眼前にあるのは広々とした会場を埋め尽くして溢れる、人、人、人、だった。視界すべてを埋め尽くすほどだった。人の熱気と、午前中の早い時間とは言え、真夏のギラギラと照りつける太陽のせいで、ゆらりと陽炎が立って見える。
整然と列を作り、粛々と会場を行く人たちの群れを観た
(す、すげー……っ! これが……これが、同人誌即売会……っ!)
大雅は『二十歳までは親の言う通りにする』ものと教えられ、従わなければ容赦なく鉄拳で殴られて育った。その為、同人誌即売会に憧れていたものの、参加することは出来なかったし、薄い本の一冊も手にすることは出来なかった。
東ホールへと入る列に並んだ大雅は、トートバッグの中から、クリアファイルに入れた、サークルの配置図を取り出す。
イベント会場には、様々なホールがあり、イベントの規模によって使用するホールが異なる。今回のイベントは、国内最大規模の同人誌即売会。全部で10近くあるホールは全て使用され、二日間で二万四千のサークルと呼ばれる同人誌頒布者が出品し、来場者は二十六万人にもなる。
その中で、大雅がお目当てにしているジャンルは、東ホールにあった。サークルの配置図には、赤いマーカーで囲いがしてある。数百サークルがその赤線の中に居るはずだった。
(ああ、夢みたいだ……。まさか、この中全部、BLサークルなんて……!!)
感涙にむせび泣きそうになる大雅だったが、ふと、いつ如何なる時も列を乱さないことで有名な、『高度に練兵された』とまで称される列が、なんとなく、大雅を避けるように隙間が空いているのに気が付いた。
はた、と大雅は気付く。
(な、なんてこった、こんな所でも……っ)
黒髪は、オールバック。目つきの悪い三白眼。耳は、バチバチにピアス穴が空いていて、黒シャツに黒パンツ。列の中に居て、周りより頭一つ分くらい背が高い。しかも、タバコを放すことが出来ない、ニコチン中毒者。タバコの臭いは身体に染みついている。
どう考えても、カタギには見えない。
(……こんな所でも……、浮いちまう……)
しかも、その男が握りしめているのが、しっかり予習済みのサークル配置図。
スペース番号、作家名。購入予定の本の名前がしっかりと記載された別紙付き。
周りからは、
『見てあの人』
『チッ……ウザ……、転売屋とか何で来てんだよ』
『『天雨』狙いだね。……有名サークルしか狙ってないじゃん』
などと言う心ない声が聞こえてきて、チクチクと視線が突き刺さる。
(ま、まさか、俺……、転売屋と勘違いされてる?)
転売など、毎日『滅べ、死ね』と呪い続け、もし、転売屋はすべからく殺しても良いという法律があれば、家のものたちを連れて、この世に居る全ての転売屋を葬り去っても良いと思っている大雅としては、遺憾以外の何物でもない。
(くっ……どうすれば、俺の無実を証明出来る……)
嫌な汗が出てきたので、ポケットからハンカチを取りだして、汗を拭う。
その瞬間、周りの女の子たちのチクチクした雰囲気が霧散した。
(ん? なんだ……?)
「あの」
となりにいた女の子が声を掛けてくる。大雅は、大いに挙動不審になり「は、はいっ!?」と返事をしたが、声が、ひっくり返っていて、かなりみっともなかった。
「それ……、『天雨』好きなんですか?」
彼女は、大雅のハンカチを指さしながら問う。つややかなピンク色のネイルだ、と大雅は思ったが、はた、と気付いて慌てて返事をする。
「は、はいっ! 自分、『天雨』の大ファンで!!! ……Webの頃から好きで、書籍も保存用、閲覧用持ってて、ショップ特典欲しくてあちこちで購入して……あ、これは、コンビニでやってた、クジでもらったやつで!!」
「……BL作品ですけど?」
小首を傾げながら、彼女は聞く。
「BL好きなんスよ! ……自分、腐男子ってヤツですっ!!!」
大声で宣言した大雅に、周りの女子達から視線が集まる。東ホールは今日、女性向けジャンルで固まっていた。従って、周りも女性が多い。男女比で言えば、9対1くらい。
周りの視線は『転売屋は死ね』から『なんだ腐男子か』というモードに変わり、ギスギスしていた空気が、なくなったのは有り難い。
「ちなみに……、誰が好きなんですか?」
「そりゃ、勿論、サティシャですよ!! 呪われた宿命を持つ美しい男巫女サティシャ。こんなに美しいキャラなんて、この世に居ないじゃないですか!!
「サティシャ好きですかー」
「そういうあんたは?」
「私は、ルシエレですね」
キラリと女性の目が輝く。
「えー、あの腹黒宰相ですかっ?」
「腹黒は正義」
言い切る女性に気圧されつつも、そのまま列が
目当てのサークルにたどり着く間も、周りは『天雨』サークル一色で埋め尽くされていて、ついつい、視線を奪われる。
(あー、初めて、オタクトーク出来たし、周りは『天雨』しか居ないし、最高だっ!!!)
お目当てのサークルにたどり着き、会場の外まで長々と続く長蛇の列を見た時、大雅は、現実に打ちのめされることになるが、それでも、どこを見ても同じものを好きな人しか居ないということが嬉しくて、顔が緩む。周りの人たちが、視線を逸らして距離を置いていたのは、この際、気にしないことにした。