朝のショート・ホーム・ルームを前に、一大演説(?)を行ったあと、予想どおり、クラス内で
二年になってから最初の定期テストまでは、週末を含めて、あと三日なのだが……。
前日の放課後と同じく、いや、それ以上に気持ちがふさがり、試験勉強など手につかない。
また、このまま、下校して喫茶店その他の飲食店に行く気も起きず、帰宅部のくせに校内を徘徊していたオレは、気がつくと、校舎北館の展望フロアに続く昇降階段の前に来ていた。
(外から校内を見渡せば、少しは、気分転換になるか……?)
そう考えたオレは、展望フロアに出てみることにする。
重い鉄製の扉を開けると、初夏の空気が身体全体を覆った。
ここ数年は夏になると、
「過去に例のない危険な暑さが予測され、人の健康に係る重大な被害が生じるおそれがあります」
などと、連日、ニュースで報じられたりすることが多いが、今年の夏は大丈夫だろうか……?
そんな心配をしながら、テスト前の期間なので誰もいない運動場に目を向ける。
すると、おもむろに鉄製の扉が開き、その向こうから、見知ったクラスメートが姿をあらわした。
「ようやく、見つけた! 探してんだよ、ムネリン!」
「塚口……どうしんだよ、こんなところまで来て?」
突然の登場におどろいたオレが問いかけると、教室では後ろの席に座っている同級生は、なぜか申し訳無さそうに答えを返す。
「今朝のことがずっと気になって、ずっと声をかけようと思ってたんだけど……ごめんね、放課後に」
クラスメートの意外な言葉を不思議に思ったオレが、
「いや、朝は変なことに巻き込んでしまって済まなかったな」
と、謝罪すると、小柄な男子生徒は、男性アイドル事務所に所属できるのではないかと見紛うほど整った顔をフルフルと横に振り、
「ムネリンがツラそうにしていたのに、クラスのみんなのことが気になっちゃって、すぐに話せなくてごめんね」
と、ふたたび、謝罪の言葉を口にする。
そのようすは、閉じかけていたオレの心を動かすものがあった。
こわばっていた顔に、自然にフッと笑みが浮かんだオレは、クラスメートに語りかける。
「なんで、謝るんだよ。教壇のところまで付き合わせて、迷惑を掛けたのはオレの方だぞ? おまえは、なにも悪いことをしてないじゃないか、マコリンペン」
「もう、朝もその呼び方は、やめてって言ったじゃん!」
塚口まことは、そう言ってほおを膨らませたあと、続けて、こんなことをたずねてきた。
「ねぇ、ムネリンは、『泣き虫なケモノのおはなし』ってタイトルの絵本を知ってる?」
クラスメートが口にしたのは、聞き覚えのあるタイトルだった。
「懐かしいな! 保育園のときに、発表会の劇で演じたことがあるぞ」
オレが、そう答えると、まことは嬉しそうに、
「そうなんだ! ボクの幼稚園と同じだね!」
と、答える。その笑顔につられて、オレは、懐かしい思い出を口にする。
「なにを隠そう、オレは主人公の白いケモノを演じたんだ! クラスでモブキャラのいまじゃ、考えられないけどな!」
自嘲気味に苦笑しながら、そう答えると、クラスメートは、ふたたび声を弾ませて、
「ホントに? それもボクと同じだ!」
と、はしゃぐように返答した。そのようすを微笑ましく感じながら、まことにたずねる。
「けど、その『泣き虫なケモノのおはなし』がどうしたんだ?」
「うん、あのね……今朝のムネリンを見ていて思ったことがあるんだ。今日のムネリンの行動は、あのお話しに出てくる黒いケモノみたいだなって……」
予想外の言葉に、オレはいぶかしく感じながら、聞き返す。
「オレが、黒いケモノだって?」
「うん、黒いケモノは、人間と仲良くなりたいって考えている白いケモノのために、自分を犠牲にして、白いケモノと人間の仲を取り持とうするだろう? それが、今日のムネリンと同じだなって思ったんだ」
「いやいや、それは買いかぶり過ぎだろう? 第一、オレは上坂部と話し合って、あんなことを白状したわけじゃないぞ? あくまで、自分が勝手にしたことで、クラス委員に迷惑をかけたくなかっただけだ」
「それでもだよ! 自分のことを優先して考えるなら、今日のことを黙ってスルーすることもできたハズだ。でも、ムネリンは、そうしなかった。そんなムネリンを見て、黒いケモノをみたいでカッコイイなって、ボクは思ったんだ! 今日は、そのことを伝えたかったんだけど……クラスのみんなの目が気になって、なかなか、声をかけられなかったんだ。ゴメンね、ムネリン」
涙をこらえそうになりながら、必死で自分の想いを伝えようとする相手に、同性ながら、思わず胸が高鳴りそうになるのに、気づいてしまう。
(可愛すぎだろ、マコリンペン……)
その表情の愛おしさたるや、反則級である。
そんなふうに感じる想いを押し殺し、照れ隠しに無人のグラウンドの方に目を向けながら、オレは答える。
「黒いケモノみたいに、そんなカッコイイもんじゃねぇよ……」
本当は、その一言だけを言うつもりだったのだが、オレの心を軽くしてくれた同級生には、どうしても、もう一つ伝えなければいけないと感じ、自然と唇が動く。
「だけど……ありがとうな」
かすれそうな声で、そう口にすると、同級生は鼻を小さくすすりながら、「うん!」と、満面の笑みで答えるのだった。
そんなクラスメートの笑顔を見ながら、オレは、いましがた話題にあがった『泣き虫なケモノのおはなし』の劇を演じてしばらく経ってから、親しく話していた相手と大切な約束を交わしたことを思い出した。