ナイフで刺す前と、こちらに戻ってきたときの時刻に変化はなかったので精神世界にいる間時間は止まっているのだろう。
守護者につけられた肩の傷はなくなっているから、向こうでの肉体の変化は現実世界では無効化されるのだろう。
今回の実験で分かったのはこれくらいだろう。一回の実験では不明瞭な部分が多いけれど、十分な収穫だ。実験など妖精を誘拐すれば何度でもできる。
魔界で復讐と革命を為さないとといけないから妖精界には当分来ない。なら、誘拐するのは将来性を考えて今回のような大人ではなく、子供のほうがいいだろう。子供は魔物に襲われるかもしれない集落の外には出ないだろう。かといってもう一度ユグラルに入るような真似はしたくない。ほかの集落を探すしかなさそうだ。比較的小さな村がいいな。
外套を纏い、翼を広げる。背中に半透明の黒い翼があらわれる。妖精や神のようなシンプルな形ではなく、ドラゴンの翼ようないびつな形。
周りの人にはどう見えるだろうか。悪魔、魔神あるいは魔物に見えるだろう。だけど、私は悪魔になってでも為したいことがある。手に入れたいものがある。この道を進むための力も道しるべもある。あとは進むだけだ。
リンゴのおかげで魔力に満ちていいる翼を動かす。烈風に商人の死体と馬車が吹き飛ばされる。
見られる心配がないので地面が見える高度で飛ぶことができる。魔力の心配もないので、集落が見つかるまで飛び続けることにした。
美しい夕焼けに、青々と茂る草木。どれも魔界にはないものだった。なぜ、魔界に生まれただけで魔族と呼ばれなければならないのか。”魔”を冠さなければならないようなことは歴史上何もしていないはずだ。妖精が魔界を忌み嫌っているのも知っている。たまたま妖精界に生まれただけでなぜ魔界の民を迫害できる?なぜこの美しい風景を独占できる?
魔族も、私の家族もなにも悪いことはしていない。それなのに、それなのに……。
無性に心が苦しくなり、息ができなかった。バランスを崩し、何かにぶつかった。視界が真っ黒で何かはわからないけれど痛みと音の感じから多分木だ。地面のぬくもりを感じていると、急に眠くなり、寝てしまった。
♦
次に目を覚ました時、私はベットの上だった。状況が分からない。必死に記憶をたどっていると一人の少女が扉から入ってきた。妖精の彼女は私に気づくと、笑みを浮かべながら話しかけてきた。
「体調は大丈夫?あたしびっくりしたわ。水を汲みに行ったらあなたが倒れているんですもの。荷物は全部そこに置いてあるから」
少女の言う通り、私の荷物はすべてベットの横の机の上にあった。着ていたはずの服と一緒に。一瞬のラグの後に脳が理解する。着ていた服がそこにあるということは、今の私は下着姿なのでは?あわてて布団にもぐる。そんな私を見て彼女は笑いながら続ける。
「ごめんね。服は濡れてたから代えておいたの。あなたの服は選択しておいたからもう着れるわ」
慌てて布団にもぐったけれどよく見れば私は服を着ているではないか。しかも少女と似たようなレースのあるかわいい服を。うれしさと恥ずかしさがまじりあってよくわからなくなる。
「えっと、ありがとう。その、私どれくらい寝てたの?」
彼女は「ふふ、どういたしまして」と素晴らしい笑顔で返したあとに私の問いに答えてくれた。
「たぶん3日位だと思うわ」
3日。3日間も彼女に世話をさせてしまっていたのか。
「ほんとうにありがとう。大げさかもしれないけど君は命の恩人だ。何か手伝えることがあればぜひやらせてほしい」
「ほんと!?うれしいけど、無理はしないでね。これから牛さんのお世話をしに行くから一緒にやりましょう♪」
私の提案に彼女はまたまた笑顔で答えてくれた。