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エコー

 住宅街の真ん中を突っ切るように、まっすぐに一本道が続いている。つきあたりを曲がると唐突に狭い三叉路にでくわす。一番細い分岐を選ぶとその先はゆるい下りの階段になって、さっきまでのまっすぐな道とは正反対の、曲がりくねった道につながる。


 スーパー銭湯の帰り道はたいていこの道を歩いている。歩くたびにポケットの小銭が鳴る。社員寮から銭湯まで、わざわざ財布を持って出るほどの距離でもない。


「晴れたな」

 隣を歩くひょろ長い手足の男がそういって、ポケットから煙草を取り出した。

「昼間は雨だったのに」

 隣の男にそう答えて夜空を見上げた。今日は月が出ていない。


「明日は晴れるのかな。一日くらいは晴れてほしいね。連休だしね」

 隣の男はライターをひらめかせた。半袖からつきだしている腕が長く、足も長い。なのに並んで歩くと歩調はたいてい会っているのが、いつも不思議だった。


 ひょろ長い手足の男は、住宅街を抜ける一本道のちょうど真ん中あたりに来たとき、いつも煙草を吸いはじめる。そして一本道から階段の小道にさしかかり、下まで降りた時に吸い終わる。計算しているのか、たまたまなのか。


 とにかく階段をおりたところには煙草の自動販売機があって、その前に灰皿が置いてあるから、彼はそこへ吸い殻を捨てるのだった。寮の部屋でも煙草を吸わないし、たまに吸う時は屋上の物干し場のあたりまでわざわざ吸いに行く。それほどヘビースモーカーというわけでもないらしい。


 そんな習慣を知っているのは、もう何度も彼の部屋へ入っているからだ。自分だって独身寮に住んでいるが、自室にひょろ長い手足の男を入れたことはない。入口に管理人がいるホテルのような作りで、社外の人間を呼べるような部屋ではないのだった。一方、ひょろ長い手足の男の寮はワンルームマンションのような建物で、管理人も常駐していない。猫除けのペットボトルが置かれた花壇は草ぼうぼうだし、ふたりで外階段から上がっても、誰も気に留めていない。

「入れてもべつにかまわんでしょ、減るもんじゃないし」

 と、ひょろ長い手足の男はいうのだった。


 彼の手足は筋肉質だが細く長い一方、首は太めだし肩は厚い。逆三体型というやつだ。

 風呂でも寮の部屋でも彼の裸は見ているから、もう慣れたといっていいのだが、それでも少しうらやましかった。なで肩の自分は少々ジム通いをしたところで、あんな体型になれるかどうか。


 煙草の火がすっとホタルのように光る。ひょろ長い手足の男から風呂上がりのシャンプーと煙が立ちのぼる。

 煙の匂いが嗅ぎ慣れないもののように思えた。階段を降りながら「今日の煙草、いつもとちがう?」とたずねてみる。


「ああ、うん。わかる?」

 ひょろ長い手足の男は一段下からふりむいた。するとちょうど目線が同じくらいになる。

「なんていうの? 煙草らしい匂いっていうか……オヤジが吸ってた煙草みたいだ」

「いつもはメンソールだからね」とひょろ長い手足の男はいった。

「今日はエコー」

「聞いたことあるな。昔からある煙草?」


 一段下を行く男のひょろ長い腕の先で、オレンジと黄色のパッケージが光った。一段下へ降りて彼に並ぶと、ふうっと煙を吹きながらさらりといった。


「知ってた人がこれを吸っててさ。だいたいこのあたりに亡くなったから」

「だいたいこのあたり?」

「詳しい日時がわからないらしい。とにかくだいたいこのあたりの日でね。彼岸に死ぬと命日に法事をやってくれないからすこし前にやるらしいよ。三回忌とかね」


 それ以上つっこんだことを聞くのはためらわれた。故人が吸っていた煙草を買うのは、きっと線香を上げるようなものだろう。どこか懐かしい匂いだった。焦げたような昔の煙草の香りだ。


 階段をふたりで降りていくとわずかにずれた間隔で足音が響く。ひょろ長い手足の男はいつものように階段の下の灰皿に吸い殻をおとし「うち来る?」とたずねた。

「あ……うん」

「今度、温泉でも行こか」


 これはいつもと違うパターンだ。思わず「え?」と見返すと、ひょろ長い手足の男は真顔で「寮のシャワー狭いし。銭湯は広いけど、ただの風呂だし。次の連休でも」という。

「次の連休って、体育の日?」

「じきにスポーツの日って名前になるらしいよ」

「じゃあ温泉で卓球するか」


 都会の夜空は濃い藍色で、星はひとつかふたつみえればいいところだ。白い雲がところどころにぽかりと浮かび、歩道を二人分の足音がこだまする。



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