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一月・成人の日

「先生、ケーキを買ってきたんですよ」と、玄関口で瀬川がいった。

「なんで?」

 ぼくはあっけにとられる。今日は三連休の三日目である。世間的には祝日らしい。だがぼくの商売はそうではない。予備校で教えて生活費をまかないつつ研究者の端くれとして論文を書いているぼくにとって今は繁忙期真っ盛りだ。なにせ──


「今日は成人の日でしょう。お祝いしたいと思って」


 ぼくはめがねの縁をもちあげた。そう、成人の日。来週は共通テスト。もっとも眼の前に立つ若者はとっくにそんな時期を超えている。

「記憶がたしかなら、きみの成人式はおわったんじゃないのか」

「いやいや」

 瀬川はまたにこにこする。肩幅は広く、背もぼくより八センチ高く、笑顔はなかなか感じがよい。

「成人の日ってつまり、大人全員の祝日ってことでしょう。だから大人は全員お祝いすべきなんです。そうじゃないですか?」

「瀬川君、なにを──」


 馬鹿なことをいってるんだ、といいかけて、ふとぼくは考え直した。たしかに一理ある。言葉そのものを考えればそうじゃないか。「新成人の日」といっていないのだから……

「ね、そうでしょう? じゃ、あがりますよ」

 瀬川はまたにっこり笑って、次の瞬間にはスニーカーを脱ぎ捨てて上がっていた。

「コーヒーと紅茶とほうじ茶、どれがいいですか」


 ちっ。まったく、この男は。ぼくは眉をひそめる。


「そんなもの、ケーキによるな」

「モンブランとイチゴショートとチョコガナッシュとオレンジムースです」

 ちっ。このそつのない男め。

「どれにします?」

「チョコガナッシュとオレンジムースで、コーヒー」

「そうだと思いました」

 瀬川は勝手知ったる様子でコーヒーメーカーの蓋をあける。

「うわ、先生、これいつの粉?」

「さあ」


 ぼくはすっとぼけた。最近はコーヒーを入れることすら面倒だったので、忘れていた。瀬川は散らかし放題のこたつのをちらっとみてから、キッチンでケーキの箱をひらいた。

「今日は成人の日なんですよ」

「だから?」

「おれとしては成人らしいことを先生とやりたいです」

「ぼくの用事がすんだら」

「いつおわります?」

「来週」

「え~」


 文句をいいながら瀬川は箱からケーキを取り出して皿にのせた。ショートケーキのてっぺんでイチゴがぶるぶる震えている。





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