四人でボックスに入ってから二時間近くが経過し、メンバーそれぞれが歌い疲れたということもあって、休憩タイムに入る。
カラオケ・ボックスには、オレと転校生の二人だけが残っている。
狭い室内には、かすかにフローラルの匂いがただよう。それは、オレンジやレモンなどの柑橘系の実を感じさせるように、心地よく香ってきた。5月半ばの季節にピッタリな爽やかで明るいシトラスフローラルの香りには、なぜか、まだ幼かった頃の記憶を思い出すような不思議な気持ちにさせる効果があるようだ。
そんな気分にひたりながら、ワカ
「あ〜、くっそダルい……」
ガラス製のテーブルを挟んで斜め向かいの位置に座るオレが思わず声の主に視線を向けると、当事者の
その組み方は、一般男子の目を釘付けにしてしまうような女性の魅力を振りまくような仕草ではなく、ただただオッサンくさく、あぐらを組むように右足を大きく広げるものだった。
しかし、そんな色気とは無縁な動作であっても、制服のスカートははだけるもので、気まずくなったオレは、斜め前の位置に座る彼女から目をそらし、スマホで検索作業に没頭しているように体裁を取り繕う。
こんなときのために、オレは便利な特技を身につけていた。
それは、ゆるい雰囲気の百合マンガの主人公である女子中学生が、その存在感の薄さをイジられて「\アッカ◯~ン/」と言う効果音を与えられたように、心のなかで「\ムッネリ~ン/」と唱えると、背景と同化して自分の存在を消せるのだ。
学年でも三本の指に入る美しさという評判を持つクラスメートの都合の悪い言動なんて、聞いていないし、目にしていませんよ……という体裁を取るため、ここは、その特技を発動させる場面だと判断し、
「\ムッネリ~ン/」
と、密かに心のなかでつぶやく。
しかし、オレの懸命な気遣いにもかかわらず、斜め前でふんぞり返っているクラスメートは、パブリック・イメージが崩壊することなど気にする様子もなく、気だるそうにたずねてくる。
「ねぇ、立花クンだっけ? あなた、どうしてココに居るの?」
(なんだ……オレと同じ空気を吸うのもイヤだったのか……)
陰キャラ独特のネガティブな思考にとらわれたオレは、存在感を消して、空気と化す特技が発動しなかったことを後悔しつつ、
「あっ……オ、オレもトイレに行って来よう……」
と、席を外そうとしたのだが―――。
組んでいた脚を床に下ろし、トンッと音を立てた
「そ〜言うことじゃなくてさ〜。『なんで、クラスで三軍空気キャラのあなたが、今日のカラオケに参加してるのか?』って聞いてんの」
などと詰問口調で責めるように問うてくる。
「なんでもナニも、上坂部に誘われたからだ。それに、聞いてただろ? オレは、アンタの
自分のせいで場が凍りつかないように気を使って、親類に推薦曲を聞いてまで参加した、
そんなことを考えながら、どんな反論をしてくるのか相手の様子をうかがっていると、彼女はフンと鼻を小さく鳴らしたあと、こんなことを言ってきた。
「コーヒー代くらいで小さいオトコ……あ〜あ、せっかく三人でカラオケに来て、大成クンとのデュエットを見せつけて、
オレの気のせいでなければ、恐ろしい言葉が聞こえたような気がするのだが……。
さらに、その後、つぶやくように、名和が、
「計画が台無しじゃない……」
と、付け加えたことで、直前の不穏な一言は、オレの聞き間違いでない、と確信することができた。
(なんという、性格の悪さだ……)
この瞬間、「少し控えめな性格ながら、校内でも注目を集める美少女転校生」という
幼なじみの
想っていた異性を掠め取った相手に、こんな不必要なマウンティングを取られるほど、我らがクラス委員は、悪行を重ねているわけではないだろう。
「くだらねぇこと言ってんじゃねぇよ……そんな、つまらねぇこと考えてるなら、もう帰らせてもらう! クラスの陰キャラが、空気も読まずにアンタらリア充の輪に入ってきて悪かったな」
あまりの胸クソの悪さに、そう言って立ち上がろうとすると、座ったままオレを制するような視線を送る
「その必要は無いわ。私たちが先に出て行かせてもらうから……それとも、もう、
それは、新しく出来た彼氏とともに、『とびら開けて』を歌い始めたときに見せた表情そのものだった。