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第40話:最後の相談

 夜、みんなが寝静まったぐらいのころに寝床を抜け出し、マツさんのところへ行く。マツさんのゲルは……ほのかに明かりがついていた。まだ起きているようだ。


「マツさん、ちょっといいかな。三郎ですけど相談があるんですが」


 俺の小さな呼びかけに対して、マツさんは手でこちらに来るように指示する。もう寝ている人が居るのだからできるだけ静かに相談をしたい。マツさんの息が届くような近さでのひそひそ話だ。


「三郎さんは相談に来ると思ってましたよ。やはり井上君の話の件ですかね」


 マツさんにはある程度解ってしまうものらしい。いや、そもそも俺がわざわざ相談に来るという時点である程度のことは見透かされていたのだろう。マツさんはそういうのには割と機敏に出来ている。というか、今日の今日での相談なのだから他に話題もないというのも確かではあるが。


「正直なところをお聞きします。マツさんは最初に自分の考えを言いますか、それとも最後に言いますか」


 井上さん達が来て回答を求めてきた場合のことを意識して話を始める。


「そうですね。最初に言ってしまってもいいのですが、やはり私は最後になると思います。でないと、私がここに今いる意味がなくなってしまいますからね」

「では、マツさんは……街にはもう未練はないんですね」

「その様子だと、三郎さんは戻るつもりのようですね。やはり家族に会いたいですか」


 マツさんは目を細めてにこやかに笑う。この様子だと、マツさんには街で待つ家族や親類のようなものはもう居ない様子だった。


「そうですね。いい意味で息子にも文句を言わないといけませんから。ただ、私は死んだことになっているでしょうから新しい戸籍をもらって全くの別人という形で会いに行くことになると思います」

「それがいいと思いますよ。せっかく井上さんがあれだけの条件を絞り出して私を街へ戻そうと考えてくれています。それを思えばここにいる皆さんを引き留めることは不可能でしょうからね。かなりの数の人が戻ることまで覚悟はしています」


 マツさんはゆっくりと起き上がると、ココアを入れ始めた。カカオの香りと湯気が少しだけ心にも温かさを分けてくれているような気がした。


「私が最後に言う、という時点で私の心づもりはもう決まってしまっているようなものですね。やはり、私はここを離れられないようです。おそらく私がここを離れるのは、このダンジョンが攻略されてモンスターが湧かなくなった時、つまり私を生かしてくれた人たちの無念が晴らされた時になるでしょう。その時までは、私はここに居続けようと思います。それが近いうちになるか、それともあえて遅くされるかまでは解りません。しかし、井上君の話を聞いた限りそう遠くない未来の話であることは間違いないでしょうね」

「それなら、それが三日後でも早すぎることはないとは思いませんか。マツさんが戻って戦力や軍備を増強して、返す刀で攻略という手も取れるのではないですか」


 その内攻略されるのが解っているなら早めにダンジョンを出てマツさんのスキルの力で装備を十全に整えて、人員も集めて腰を据えて攻略することも不可能ではないんじゃないだろうか。


「それについてなんですが、私が居なくなったのをいいことにこのダンジョンを放置する、という話が持ち上がる可能性があります。それではダメなんですよ。ちゃんと攻略されたのを見届けてから私も移動する。それを条件として出そうと思っています」


 手元にマツさんが転がってきた以上、もうあのダンジョンにこだわる理由がないから他のダンジョンを優先して攻略する、または絶対生活圏の拡張方向を変える、という可能性か。確かに、ありえない話ではない。マツさんとの約束は口約束だから、というような人ではない感覚はしたが、井上さん以外の人々にとってはそれよりも優先したいことがある、と言い出してのらりくらりと躱していく可能性は……確かにある。


「だから、その時まで私は絶対に動いてはいけないんです。代わりに条件を出そうと思ってはいますが」

「条件とは……スキルでしか入手できない物品の補充とかですか」

「それもありですね。わたしがここで交換する代わりに向こうから魔石を運んできて……という貿易をする代わりに、私の今いるダンジョンを攻略させる。それも悪くない手ですね。一つ考えておきましょう」


 これでまた一つ、マツさんに居残りを選択させる手段を持たせてしまったか。ちょっと口が過ぎたな。でも、マツさんこれで結構頑固な人だからな。これ以上の説得は……いや、俺は説得しに来たんじゃない。自分の中で自分を納得させるために話に来たのだ。


「俺は……街に戻ります。戻って、もう一度街から世の中を見て、自分のできることを精一杯やって、そして死のうと思います」

「そうですか。三郎さんが居なくなると魔石の確保が大変になります。お肉がまた高級品に戻ってしまいますね」

「それは心配ですね。栄養バランスが偏ると老体にはこたえます」


 それだけ呟くと、マツさんはココアを口にして一気に飲み干した。底のほうに残っていたココアの粉をスプーンでつつきつつ、最後まで綺麗に飲み干すと、飲んでいた紙コップをゴミ箱スクリーンに放り込む。


 俺もココアを飲み干すと、ゴミ箱に入れ込んだ。まだちょっと熱かったが、これが別れの盃のような気持ちになった。三日後、俺はマツさんの元を離れる。それは通常ならば出会わなかったマツさんとの日々やこれまでやってきた仲間たちとの日々、それらをすべてココアに詰め込んで飲み干し、お別れではないがそういうものを育んできたんだ、という名残惜しさの残る味だった。



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