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七月・七夕

「先生、どんぐりの背比べってやったことあります?」

「どんぐり?」

 ぼくはページをめくりながらうわの空でいう。どんぐり。いきなり何をいってるんだと思うが、ぼくは横向きに寝転んで肘をついているし、声の主は背中側にいて顔はみえない。


「あれは背じゃなくて幅を比べるものじゃないか」

「幅?」

「丸いのや細長いのがある」


 寝る時に本を読むのはやめろと子供の頃はよく親にいわれたものだが、生物というものは習慣に弱いのだ。それに気づいているかどうか知らないが、どんぐりがどうとかいってる本人は背もたれにちょうどいい。


「じゃ、先生はどんぐりの幅比べをやってた?」

「やってないよ」

「やってないのにそんなこというんですか?」

「従妹がちいさい時、どんぐりを集めていたからな」

「ドジョウが出てくるじゃないですか」

「ドジョウ?」


 また何を唐突な、と思ったが、背もたれの男は鼻歌を歌いはじめる。ぼくは毎度のことながら理屈があわないな、と思う。お池にはまってさあ大変、といってるくせに「ぼっちゃんいっしょにあそびましょう」とはどういうことだ。突然ページをめくるのが面倒になる。後頭部の髪をもそもそと触られてくすぐったいからだ。


「瀬川君」

「ん?」

「なにをしてる」

「髪の毛をかぞえています」

「は?」

「いや、何本あるのかなと思って」

「むしるなよ」

「むしってません。数えてるんです。髪の毛って何本くらいあると思います?」

「さあ。十万本くらい?」

「ほんとに?」

「1センチメートル平方あたり何本あるかを数えて、頭蓋の表面積とそのうち髪が生えている割合を計算して、掛け算すれば概算が出るんじゃないか」


 背もたれの男が黙った。本当に計算しているのではないかとぼくは一瞬疑った。彼は高校生のころから計算は得意だった。ぼくよりも速いだろう。

「瀬川君?」

「ハゲって、どこからがハゲなんですかね」

「パラドックスだな。ハゲに一本毛を足してもやっぱりハゲ。砂山から一粒砂をとっても砂山に変わりはない」

「父親をみてると、自分もいずれハゲるんじゃないかと思うんですけど、先生はいやですか?」

「ううん?」


 ぼくはあくびをする。だんだん眠くなってきた。外は湿っぽく、古い木造家屋も湿っぽく、おまけに蒸し暑い。ところが扇風機を回すと風が当たったところが冷えてしまうから、背もたれが温かいのはありがたいのだが、おかげで眠くなる。


「天の川ってみたことあります?」

 背もたれから聞こえた言葉はまたも脈絡がなかった。どんぐり、ハゲ、天の川。どうしてそんな順番になるんだ。

「子供の頃はうちから見えたよ」

「うちってここ?」

「実家。もうないけど」


 背もたれはまた黙る。本を閉じて押しのけると太い腕がジェットコースターのストッパーのようにぼくの腹に回ってくる。暑苦しい。

「瀬川君」

 答えはなく、手が動きはじめる。熱い手だ。ぼくはなぜかどんぐりとハゲと天の川に共通するものを考えようとしている。とても集中できない。腹に回っていた手が上にあがって、胸を弄った。

「先生の背中に天の川が通ってたら、ここって織姫と彦星ですよね?」


 敏感なのを知られているから、たちが悪かった。あっという間に眠気が醒めて、ぼくはボソボソ文句をいうのがやっとだ。

「天文学者に怒られるぞ」

「バレないでしょ」


 髪の毛をかきわけて耳に直接舌が触れた。この背もたれめ、と僕は思う。熱くてかなわないのに、離してほしくないから、ときどき困る。





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