side:マツ
それは望んでいない、という前に井上君に先に言われてしまった。機先を制された形になる。私自身はもう世捨て人だと思っているので今更コミュニティに戻ってどうこうするという立場ではない。しかし、井上君がここにきている以上私の生存は確実に報告されるだろう。そうなった場合、貴重なスキルの保持者として私がここにいるよりもどんな手を尽くしてでも戻ってもらい、そのスキルの恩恵を十全に受けられるようにする、と考えるほうが自然だ。だとすれば、後は私以外の他の人々をどうするのか。問題はそこにある。
「仮にの話ですが、私が戻ったとして、ここにいる彼らはどうするのですか。そのまま置いてきぼりにして自然死を待ってもらうなんて言い出しませんよね? 」
「その点は私に考えがあります。みなさん探索者としてのレベルはそれなりにあると考えてのことですが、比較的安全なダンジョン……これは魔石の鉱脈として利用していてあえて破壊していないダンジョンがあるのですが、そこでの戦闘や戦闘補助、それ以外にもいろいろな仕事があります。老人ですが我々一般人と遜色なく活動できるのであれば、居場所を提供するつもりです」
「もし、まだ彼らの家族が存命の場合どうなるんですか? 保険金狙いで捨てられた人だっているんです。戻ったら保険金を返せと言われてまた家庭のお荷物になるということにもなりえます」
井上君はコーヒーを啜り、少し考えた後、一つの提案を出した。
「希望者には新しい戸籍を用意させます。過去に捨てられた人とは別人、ということでコミュニティで行動してもらう形になります。それなら保険金詐欺の心配はほぼ解消できます。
「そこまで出来る立場になった、ということかな。井上君も偉くなったねえ」
「そりゃあ、危険だと解っているダンジョンに私自身が無理矢理入り込んでこの話を持ち掛けて、締結できる程度には偉くなりましたよ。別れてからずっと、松井さんの無事を祈ってたのは間違いないんですから」
新しい戸籍を用意してくれることもできるらしい。相当上に顔が効くような立場になった、ということか。九年もたてばそれだけ偉くもなれる、ということか。もしかしたらあの事件の前の自分自身の立場よりも相当上なのかもしれない。それが彼の頑張りだったのか、それとも彼の上の立場の人間がすっぽりと居なくなってしまったのかまでは解らないが、少なくとも彼の意見を実現するだけの権力を握っていることは確かなのだろう。
「これは私一人で決められる話ではないですね。そこで聞き耳を立てている皆さんにも関係あることですし、全員入ってもらってその中で決める、というほうが方向性は一致させられるでしょう」
みんながゲルの周りに集まって、仕事を放棄してでも重要なこの話を聞いている、ということは既に察知できている。やはり自分の去就がかかっている話なのだ。
「……やはり、私の決断で勝手に決めていい話ではないですね。皆さん、どうぞ入ってきてください」
話をちゃんと聞いていたのか、ぞろぞろと住人たちがゲルの中へ入ってくる。それほど広くないゲルの中であるので立ち席しか用意できないのが問題だが、それでもほぼ全ての住人がここに集まっている。これだけ集まるのはトシさんの回忌以来かな。
「話は聞いていたと思いますので、正直な皆さんの心情をお聞きしたい。残りたいか、帰りたいか。帰るにしても、元の家族のところへ帰るのか、それとも別人として新たな一歩を踏み出すのか。これは私が選ぶべき話ではありません。戻りたくない人もいるでしょうし、戻って捨てた家族を一発ずつ殴ってから別人として生きるという道も選べるそうです」
そうですよね? という視線を井上君に送ると、首を縦に振る。
「そういうわけだから、皆さんにはそれぞれ選択する権利があります。これは例えば、誰かは去るけど誰かは残る、みたいな形でもいいです。それぞれの意見を聞かせてほしい。もし去るというなら彼らがサポートをしてくれるだろうし、レベルアップを果たした分だけ今までよりも社会の荷物として扱われる可能性は低い。もしかしたらここから去った人たちでパーティーを組んで、浅い階層でダンジョンの中で魔石を集めて日銭を稼いで行くという形で他人の役に立てるかもしれない。ここだけでそれを行っていくよりも社会的には価値のある行動になると思います。人もいて魔石によるエネルギー資源と電気のある中で暮らし直す。それも悪くはないと思います。私は選択を皆さんに委ねます」
そう、これは俺に持ち掛けられた時点でこの老人ホーム全体に対する意見表明でもある。私が来るなら他の人たちも全員ついてくるんじゃないだろうか? そういう含みを持たせているはずだ。
「私たちは三日後、またここへ来ます。その時までに回答を決めていただけると助かります。個人的にはこれだけ自主性があって強さも身の振り方も覚悟を決めてくれている方々ですので、街に戻っても問題なく暮らしていけるのではないか、と考えています。こちらとしては出来れば、マツさんと一緒に皆さんを一斉に街に来ていただく方向で考えています」
井上君が説得を始める。ホームの全員に言い聞かせるつもりではあるが、一番揺さぶっているのは私の心だろう。私がついていく、と決めたら他のみんなはここでは生活できなくなる。だから将である私を射止めるために馬である他の住人の心を決めさせる腹づもりなんだろう、というのは伝わってきた。
「今日のところはこれで帰ります。コーヒー御馳走様でした。三日後には甘味があると嬉しいですね」
「用意しておきますよ。わざわざお疲れ様です」
「それと最後に一つだけ伝えておくことがあります。マツさんが街を離れてから九年経ちましたが、その間に絶対生活圏はさらに拡大しました。今ではここから車で三十分もすれば、安全な地帯であると言い切れる場所にまで拡大させることが出来ました。なので、今帰らないとしてもいずれはこのダンジョンも封鎖するか、間引きのための拠点として扱われることになると思います。それまで粘られるか、それとも早々と自分の居場所を決めるために動かれるかは皆さんの思い次第だということと、そうなればここに老人たちを捨てに来る人々も減るだろうと考えています」
最後に爆弾を置いていってくれたようだ。時間の問題か……