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第30話:命日

「これで解りましたか。なぜ私がこの場でこんな生活をしているか。私は探索者としての自分を捨てて、ただのマツさんになったんです」


 一区切り話し終わると、マツさんはコーヒーを飲み干してふぅ、とため息をついた。


「これだけ話すのは久しぶりですね。前も同じ話をした覚えがありますが、年々忘れつつもありますからね。そのうち私も話す機会も減るかもしれませんが、そこまで私のことをきにかけてくれているのも三郎さんぐらいですね」

「そういうものなのですか。マツさんは探索者としてもまだまだ現役でいられるだけの実力があるにもかかわらずこんな辺鄙なところで老人ホームを経営してるからには何かしら悪事を働いて現代社会に居られなくなったとかそういうのかとも思っていましたが、そうではなかったのですね」

「あはは、流石にそこまで考えられていたと思うと少し凹みますね。でも、実際の所はお話しした通りです。私は自分の責任から逃げ出したんですよ。だからここでこうして、後は寿命が続く限り皆さんと共にあります。何かの間違いで私を取り戻しに来る人が居たとしても、やはりお断りすることになるでしょうね。私は失敗して、それで終わったんです。それ以上もそれ以下もないんです」


 そんな世捨て人がなぜ老人ホーム運営なんてことをし出したのか、ということについてはまだ答えが出てきていない。


「まだ一つ、解らないことがあります。ですが、次話す機会があったらその時にお聞きしようと思います。今日はためになる話をありがとうございました」


 マツさんに礼を言い、自分の分のコーヒーを飲み終わると寝床に戻る。マツさんは手を振っておやすみなさいと声をかけた後、また本に視線を戻して読書を始めた。


 マツさんのゲルを出た後寝床にたどり着くも、眠気はなかなか来なかった。コーヒーのせいではなく、疑問についてだ。それだけ死にたがっていたマツさんを生きる気にして、そしてこうやって俺と同じように放り出されてきた老人たちを介護するかのように世話しているのは何故なのか。


 きっと何かきっかけがあったのだろう。そのきっかけとは何だったのか。誰かマツさんの心を癒した人でも居たのだろうか……


 ◇◆◇◆◇◆◇


 考えているうちに気が付けば眠っていたらしい。朝が来ていた。いつもより少し寝不足気味ではあるが、体のほうは快調なので眠気を抑えて立ち上がる。


「おはよう、三郎さん」


 小屋を出るとシゲさんがいつも通りの調子であいさつを交わしてくる。


「あぁ、おはようシゲさん……ふあ」

「まだ眠そうだな、夜更かしか? やることもないだろうに」

「いやあ、なかなか寝付けなくてね。おかげでちょっと寝不足だわ」


 昨日マツさんに聞いたことはここにいる全ての人が知っている、というわけでもなさそうなので黙っておくことにする。そもそも世話になっている相手にそんな混み入った話を聞く、というのを失礼だと感じる人も出てくるかもしれない。とりあえず寝不足なのは隠し切れないので単純に寝付けなかったことにしておこう。


「おはよう三郎さん、眠そうやね」

「ああタカさんおはよう。寝不足だよ。でも今日の仕事までにはちゃんとしないとな」


 気分を高ぶらせるためにちょっと強めに水で顔を洗う。水もここではタダではないのでコップ一杯の水で朝の支度を整えられるようになった。いつもより念入りに顔をぬぐった後、パンと顔を張って気合を入れる。


 朝ごはんの後、また今日は三層に出かける予定だ。戦闘中にあくびが出てそのスキに攻撃される、なんてことの内容に注意しないとな。


 さすがに体を動かし始めると眠気も何処かへ行ったのか、普段通りの動きできちんと自分の仕事をこなすことが出来た。それ以上に抱えていた不思議が一つ消えたからか、いつもよりも体調が良いぐらいだった。


 レベルも上がり、更に体調の良さに拍車がかかる。この調子で大量の荷物を抱えて帰って、精々マツさんの喜んだ顔を見に行くことにしよう。それがマツさんの亡くなった探索者仲間への供養にもなるかもしれないしな。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 数日後、朝ご飯の時にマツさんからの呼びかけがあった。


「今日はトシさんの命日だ。トシさんが好きだった餅入りの雑煮で故人を労わろうと思う」


 以前ここにいて亡くなった人の命日らしい。マツさんが探索者を辞めたのが九年前だから……もしかしたら一番の古株だったのかもしれないな。それだけ重要な人だったんだろうか。


 雑煮にはみんなの喉の具合を考えて、小さく切った餅がいくつか入っていた。ちゃんと出汁もとられており、きちんとした雑煮であることが伺える。わかめも浮いているし、人参にシイタケも入っている。


 中々に贅沢な朝ご飯だ。それだけトシさんという人が大事な人であったことがわかる。マツさんにそこまで大事にされているトシさんとはどんな人なんだろうか。


 朝ごはんの後、みんながマツさんのゲルに集まって、写真に向かって手を合わせている。


「トシさん、今日まで何とかやってこれたよ。これからも陰ながら見ていてほしいな。私はもうちょっと、このままこの場所で頑張っていくつもりだよ」


 そういうとマツさんは少し寂しそうにしつつ、手を合わせて何か願掛けみたいなことをしている。


「マツさん、そのトシさんというのはどんな方だったんですか」

「そういえば三郎さんも含めて、トシさんを知らない人も居るんでしたね。じゃあ今日は作業は一旦取りやめて、トシさんの話をしましょう。トシさんがどれだけ私の心の支えになってくれていたか、そんな話です。こんな所では坊さんの手配のしようもないので、法話の代わりに一つ話をしましょう。私と、トシさんの話を」



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