これまで、クラスの中での(数少ない)話し相手という認識だった
理由としては、オレのことを心配して話しを聞いてくれた男子生徒のおかげで、自分のこれまでの考えや気持ちが整理できたことが大きい。
そして、まことと話すことで、自分が幼い頃のことを思い出し、その頃に
五月のさわやかな青空が広がるこの日は、定期テスト前の最後の授業日ということで、授業が行われたほとんどの科目で、試験範囲の確認とテスト対策の授業内容になっている。
そんななか、古典の授業だけが、前の授業までに試験範囲を終えることができていなかったのか、授業の前半は、『古今和歌集』の和歌の解説が行われた。
「『
古典担当の女性教師の言葉に従い、学校から支給されているタブレットPCを開き、ログインする。
オレが中学二年になった頃から、市内の学校では生徒一人一人にタブレットPCが支給され、科目(というか担当教師のICTスキル)によっては、毎時間のようにタブレットを使った授業が行われている。
この時間の授業を受け持っている古典の
「この歌の現代語訳は、いま、みんなに送ったカードの二枚目に書いています」
解説を行う先生の言葉にしたがって、画面上にあらわれた付箋のようなカードをスライドさせ、二枚目のカードを表示させる。カードには、こんな内容が書かれていた。
現代語訳:五月を待って咲く花橘の香りをかぐと、昔親しくしていた人の袖にたいていたお香の香りがすることだ。
「ここで読まれている
大西先生は、そう言ってから、和歌が詠まれた
「宮中での仕事が忙しく、妻のことをあまりかまってやれなかった男の妻が、他の男についてよその国に行ってしまいました。月日が経ち、その国に元の夫が使者として出かけたところ、かつての妻は、使者を接待する役人の妻となっていることがわかりました。この歌は、元の夫が元妻に接待を受けているときに、酒の肴として出されていた
「元妻は、目の前にいる使者が自分の元夫だと気づくことはなかったので、彼は
大西先生は解説を終え、「それでは、この歌の品詞について確認しましょう」と、本来の古典の授業をはじめるが、オレの意識は、先生が語った歌の解釈に関するエピソードの方にとどまったままだった。
(
そんなことをボンヤリと考えていると、いつの間にか、本題の品詞の確認は終わっていた。
「それでは、ここからは自習時間です。この時間が終わるまで、イロイロノートの
大西先生は、そう言って、生徒の自主性に任せる時間に入った。言葉づかいは丁寧だが、この先生の授業方針は、自由放任なのか、ただの手抜きなのか、わからないことがある。
ちなみに、『生徒間通信のロック』というのは、この時間に使用しているイロイロノートに搭載されている機能の一つだ。イロイロノートは、通常、教師と教師、もしくは教師と生徒間でのみ、カードの送受信を行うことができるようになっている。これは、もちろん、授業中に生徒同士で勝手にカードの交換が出来ないようにするためだ。
それでも、グループ学習などの場面では、この生徒間通信のロック機能を解除して、生徒同士で意見交換が出来るようになっているのだ。
―――と、まあ、そういうことなのだが、クラス内ぼっちのオレには、好き好んで自習時間にカードを送ってくるようなクラスメートはいない。
ましてや、現在のオレは、前日の授業開始前に、インフルエンサーの四葉ちゃんに
(ここは大人しく、試験対策をしているフリで残りの時間をやり過ごそう……)
そう考えて、自習(のフリ)モードに入るために、タブレットで、過去の授業の内容を確認しようとこれまでのノート一覧を開こうとすると、付箋のようなカードが画面上に表示された。
これは、教師か生徒がオレの画面上のノートにカードを送ってきたことをあらわしている。
送り主が表示されるカードの左下には、