太陽や雲は空の瓶詰めだろうか。視界の向こうへと広がる街は更に遠くへと広がるクッキー生地。
街の中を敷き詰めるように建ち並ぶ家屋は生活から商売、保管庫にインフラ設備など様々な形に用いられるがどれもこれも人々の命の為に整えられたもの。
心と言う命の為に生きる建物もこの世の中には存在していた。
数人の女子中学生たちが一軒の店に足を踏み入れた。殆どが看板は確認していなかったようだったものの、雨月の瞳はしっかりと記憶していた。
その店に置かれた様々な品を見回しながら雨月は共に見て回る同級生に笑いかける。
「夢のビン底、その通りのピッタリな名前」
「ここそんな名前なんだ」
訪れる人々の中には名前すら知らずに姿を捉えている者も多くいるのだろう。雨月が知らない、ただそれだけの事。
夢のビン底、そう名付けられた店の中には摩訶不思議な品が多く置かれていた。
一見すると何の変哲もないニワトリのぬいぐるみ。しかしながら赤く尖ったトサカの群れを撫でる事で大きく羽ばたきながら鳴き声を上げては人々を驚かせていた。その隣の壁に掛けられたシカの頭の剥製はよくドングリを吐き出している光景が見られ、季節感と絡繰りを問うた事もあったものの仕組みは永遠に謎のまま。
他にも若き店主が管理しているのだろう。時折若い薄緑の草が密封されるガラス瓶。入れ替えた次の日には決まって瓶の中身を煙で充たしていた。
そんな中で同級生の一人、粟子が棚にそっと置かれたコルクの箱を指した。
「これ見て綺麗」
粟子の抑揚の浅い声に対する周りの顔色はカラフル。同調する者に困惑する者、肌や髪に心まで、人物の色彩が豊かなこの一瞬が雨月の好み。
「ただのガラス玉じゃん」
しかしながら引き下がることなく、表情を作ることなく、言葉だけを紡ぎ続ける。
「手に取った人によって色が変わるって書いてあるよ」
小刻みな歩きで近寄る子はたどたどしい手つきでガラス玉をつまむように手に取る。日常の範囲内の仕草でさえ忙しなく見えてしまうのは挙動故だろうか。
それからなかなか色が変わらないと呟きながら集う女子群の中を忙しなく動き回る様を見つめながら雨月も倣ってガラス玉を手に取る。
透き通るガラス玉、景色の向こうは水の底のよう。しばらく焦点を合わせて観察している内に澄んだ透明が顔色を変える。
「黄色になった」
他の子もまた手に取って、各々異なる色に変わる様を見届けながら雨月は未だ落ち着きなく動きながら変わらないなどと呟き見つめる同級生の手を包む。
「落ち着いて集中して見つめて」
微かに震える焦点が捉えたその色は瞬く間に空の青を持ち始め、同級生は目を輝かせる。そんな様子を目に、まるで自分事のように心を弾ませる雨月の姿があった。
「自由な空、美理にピッタリ」
「ありがと」
そんな会話を挟みつつ、粟子に目を向けるも彼女の手に握られたガラス玉は未だに色を変えない。
粟子が口を開いたのは雨月と視線を合わせてからすぐの事だった。
「コノの色も確かめてみようよ」
「賛成」
一人の女子が意地の悪い笑みを浮かべながら返した言葉に周りも揃って賛同を始める。色合わせの雰囲気の中でただ一人、疑問を唱えたのは美理だった。
「でも来乃芽ちゃん来るかな」
来乃芽、周囲からは主にコノと呼ばれている少女はクラスメイトの一人。怒りっぽいのか話しかけられただけで語気を強める彼女の周りに人々が集うのは飽くまでも表面的な付き合いだろう。
「大丈夫、昼休みの会話の中に混ぜるから」
影が差すような計画と周りの品のない笑みに雨月は顔を微かに引き攣らせながら震える手で美理の肩をつかんでいた。雨月と顔を合わせて薄暗い貌を見せる美理もまた、居心地の悪さを感じているようだった。
次の日の昼休み、過去となった時間の中で挙げられた意思の手に従って来乃芽を囲む女子たちが会話を切り出す。
「ねえねえコノ」
「なにか言いたい事でも」
机を合わせて共にしているはずなのに強い口調と突き刺すような態度。青みのかかった黒髪の上部は丸みを帯びていて肩に届かない程度の長さで切られたボリュームの少ない下部の毛先はほんのりと跳ねていた。いわゆるウルフカットと呼ばれるものだろうか。
「不思議な雑貨屋さんのなんて言うんだっけ」
美理と向かい合って昼食を取っている雨月と目を合わせる同級生に対して表情を強張らせながら夢のビン底と答える。
「そうそう、そこで面白いもの見つけた」
「話長ったるい」
他人に冷たく当たる事が強さだと勘違いしているのだろうか、来乃芽が口を開く度に頭を抱えたくなってしまう。
「手に持って見つめたら色が変わるガラス玉があって」
途端に来乃芽の目に鋭くありつつも肯定的な輝きが射し込む。
「面白そ、行ってみるか、てかなんで黙ってた」
その声に、周りの視線に射抜かれたような気配がして意識のピントを緩める。
「当然二人も行くよね」
