街に戻ってからの井上さん達の対応は迅速そのものだった。マツさんからの献上物を提出した上で色々と働きかけたらしく、街に戻ったその日のうちに俺達の新しい戸籍が作られた。
というわけで、俺の名前は竹中三郎から野田五郎に変わり、生年月日が前と同じで住所も千代田区一丁目一番地なものの、きちんと人として証明させられるような形で新たに街のコミュニティの一員として扱われることになる。野田五郎、野田五郎、野田五郎……よし、覚えたぞ。
タカさんやシゲさんもそれぞれ名を変えて新しい出発するということで、最後に抱き合って別れた。多分、またどっかですぐ出会うことになるだろうけどな。
新しい俺に生まれ変わって最初にやることは、少しだけもらったしばしの生活費でお土産を買って、以前我が家があったところに戻ることである。名前を変えて前より背筋も真っ直ぐになり健康的な老人になったとはいえ、見る人が見れば俺が竹中三郎だということが解るだろう。家族であればなおさらだ。
義理の息子にはちゃんと理由を話して、納得した上で俺は新しい人生を受け入れたからお前も罪の意識にとらわれ続けるなよ、と伝えておかなければいけない。もしかしたらいつばれるか解らないとびくびくした生活を送っている可能性すらある。もしかしたら娘には捨ててきた、とバレている可能性だってある。その辺の心残りの整理をするのが竹中三郎としての最期の仕事だろう。
夜に差し掛かったあたりで我が家のあった場所にたどり着いた。我が家は多少ぼろくなっていたものの、記憶の中の我が家とほぼ同じ形をしていた。玄関のインターホンを鳴らす。
「はーい」
久しぶりに聞く娘の声がする。顔を合わせたらどんな表情をするだろうか。びっくりするのか、それともどちら様? と完全に忘れているのか、昔の俺を思い出して、俺に兄弟なんていたっけ? と戸惑うかもしれない。楽しみだな。
ドアが開き、沙理奈が現れる。俺の顔を見て、固まる。
「お父さん……え? 」
そのまま倒れる沙理奈。ドターンと大きい音を立てたのを聞きつけたのか、家じゅうからどうしたのー? という声と共にみんなが玄関に集合する。
「お、お義父さん……」
唯一純一だけが真っ青な顔でこちらを見つめて来る。腰が曲がっていたのが治ってもなお俺とはっきり区別できる程度には、俺の姿はそんなに変わってないらしい。
「すまないが、誰かと勘違いしてないだろうか。私は野田五郎という。竹中三郎さんのご家族で間違いありませんか」
純一が沙理奈の介抱をしつつ、そのままベッドに寝かせにいった。寝室の位置は変えてないらしいな。何もかもが久しぶりの空気だ。
「じーじ? 」
孫の瀬奈が俺の顔を見てそう質問してくる。
「じーじのお友達だよ。じーじは遠くに行っちゃったから、そのお話に来たんだ」
「でもじーじに似てる」
「よく言われるんだ。三郎さんと似てるって」
まだこのぐらいの嘘で納得する程度には幼い孫を抱きあげる。そのまま揺すってやると、キャッキャと喜ぶ瀬奈。もう一人の孫はおねむの最中らしく、この騒ぎにもかかわらず出てこなかった。将来は大物かもしれないな。
「上がってください……いや、おかえりなさい? 」
「失礼させてもらいます」
あくまで今の俺は野田五郎。義理の息子と二人きりになるまではそれを押し通す。二人きりになったら、そっとあの日の話をしよう。
結局娘が起き上がってくるまで三十分待ち、その後家族みんな集まって竹中三郎という人物が何処にどうやってたどり着いて、そしてお世話になった人たちが居て、その後眠るように幸せに亡くなったという話をする。
「じゃあ、じーじにはもう会えないの? 」
「ごめんな、そうなんだよ」
瀬奈はまだ人が亡くなる、ということに疎いのかしきりに寂しそうにしていた。
「じゃあ、お父さんは本当に……」
「ええ、残念ですがそういうことになります」
沙理奈は今まで父である俺が死んだことに半信半疑だったらしいが、俺の話を聞き言ってるうちに本当に死んでしまったんだな、という実感がわいたらしい。しまいには涙もほろっと流し始めた。なんだか急に罪悪感が出てきたぞ。
しばらく話した後、孫たちはおねむの時間になり、ベッドに戻っていった。沙理奈がみなを寝かしつけている間、純一君はひたすら青い顔で話を聞いていたが、どうやら俺が竹中三郎ではなく野田五郎というよく似た別人だということを段々信じ始めて来たらしく、最期について語った後、看取っていただきありがとうございますとまでお礼を言って来た。
孫を寝かしつけた沙理奈が帰ってきて、ふすまを閉める。そして開口一番。
「で、お父さん、どういう仕組みなわけ? こんなわざわざ面倒くさいことをしてまで自分の生存を確認させて何が目的なの? 」
どうやらばれていたらしい。どこからだろう? 最初に出会って腰を抜かして倒れた時からずっと俺だと確定して、こっちの話を聞いてそれから問い詰めようという話だろうか。
「純一さんが連れ出して行方不明になったのは解りました。それについては夫婦の間では話し合いは終わってます。なのでお父さんが生きてるって話になると受け取った生命保険返さなきゃいけなくなるんだけど。そんなお金家にはもう残ってないわよ」
「いや、ちゃんと俺は野田五郎だ。戸籍謄本……今ではあんまり価値がないかもしれないが、俺はれっきとした野田五郎という人間にもうなってしまった。竹中三郎は死んだんだよ」
さっき作ってもらったばかりの真新しい証明書を出すと、沙理奈は穴が開くように見つめた後偽造書類でないことを確認した。
「じゃあ、よく似た別の人としてこれから暮らしていくの? 住む先とかどうするの? 」
「その辺はちょっと色々あってな。少しの間ならお世話になる先があるんでその間に住むところと仕事を探す予定だ」
「……ふぅ。解ったわ。でも最後に一つだけ良い? 」
「なんだ」
「おかえりなさい」
沙理奈はそう言うと俺に抱き着いてきた。久しぶりの娘との抱擁だ。最後にこんなことをしたのは純一君との結婚式以来だと思う。
「あぁ、ただいま」