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第34話:トシさん 4 別れ


 一年後、念願のゲルを手に入れた。ここまで決してもやしと豆腐生活をしてきたわけではない。無理をしない範囲で節制をし、ひたすらモンスターを狩り、魔石を集めては投入口に入れ、資金を溜めてきた。


「じゃ、買いますよ」

「おう、どんときてくれ」


 購入の操作は松井にしかできないため、松井がゲル購入のボタンを押す。その場に現れたゲルの建築セットの大きさに一瞬どよめくものの、早速組み立てを始める。ゲルは非常に簡単な作りのため、慣れない作業ながらも三時間ほどで組み上げに成功した。地面は何もないゲルだが、カーペットやリビングマットなどを後から敷くことで綺麗に床を維持することができるだろうし、そのまま寝ないなら床は土足でも良い。


「これで第一目標は達成だな」

「はい、お疲れ様でした。購入資金が少し余ったので今夜はちょっと飲みますか」

「いいねえ、気になってた酒があったんだ。それをみんなで飲もう」


 その日、初めてゲルの中で早速宴会が行われた。あれからメンバーも増え、タカさんと呼ばれている男性が更に一人加わった。ここで女性が一人でも増えると取り合いに……となるのが世の中の御都合かもしれないが、幸か不幸か今のところ捨てられた女性を拾って帰ってきたことはない。松井は今後は女性も出てくることになるだろうから、プライベートスペースの確保は課題かもしれないな、と考えている。


「タカさんもしっかり飲みな、滅多に酒なんて飲めないんだから」

「ええんかね、私までもらっても」

「これは祝いじゃ、気にせんと飲めばいい」


 この中では新米であるタカさんが遠慮がちに言いつつ、一気に飲み干した。


「タカさんは大分いけるクチみたいですね」

「そんなには……こんなにお酒があっても一杯か二杯……残るぐらいしか飲めはせんてさ」

「そいつはうわばみって言うんじゃねえのか」


 わはは……と笑いが響く。松井は少し引いた目線で酒の量もほどほどにし、次の目標について考えている。


「次は一人一つとはいかないが、何らかのプライベートスペースが取れるようにしたいですね。やっぱり屋根の下で寝るほうが精神的に落ち着きますし、私物があれば私物も置いておくスペースが必要でしょうしね」

「そうだの、じゃあまずはトシさんの分からがんばっていくことにするべか」

「俺からでいいのか? シゲさんのほうが頑張ってくれているから後でもいいのに」

「一応トシさんのほうがホームの先輩だからな。年長者から順に割り当てってことで」


 次の建物の話がもう始まっている。松井としては、そろそろ使っている武器のメンテナンスも含めてネットショッピングで購入した品物に順次取り換えていって、刃こぼれやボロボロになって使えなくなった時はゴミ箱に吸い込ませていくらか回収しながら使いまわせる形にしたほうがいいのではないか、とは考えている。


 しかし、酒の話に水を差すのはよろしくないとして黙っておくことにした。この雰囲気をぶち壊しにしたくないというのと、自分自身も久しぶりの酒で酔っぱらっているため自分の意見自身が酒の話の与太話の域を出ないかもしれないからだ。明日起きてまだ同じことを考えていたらそれを進言してみよう。そう考えると、酒も体に回っていきほろ酔い気分もそこそこに、トイレへ中座する。


 帰ってくると、みんな酔いつぶれて床にそのまま寝ていた。トシさんなどは高いびきをしながら完全に眠り込んでいる。これは起こすとかえって面倒なことになりそうだな。せめて毛布だけでも被っていてもらおう。明日の朝風邪でも引いたら大変だ。


 寝ている全員を毛布で簀巻きにすると、松井も眠気が襲って来たのか睡眠の予兆を感じ始めた。明日からやること……これからしなければいけないこと。考えることは色々ある。今は考えごとを後回しにして自分も寝酒の勢いで眠ってしまうことにするか。今日はとにかく、一つ大目標を達成してめでたいのだ。そのまま気持ちの良い気分で眠りについた。


 ◇◆◇◆◇◆◇


「……ツさん、マツさん! 早く起きて! 」


 シゲさんの大きな声で無理やり起こされる。どうやら酒がまだ残っているらしく、頭が少し痛い。痛い頭を振って起き上がると、タカさんがトシさんを揺すって声をかけている。


「トシさんに何かあったんですか? 」

「息がないんだよ! こっちの呼びかけにも答えないし、体は冷たいし……」


 背筋にうすら寒い気配を感じ、残った酔いが一気に醒める。トシさんに駆け寄って手首を持つ。脈はない。顔を触るが完全に冷たくなっている。


 口の中を無理矢理開けて吐しゃ物の有無を確認する。どうやら、胃の中のものを吐き出した形跡はない。毛布でグルグル巻きにしておいたから体温が下がりすぎて低体温症をおこした可能性はなくはないが、可能性は低い。


「……」

「マツさん……」

「トシさんは一足先に逝ってしまったようです」


 手首を地面に横たわらせると、目を閉じたまま穏やかな顔のトシさんを見る。トシさんは苦しまずに逝けただろうか。もっとトシさんにしてあげられることはなかっただろうか。もし完成祝いに酒を出さなかったらトシさんはもう少し長生きしていたんだろうか。松井の心を自身の考えが色んな方向から責め立てる。


 悔しいのはタカさんもシゲさんも同じだろう。ならば、自分に出来ることは何か。ただ静かに見送ることだけが、今の自分たちに出来る最良の方法だろう。


「さて、困りましたね。貴重な人材が一人居なくなってしまいました。これでは酒の美味さも解らなくなってしまいましたよ」

「ご遺体はどうするね? このまま保管しておくわけにもいかないし、かといって土に埋めるには我々だけでは難しいだろうし」

「……スライムに喰ってもらいましょう。この場で出来る確実なご遺体の埋葬方法はそれぐらいしかありません。後は、我々がトシさんのことを忘れない限り、トシさんはここで永遠に記憶の中に生き続けることになります。このゲルも、トシさんが残してくれたものの一つですしこのゲルも確実に彼が生きた印として残ることになるでしょう」

「……マツさんがそういうなら、解った。スライムが集まってそうな所にそっと置いてこよう」


 スライムに溶かさせれば骨も残らない。ダンジョンでは合理的な遺体の処理方法ではある。そして何より、ダンジョン生活者に限らずダンジョンで遺体となったものはボロボロになるまで弄られてダンジョンに吸収されるか、スライムに溶かしてもらうのが最も効率的であることに間違いはない。モンスターの餌食として遺体を乱雑に扱われてバラバラにされるよりはスライムによってゆっくり消化してもらうほうがまだ見られる形になる。


 一層のスライムが集まっている場所にトシさんを横たわらせ、その辺でウヨウヨとうごめいているスライムを捕まえてきて、ご遺体に寄り添わせる。持ってきた複数のスライムがトシさんの中身の抜けた肉体に気づき、ちょっとずつ消化吸収を始める。


「トシさん、今までありがとうございます。おかげで今日まで生きる気力を失わずに生き抜くことが出来ました。そして見ていてください。私たちはこれからもここで生き続けます。どうか、安らかな死があなたに訪れんことを」


 松井はトシさんのご遺体が完全になくなるまで、手を合わせたまま動かなかった。シゲさんとタカさんはそんな松井を見守りつつ、他のモンスターが邪魔をしないように警戒をし続ける。





 こうして、初めての葬儀は終わった。



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