雨月と美理に集う視線はあまりにも色濃く求められているのは同調一つ。調和以外は認められない、湿った雰囲気に唇をかみしめながらも頷いた。
そんな様子を表情も変えずに見つめている粟子は雨月へと視線を移す。冷たいとも熱いともつかせない視線が背筋をなぞる。そんな彼女の顔と向き合う事に堪える事が出来る気がしない、そんな感情を表情の仮面で覆うので精いっぱいだった。
学校のチャイムと赤く色付いた空の色、奏でられるメロディーが彼女たちを縛る規則の時間の終わりを告げて行く。
幾つもの影が伸びている。影を伸ばしている彼女たちが足を進める先は昨日と同じ摩訶不思議な雑貨屋。並べられた品の顔触れは変わった様子を見せておらずただそこにあり続ける。
「んで、どれだ」
早口で訊ねる来乃芽を迎え入れるように粟子が拳を差し出す。
「はい」
無機質を感じさせる顔と声、来乃芽に手渡されたガラス玉に現れた違和感を美理は見逃さなかった。
「雪の結晶みたいなのが入ってたね」
来乃芽が腕を前に出し、見つめるガラス玉、そこに入った白い模様は色の変化でない事など雨月には寸の時間すら要さずに理解できた。
「ヒビ、大丈夫だといいけど」
それから数秒間の沈黙が生まれての事だった。ガラス玉の中心から赤い靄のような模様が、濁りが広がり始める。
「私は赤だな」
広がり続ける濁りはヒビを伝って外へとはみ出して煙と化した。それは宙を漂いながら来乃芽を包み、やがて広がっていく。
「何これ」
店の中に冷静の情など残されていなかった。平常心など出禁となってしまったのか、鋭い叫び声にガラガラとした野太い声に、各々の音が撒き散らされながら駆け、店を出て即座にドアは閉じられる。
叫びの余韻は騒がしさとして残り、誰もが慌てふためく。しかしながらそれも長くは続かずやがて落ち着きは空に透けて雰囲気となって浸透していく。
ドアを開けた少女たちの視界に真っ先に入ったのは相変わらず表情の色を持たない粟子とぽかんと口を開けて立ち尽くす来乃芽の姿だった。
それから数日の時が流れて行く。あの時の件について口を開く者はこの場に誰もおらず、あの店に足を運ぶ事も無くなった様子。変わり果てた行動、遠くへと去ってしまったように感じられる幻想。その隣には分かりやすく変わり果てた現実があり、あまりにも身近に感じられる。
あの日以来、来乃芽は大人しくなった、否、無を張り付けてしまった。怒りを散らす事が無くなった事は確かだがそれだけでは収まらない現状。来乃芽の表情から色が失せてしまったよう。
言葉の抑揚は失われ、その目は虚ろ。休み時間が訪れても椅子に座りっぱなしでまるで生活を営む人形のよう。
もう誰も彼女によって苦しめられる事は無い。雨月は思わず安心感を得てしまう事に悔しさを抱いてしまうものの、素直な想いに逆らう事など叶わない。
かつて来乃芽の周りで機嫌を窺っていた女子たちは誰もが喜びを口にして笑顔を深めていた。
そんな様子を見つめ、粟子は顔を逸らす。誰にも見られない陰の中で鋭い笑みを浮かべながら。
夜空の屋根の下、少女はガラス玉に釘を打ち付け、中にヒビを刻みながら思い返していた。
それは一人の少女がとある店に足を踏み入れた時の事。様々な摩訶不思議な商品を眺めて回っている中で目を止めたものがあった。棚に置かれたコルクの箱。その中に収められたガラス玉たちは少女の目を釘付けにする。
心が少女に告げてその手は自然と伸ばされた。
ガラス玉を手に取って瞳を輝かせながら凝視する。
その途端の事だった。ガラス玉の中心から緑の靄のような濁りが広がり始めてガラス玉を充たし始める。
少女は目を見開き、手は自然と開かれ揺れて、ガラス玉は滑り落ちる。空中に沈むように落ちる玉はやがて地面を捉え、衝撃を纏い、幾つもの破片へと姿を変えた。
そこからはみ出した緑は煙となって少女の身体に巻き付いて。
気が付いた時には貌の形を失っていた。声の色を失っていた。
ほんの数秒で生まれ変わったように心が波音立てることなく静かに世界を見つめ、少女はただ歩き始める。
そんな彼女が唯一心惹かれる瞬間を発見したのは数人の女と集まっていた時の事だった。ガラス玉を見つめる少女の中に一つの衝動が生れ落ちた。
――誰かを貶めたい、同じような目に合わせたい
そうしてガラス玉の説明を始めて同級生たちに手渡すとき、少女の脳裏には一人の女の姿が写り込んでいた。
――嫌われ者のコノなら、簡単そうかな
そうして少女は口を開く。
「コノの色も確かめてみようよ」
その言葉に殆どの者が賛成の意見を示し、彼女の野望は一つ、つぼみを膨らませた。
少女の中に新鮮な感情が宿る。ガラス玉を割ってしまったあの日から忘れてしまっていた意識の火が灯り、そこでようやく気が付いた。
少女はガラス玉を使って他者に同じ悲劇をもたらす事でしか感情を持つ事が出来なくなってしまったのだと。