プロローグ
夜の闇に包まれたゲートには、黄色いテープが幾重にも貼られている。子どもたちの楽園は生まれて間もなく安らかな眠りにつくことになった。まだ動き足りないと言わんばかりのウサギたちの声が聞こえてきそうだと
この施設はどうするのであろうか。解体されるのであろうか。解体されたとして次は何の施設に生まれ変わるのか、それともこの場所で朽ち果てていくのかと憩は、ただ黙って歯を突き出したウサギたちの顔を眺めて、やがてその場を離れた。
憩がウサギを飼ったのはいつのことだったろうか。
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パークはウサギをイメージしたアトラクションが並ぶ遊園エリアと、小動物と触れ合える小さな動物園が併設している。
ラビットパークの略なのか、ラビットパラダイスの略なのか。名前の由来は今のところ
不明である。
副園長の小林に一度尋ねたことがあるが、シンプルにラビットパークの略なのではないかと答えた。細身で背が高い小林は終始、冷静沈着なタイプで取り乱しているところを見たことがない。それに大して、園長は小林の何が気に食わないのか、日々小さなことで小林を叱りつけ、彼の耳に入るくらいの距離で彼の悪口を言っていた。小言なんて、小林にとっては塵かホコリくらいのダメージと思われる。
頭がハゲあがった園長は
ハゲ、小太り、わからずや、小賢しい、ウザい。いくらでも欠点なら挙げられる彼がなぜ園長をやっているのか知らないけれど、子どもの楽園なんだから、もっと楽しげににこやかに、仕事をしてほしい。なんて、たかがバイトの憩は口が避けても言えない。
園長には奥さんがいる。名を
そんな職場を好きにはなれないが、一年、バイトを辞めずに続けているのは、高時給なのと、子どもの笑顔を見るのが好きなこと、あとはウサギが好きだからである。
夏休みに入った途端、平日の入場者数がそれまでの十五倍ほどに膨れ上がる。稼ぎ時ではあるが、遊園地のクルーたちからすれば、ああ、これから一ヶ月強、暑い中働いたとて、お給料が上がるわけでもないので、夏前にバイトを辞めてしまう人が後を絶たない。
憩も、最近の並外れた暑さには悲鳴をあげたい気分だった。クーラーの効いた飲食店などでバイトした方が身の安全を確保できるかもしれない。実際、去年の夏休みはクルーが三人、熱中症になった。
園内にはミストと扇風機があるが、それでも一日働いているクルーたちは汗だくだ。
仕事内容は清掃、アトラクション点検の補佐、販売など多岐にわたり、正社員ではないバイトは全員で二十五名ほどいる。憩はぴょんきちコースターという、ウサギ型の幼児向けジェットコースターの受付を行っている。
アトラクション担当は昼の十三時から十七時まで、その後は事務作業を手伝ってほしいということで、事務所でパソコンを操作するのだが、この事務所には大概園長と副園長がいる。そして園長の妻、悦子はいつも私服のまま差し入れを持ってやってくる。この事務作業の間が憩にとって地獄なのだ。園長の小言、副園長への粘着質なイジメ……五十を超えたおじさんがみっともないと思うが、憩はただ、無のままパソコンを打つ。唯一の仲間はバイトの
海は事務室にある印刷機で園内マップや催し物開催のチラシなど印刷を行っている。
海は大学も一緒で学年は違うけれど気心知れた仲だ。帰り道、よく海と一緒に愚痴を言い合っている。
このラビパは、市町村と民間会社が共同で開発した施設で人口流出が右肩上がりの昨今、若い人に居住してもらう、または紋路市に好印象を持ってもらうために開発された。実際ラビパは低年齢向けのアトラクションが多く、遊園地のイメージキャラクターの『ラビタン』と『ラビリス』はとても可愛いと人気があり子どもたちに大人気である。ウサギがテーマのテーマパークなので、アトラクションもそれぞれ個性的だ。右へ左へ、斜めにも動くスリリングな乗り物はクレイジーラビット、馬ではなくてウサギと人参を象った乗り物が回転するラビーゴーラウンド、令和らしく4Gが楽しめるシネマ型アトラクションなどが揃っている。
憩は業務終了後に園の端にある『ふれあい広場』によく立ち寄る。動物と触れ合うことのできるふれあい広場で、そこで飼育しているウサギや動物たちの姿を見ると心が和むからだ。ウサギは全部で五羽、そのうちの三羽はこの紋路市の市長、
「セイジ、セイジ、誠実な南原に清き一票を!」
市長選の時の選挙カーから響く声が耳に残っている。その誠実がウリの南原市長は、御年六十二歳のどこにでもいそうな初老のおじさんではあるが、ウサギが大好きなことで知られている。市の中心にある敷地面積二百坪ほどの豪邸には、ウサギのための小屋が建てられているくらいである。
夜の十時半、空には夏の大三角が輝いている。本当はバイト終了後に園内をウロウロするのは禁じられているが、今日も憩は薄暗いふれあい広場に向かった。
