「……え?」
私は、湯水さんの言葉があまりにも唐突すぎて、その場に固まっていた。
そして、気がつくと桐島さんに両脇の下に腕を通されて、身動きが取れなくなっていた。
「は?え?ちょっと待って」
困惑する私のことを、湯水さんはじっと見つめていた。
「さて、じゃあ渡辺さん、お昼ご飯にしましょうか」
湯水さんは、私が持ってたメロンパンを取り上げて、封を開けた。そして、中のパンを地面に落として、それを思い切り踏んづけた。
脚を上げると、パンは上履きの跡がついていた。
「さあ、はい。あ~ん」
湯水さんがそのメロンパンを拾い上げて、私の口許に持ってきた。
当然、口を固く閉ざす私だけど、湯水がそれを許すはずなかった。
「なに?食べられないの?お腹いっぱいかしら?」
「………………」
「じゃあ、お腹減らさなきゃね」
そんな台詞を吐いた瞬間、湯水さんは私のお腹を思い切り蹴り上げた。
「げぇっ!」
思わず開けた私の口から、胃液が少し漏れる。その隙を狙って、湯水さんはパンを口に詰めてきた。
「むがっ!」
「美味しい?そう、良かった」
「きゃははははははははは!!」
気色の悪い湯水の微笑みと、耳がキンキンする喜楽里の笑い声が、私の恐怖心と……有り余る怒りを湧き上げさせた。
がりっ!!
私にパンを咥えさせている湯水の人差し指を、パンと一緒に思い切り噛んでやった。
「っ!!」
咄嗟に手を離した湯水は、自分の指を確認した。人差し指に歯の跡がくっきりと残り、そこからポタポタと血が垂れる。
「ありがとー湯水さん。美味しかった♡」
「………………」
「それにしても、あなたのカレ……立花くんだっけ?見る目あるよね~。あなたよりも私の方が魅力的だって分かってたってことでしょ?デート中、私のFカップばーっか見てたもん。こんなことなら、デートすっぽかすんじゃなかったかな~?」
私が今思い付く限りの煽りを受けて、さすがの湯水も笑うのを止めた。
すん……と、無表情になり、ひたすらに冷たい眼差しを私に向けた。
「生意気なメス犬が……。調子乗ってんじゃないわよ」
湯水は、自分の上履きを片方脱ぐと、それを使って私の左頬を思い切り叩いた。
パシーンっ!という大きな音が、周りの空気を震わせた。
パシーン!パシーン!と、合計三回ほど私の頬を殴り続けた。執拗に同じ場所を狙ってくる辺りが、湯水の性格の悪さを物語ってる。
湯水は腕を振り上げて、四回目を私に食らわそうとしたその時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。それと同時に、湯水は腕を下ろして上履きを履き、桐島も私を解放した。
三人は私に背を向けて、スタスタと出入口の方へと歩いていく。そして、湯水が眼だけをこちらに向けて、こう言った。
「私の立花くんがあなたを誘うなんて、ありえない。どうせあなたが誘惑したに決まってる」
「あ、そう。じゃあ本人に訊いたら?たぶん言ってくれるよ?『湯水ちゃんー!君のAカップじゃダメなんだー!美結ちゃんのFカップじゃなきゃダメなんだー!』ってさ」
「私はAカップじゃない!B カップだ!」
コンプレックスを刺激されたのか、ものすごい剣幕で湯水は怒鳴った。
「Bカップ?ざっっっっこ!Fカップ未満の女は人権ないって知ってた?」
「……見てなさいよ、あんた。学校に来られなくしてやるから」
そう捨て台詞を吐いて、彼女たちは出ていった。
「……はあ、痛いなあもう……」
私は痛む頬を手で押さえて、家路を歩いていた。上履きでビンタされるのって、思いの外痛い。頬が腫れてるのが鏡を見なくとも分かる。
「これからは、あいつらが鬱陶しいことしてきそう……。はあ、ダルい……」
家の玄関を開けて、二階にある自分の部屋へと向かう。その時、兄……なんて呼びたくない、あの男がいた。
「美結、お帰り。あれ?その頬どうした?」
「………………」
もちろん、私はその言葉を無視した。
冴えない男に心配されるとか、屈辱の極み。 部屋にスタスタと入って、鞄をベッドに放り投げた。
「あ~むしゃくしゃする。“メグ”に電話しよう」
私はポケットからスマホを取り出し、メグに電話をかけた。
メグというのは、私が転校前に通ってた友だちで、一番仲良しだった。本名は平田 恵実なので、メグと呼んでる。
『もしもし~』と言って出てくれた彼女の声に、私は久しぶりに安心した気持ちになった。
「メグー?久しぶり~」
『あ、美結?どうしたの?』
「ちょっとさー!聴いてー!」
『えー?なになにー?』
私はメグに、事の経緯を事細かく話した。途中、話ながらだんだん湯水たちにまたムカついてきたので、言葉もちょっと荒くなった。
メグは『うんうん』と言いながら、小一時間ほど続いた私の話を聴いてくれた。
「ホントに痛い!マジでありえない!」
『それは酷いね~』
「でしょー!?もうマジでイライラする~」
『ちゃんと冷やしたり、薬つけておいた方がいいよー』
「うん、そーするー」
私は一階にある薬を取りに行くために、スマホを持ってメグと話したまま、部屋を出た。
「あれ?」
扉を閉めようと取っ手を見ると、そこに小さなビニール袋がぶら下がってた。
スマホからメグの『どうしたの?』という声が聞こえる。
「なにこれ……?」
右手でスマホを持って、左手でビニール袋を持つ。袋の中を覗き込んで見ると、傷薬……というか、軟膏が入っていた。
小箱に入ってるタイプで、まだ未開封だった。 そして、小さな紙?的なものも袋の中にあったので、一度袋を床に置き、袋の中に手を入れて、その紙を取ってみた。
それは、近所のドラッグストアのレシートだった。 1500円……結構高い。それと、4月10日の午後4時25分に購入したという記載が、レシートの中にあった。
「今は……4時40分。ついさっき買ってきたってこと?」
『なにー?何かあったのー?』
「あ、いや……なんか、ドアの取っ手にビニール袋が下がってて、中に薬があった。さっき買ってきたやつっぽい」
『へー!良かったじゃーん。お母さんからかな?』
「いや…。ママはまだいないし……たぶん……」
──美結、お帰り。あれ?その頬どうした?
「……お兄、ちゃん?」
『え?お兄ちゃん?あ、そっか。お母さん再婚して義理のお兄さんできたんだっけ?』
「うん」
『優しいお兄さんだね』
「………………」
私は袋を手に取って、部屋のドアを開けた。部屋に入る前に、ちらりと……兄の部屋の扉を見た。
「………………」
しばらく私は、その扉を見つめていたけど、それ以上は特に何もしないまま、私は自分の部屋へと入り、ドアを閉めた。