民が想像できる金持ち像とは、ちょっと格が違う。


「その子、違う環境に放り込まれて、きっと寂しいはずよ。仲良くしてあげてね。そしたらきっと、いつか座敷わらしにも会えるだろうから」


 そう言って笑った母さんに、俺も心から同意していた。




 そんな日が、ついにきたわけだ。カウンターキッチンの向こうで、母さんが笑う。


「あちらのご家族からはもう許可が取れてるの?」

「うん。優斗はそう言ってた」

「じゃあいつお泊まりするのか、ちゃんと二人で相談しなさいね」

「あー……それなんだけど」


 さすがに二週間も泊まる誘いだなんて、ちょっと言い出しにくい。でもその口ごもった言い方を、母さんは許してくれなかった。


「なによ陸。言いたいことがあるんだったら、ちゃんと言いなさい」


 母さんが少しイラつき出す。話すときは歯切れよくというのが、母さんの教育方針だ。


 このまま引き延ばしても、逆に母さんのイライラが溜まる。それなら早く言ってしまったほうがいいと考えた俺は、祈るような気持ちで拳を握った。


「二週間、泊まらないかって誘われたんだけど!」


 目をつぶってようやく言えた言葉に、返事はない。聞こえたのはフライパンの中身が焼ける音だけだ。


「二週、間」


 声に抑揚がない。恐る恐る目を開けて確認した表情も、髪に隠れてよく見えなかった。


「そんなに長い間お邪魔して、ご迷惑じゃないかしら」


 静かな、静かな声だった。


 怒っているわけじゃない。かと言ってあせったり、困ったりしているわけでもない。


 俺には、その感情が読めなかった。


「それも……許可取ったって言ってたから」

「──そう」


 不意に悪寒が走った気がした。


「じゃあ行ってきなさい。くれぐれもあちらのご迷惑にはならないようにね」

「う、うん」


 顔を上げた母さんは笑顔だった。だけどこのじっとりと冷や汗がにじむような感覚は、一年前から知っている。


 あの──


 母さんの得体の知れない笑顔を見た時の感覚と同じだと、俺の直感が告げていた。


「じゃあ俺、優斗にも伝えてくるよ」


 不自然にならないようにダイニングを出て、階段を上がる。だけどたった二段上がっただけで、俺の足は止まってしまった。


 壁に肩を預け、深く息を吐く。一瞬にして張り詰めた糸が、緩んだ気分だった。


 普段、母さんは別に怖い人じゃない。もちろん怒らせると鬼の形相だけど、そんなのはどの家の母親も同じだと思う。その程度に普通の人だ。


 優斗に対してもニコニコ挨拶してるし、なんなら夕食まで食べさせて帰すくらいには気に入ってる。優斗のお母さんとの付き合いはないらしいけど、いつか挨拶にでも行くつもりなのか、どんな人なのかとか、いろいろと優斗から聞いているみたいだ。


 だからなにかあるとしたら優斗の家──三科家に対してなのかもしれない。


 なにか思い出とかあるんだとしても、あまり聞き出したいとも思えなかった。俺はため息を吐き、優斗の待つ部屋に戻る。部屋のドアを開けたとき目に入った優斗が、試験勉強なんて忘れたようにマンガを読んでいたのに笑ってしまった。




 ──パタンと音を立てて、かつて書かれた日記を閉じる。今となっては紙もところどころ破れ、水に濡れたページもよれてしまっていた。


 唇を噛みながら読み返していたはずなのに、いつの間にか、重苦しいため息が漏れ落ちる。この日記を読み返すといつも同じだ。そして、いつも同じことを考えてしまう。


 泊まりなんてやめておけばよかったと。


 いや──決行したとして、あんな頼みを聞くべきじゃなかった。たとえ三科家の人間からどう思われようと、あれに触れるのはやめたほうがいいと、これ以上欲を持つのはやめるべきだと、一言でも進言していればよかった。


 言ったところで、聞き入れられたとは思わない。だけどもしかして、万が一にも思い留まった人がいたかもしれない。そうすればあんな惨劇に巻き込まれず──知りたくなかった事実を知ることもなかったかもしれない。



 あの、墓銘のない墓にさえ触らなければ。


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