雨が降っている日に、わざわざ屋上まで行って休憩する人間は少ない。
だから彼はなんとなく予感していた。予感というより妥当な推測というべきか。その後も何度か同じ男と屋上で顔を合わせた。三日に一度は休憩シフトも一致して、同じ時間に同じあずまやで、ひとつ置いたテーブルに座っている。向こうはスマホではなくいつも文庫本を広げている。眼鏡をかけていて、年はおなじくらいだろうか。スーツがやたらと似合ってみえるのは、座っているときの姿勢のせいか。
何回かすれちがっても彼は一度も声をかけなかったし、向こうもこちらに気づいているような気はしたものの、目礼ひとつ交わさなかった。同じ職場といっても、コールセンターでの人員の入れ替わりは激しい。向かいのブースにいる同僚の顔が数か月のあいだに何度も入れ替わっていた、ということだってある。
そんな彼がついに男と言葉をかわしたのは、屋上ではなくその下の階でのことだった。休憩時間ではなかった。何年も前から好きだった作家が十年ぶりに新刊を出すというので、仕事帰りにデパートの中にある書店に寄ったのだ。そうしたら昼間も屋上で顔をみた男が店頭に積まれた同じ小説をためつすがめつしていた。ふいとあげた男の眼と、眼があった。
「あ、どうも」
言葉は奇妙なほど自然に出てきた。
「十年ぶりらしいですね」と彼はいった。
「そうですね」と男はいった。「十年ぶりと聞くと読みたくなりますね」
「好きなんですか?」
「どうだろう」と男はいった。「好きというより懐かしいという感じかな。それで迷ってて」
「僕は買いますよ」と彼はいい、一冊取った。
「好きなんですか?」と男がきいた。
「ええ」
結局それから、時々話をするようになった。とはいえ仕事で話すような機会も必要もなかったし、名前も聞かなかった。休憩時間に屋上で出会っても挨拶をする程度のことだ。男はひとつ置いたテーブルでいつも本を読んでいて、彼は彼でスマホをいじったり、たまに本を読んだりした。つまり、何も変わらなかった。男とはじめて会話したときに買った小説は素早く読み終わってしまったが、その話をすることもなかった。彼は男が同じ小説を結局買ったのかどうかも知らなかった。