ウサギとリスの絵が描かれているゲートを抜けると、騒々しいアトラクションゾーンとは空気が変わる。動物たちのにおいがする。
足を踏み入れて、異変に気づく。
ふれあい広場には、羊とヤギのいるゾーン、ウサギゾーン、リスゾーンがあるが、ウサギゾーンの金網が開いたままになっていた。目を凝らしてみると、ウサギゾーンにウサギが一匹もいない。ウサギは穴を掘る習性があって土のトンネルの中にウサギが隠れている場合も多い。しかし、この日は気配すらしない。
ふれあい広場は午後五時までの営業でそれ以降、飼育員が鍵を閉める。そのため動物たちのいるところまではたどり着けない。遠目で飼育ゾーンを覗くがやはり様子がおかしい。憩は踵を返して事務所へと向かった。
事務所には、国定と小林がいた。険悪なムードだったのかそうでもなかったのか憩にはわからなかったが、とにかく伝える。
「あの、ふれあい広場のウサギが……」
話を聞いた国定は眉をひそめる。
「本当か、暗くて見えないだけなんじゃないのか?」
「でも気配がないです」
小林も首をかしげる。
「西田さん、どうしてふれあい広場へ行ったの?」
小林にそう問われた憩いは思わず気を揉む。
「す、すいません……」
「たまに動物たちが気になって、見にいっていました」
憩がそう言うと眉間に皺を寄せた小林に対して、青ざめている国定の顔が見えた。
「もしかして、本当にいないんじゃないだろうな。だとしたら一大事だ」
慌てて事務所を出ていく国定を小林と憩は追う。事務所からふれあい広場までは一キロほどある。お土産などを販売する売店コーナーを抜けて、噴水のある広場を抜け、るとふれあい広場の看板が見える。
息をきらした国定がふれあい広場へのウサギゾーンの金網についている南京錠がロックされていないのを見て、声をあげる。
「誰だ、誰が開けっ放しにした⁉」
憩は驚いた。先ほど来た際には暗くてよく見えなかったが、南京錠のU字の部分は確かにはまっていない。
ウサギの飼育ゾーンに入って、トンネルの中を覗き込むが、やはりウサギの姿は見えない。
「その辺にいるかもしれない」
国定は慌てた様子で辺りを見回している。「これを」と、小林が手に持ってきた懐中電灯を国定に渡す。灯りが点ると全貌が見えてくる。羊とヤギのいるスペースやリス小屋に異変はなく、いつものように彼らは休んでいた。ウサギの飼育ゾーンだけがもぬけの殻ではあるが、金網は閉まった状態になっていたので、ウサギたちが外へ出ていったとは考えにくい。
「
国定に比べて冷静な小林が作業服のポケットから携帯電話を取り出した。ラビパでは、園長も副園長も基本いつもグレイの作業服を着用している。
何コールかしたあと金田が電話に出たらしい。
副園長が電話を切る。
「なんだって⁉」
息を切らした国定が問う。
「いつも通り、午後五時にふれあい広場は終了してリス小屋、羊小屋、ウサギ小屋に鍵をかけたそうです」
身長が百八十ある小林を見上げるように、まとわりつく国定。
「本当か⁉ 閉め忘れたんじゃないのか⁉」
国定が小林の作業服を掴んでいる。国定園長がこれまでに焦っているのは、ウサギを大切に思っているからではなく、市長の南原から三匹のウサギを寄贈されたことにあると憩は理解している。
「閉め忘れたとしても、五匹ともどこか行ってしまうのでしょうか?」
国定に服を引っ張られている小林は困り顔だ。
憩が先程、ふれあい広場に立ち寄ったのは、午後九時半ごろ。ということは、金田の言っていることが本当なら午後五時から九時半の間に、何者かがふれあい広場に侵入してウサギを逃がしたか、持って帰ったか。
「園内を探しましょう」
憩はふれあい広場からアトラクションが並ぶエリアに戻って、植木の隙間や建物の裏などを見てまわる。飼っていたのは五羽ともネザーランド・ドワーフという種類のウサギで日本のペットショップでは割とメジャーに販売されている。ピーターラビットのモデルになった種で、小さくて愛らしい姿が人気だ。土に穴を掘る習性があるので、花壇や植木の下などに穴が空いていないか確認する。やがて、国定に呼び出されたのか、金田がやってきた。
「ウサギがいなくなったってどういうことですか?」
慌てて家を出てきたのかシャツの裾がめくれて、つっかけサンダルを履いている。
「お前が施錠を忘れたんだろ⁉」
顔を真っ赤にした国定に言い寄られてあたふたする金田。すると園長の妻、悦子もやって来た。
「鍵はちゃんと閉めましたよ!」
金田は困り果てている。
悦子も急いでやってきたのか、普段は見ないスウェットの上下を着用していた。
「ウサギちゃんがいないんですって⁉」
普段は化粧が濃い悦子だが、憩は初めてすっぴん姿を見た。すっぴんで駆けつけてくるくらいウサギはこの園にとって重要?
市長との関係性があるから。憩はため息をつきたくなった。モカ、ミミ、ララ、あずき、きなこの五羽を憩はとても可愛がっていた。実際に飼育を担当しているわけではないが、ふれあい広場の動物たちをこっそり観察して癒やされていたので、国定夫妻の焦燥する姿に憤りを感じた。
「盗まれたんじゃないですか?」
小林が突然発した言葉に一同は唖然とする。
「盗まれた⁉」
「盗まれた⁉」
国定夫妻の声が被った。
憩いもまさかウサギが盗まれるという発想がなかったので驚いた。
「ウサギが盗まれるなんてあるのかしら⁉」
「おい、デタラメ言ってんじゃないぞ、小林!」
また国定が小林に突っかかっていった。
「デタラメではありません。防犯カメラを確認しましょう」
冷静沈着な小林は事務所方面に向かって歩きだす。園内には、チケット売り場、各アトラクションの乗り場に防犯カメラが設置されているが、ふれあい広場にはないと以前、小林が言っていたのを思い出す。
憩はポケットからスマホを取り出した。
「窃盗事件なら警察に電話をした方がいいですよね?」
その言葉に小林が振り返ったが、それよりも隣にいた国定夫妻が慌てた。
「西田さん、辞めて! まだ盗まれたって決まったわけじゃないから!」
国定の顔には、市長にウサギが盗まれたかもしれないことがバレるのが嫌だと書いてある。呆れた憩だが、園長命令なので仕方なくスマホをポケットにしまった。
ふれあい広場は高さ二メートルほどのフェンスに囲まれている。その向こうは至って普通の住宅街だ。
この程度のフェンスなら簡単によじのぼって園内に侵入できる。セキュリティーが甘いと感じた憩ではあったが、小林に続いて事務所に入る。
監視カメラの映像を午後五時まで巻き戻す。ふれあい広場は五時までの営業だが他のエリアは夜の九時までやっている。監視カメラにはアトラクションに乗り込むお客さんや、チケット売り場の前で友達と喋る人が映っている。
ふれあい広場に一番近いアトラクションはゴーカートだ。それなりによく走るかっこいい車はこの遊園地の中で唯一ウサギデザインではない。
可愛いウサギの乗り物ばかりでは、男子のハートを掴むことができないという理由で、男の子が好きなランボルギーニやブガッティのデザインの車が並ぶ。
監視カメラでは、それらの車に乗り込む親子が何組か映し出されていたが、次第に辺りが暗くなり、六時半ごろには、お客さんもまばらになっていた。
各アトラクションの乗り場に監視カメラが設置されているのは、乗り物スタッフが手を抜いていないか。安全確認などを行っているかを抜き打ちチェックするためだと、以前事務所で国定が話していた。
しかし、監視カメラの映像には当然のことながら、ゴーカートの乗り場しか映っておらず、ふれあい広場方面のことはまるで分からない。
そんなにウサギが大事なら、ふれあい広場にも監視カメラをつけておけよと心の中で毒づいた憩は、事務所から出ようとした。
「どこへ行く?」
小林にそう止められた憩は
「ゲートの外も探してみます」と言ったが、小林が首をふる。
「やはり警察に電話しよう」
国定夫妻は事務所にはおらず、園内を探し回っているようだ。その隙に小林が110番をする。