「祐一……」
不安げな表情で、ポツリとつぶやいた目の前の少女は、こちらを見つめている。
親の顔より見慣れた彼女の表情を曇らせてしまったのは、なによりも、自分自身の行動と選択に原因がある。
これ以上、彼女を苦しませるわけにはいかない―――と、意を決して自らの想いを告げることにした。
・ごめん、実は前から綾辻さんのことが―――
・ぼ、僕はずっと前から志穂子のことが―――
選択肢を選んでください。
⇨ ・ごめん、実は前から綾辻さんのことが―――
カーソルで選んだセリフが点滅すると同時に、志穂子の表情は、さらに曇り、泣き出す寸前になっている。
「どうして―――? 普通に話してくれたら良かったのに……好きなヒトが……彼女が居るってこと……」
「志穂子……」
「そんな風に言い訳しようとするってことは……少しはわたしのこと……」
「いや、その……」
「えへへ……一回だけなら、見間違いかなって……わたしの勘違いかなって済ませただろうけど……祐一はかっこいいから……やっぱり、モテるよね」
その切なげな表情を見つめたまま、何も言葉を発することのできない自分に向かって、彼女は言葉を続ける。
「少しの間だけだったけど……恋人みたいで嬉しかったよ。迷惑かけてゴメンね。こんなことなら、わたし。もっと早く……ううん……」
「…………」
「祐一は、優柔不断だから、色々と迷ってたのかも知れないけど……付き合うなら、ちゃんとしないと、綾辻さんがかわいそうだよ」
「…………」
「わたしのことは、周りに誤解させちゃ悪いから……これからは、なるべく声を掛けないようにするね」
「…………」
「えへへ……彼女のことは、紹介してくれなくてイイからね!」
幼馴染みは、そう言い残して走り去る―――。
「あっ! お、おい! 志穂子!」
―――やってしまった……最悪の形で志穂子のことを傷つけてしまった……僕がフラフラしてたせいで……。
・
・
・
ううっ……すまない志穂子……。
涙ぐみそうになりながら、イヤホンを外したオレは、ヨネダ珈琲・
まったく……こんなに可愛くて性格も良い幼なじみを振って、他の女子にフラフラとなびくなど、ヒドイ主人公もいたものである。いや、もちろん、今回のプレイで志穂子ではなく、綾辻さんルートを選んだのはオレ自身なのだが……。
発売から十五年が経過した大ヒット恋愛シミュレーションゲーム『ナマガミ』のシナリオの素晴らしさとヒロインの恋が終わってしまう《嗚咽イベント》の切なさに、あらためて胸を打たれてしまった。
大丈夫、ちゃんとルート分岐直前のセーブデータを残しているので、次回のプレイ(おそらく明日の放課後になるだろう)では、志穂子、
そう心に誓って、これから始まる綾辻さんルートのイチャイチャ描写に対する期待に胸を膨らませながら、シナリオが一段落したことで、オレはトイレに立つことにする。
自分の通う高校から、私鉄電車の駅で二つ離れたこの喫茶店を利用する同級生が居ないことは、一年以上の高校生活ですでにリサーチ済みである。
親戚から定期的にもらうコーヒーチケットの恩恵や長居をしても責められない店内の雰囲気も含めて、自宅の近所にこうした店舗が存在してくれていることに感謝をしながら、トイレに向かうと、不意に聞き覚えのある声が耳に入った。
「
「
耳に馴染みがある声だと感じたのは、一人だけではなく複数人のものだった。
本当に、無意識に……思わず、声の主たちの方向に顔を向けた次の瞬間、オレは空席になっていたヨネダ珈琲特有のフカフカした座席に身を滑り込ませる。
(ど、どうして、この店に
声の主は、
オレが通う
自分のことを棚に上げて言うのもなんだが、高校生は高校生らしく、ワクドナルドやツター・バックスに行っておけば良いものを、なぜ、この店を選んだ……!?
そんな自分自身でも理不尽だと感じる憤りを覚えながら、フカフカの座席に身を潜めていると、さっきよりも小さいながら、彼らの声が耳に入ってきた。
「そんな風に言い訳しようとするってことは……少しは私のことをそういう対象として考えてくれてたの?」
「あっ……いや、その……」
「一回だけなら、見間違いかなって……私の勘違いかなって思うこともできたけど……
「いや、モテるなんて、そんな……」
「少しの間だけだったけど……二人で委員長の仕事ができたこと、とても楽しかった。迷惑かけてゴメンね……こんなことなら、わたし。もっと早く……ううん……」
「…………」
「
「…………」
「私のことは、周りに誤解させちゃ悪いから……これからは、声を掛けるのは控えるようにするね」
「…………」
「えへへ……彼女に告白が成功しても、報告はしてくれなくてイイからね!」
「
「もう行って……! 私、もう少ししたら、帰るから……ちゃんと、リッカに気持ちを伝えなよ」
「
「
「じゃあ、行ってくる!」
と言い残して、店を去って行った。
その姿を身を隠したテーブル席の影から確認したオレは、
(あいつ、レジに寄らなかった気がするけど、支払いはどうすんだ?)
と思いながら、息を潜めて立ち上がる。
その体勢から、高校生活で身につけた、周りの空気に溶け込んで自分の気配を消す、
※
(『彼の幼なじみと彼女が修羅場すぎる』……そんな感じのラノベのタイトルがなかったっけ?)
なんてことを考えながら、用を足す。
それにしても、ガチの修羅場を―――さらに言えば、クラスメートの色恋沙汰に関するクライマックスをこの目で目撃するとは思わなかった。
しかも、日頃から周囲の恋バナ(笑)に関するウワサに敏感なクラスの中心人物ならいざ知らず、喫茶店で一人ギャルゲーをプレイする
『やはり僕の思春期ラブコメは間違っている』や『オレには友だちが少ない』など、平成の終盤ころまでは、こんな自分のような
今や時代は令和である。
『
どの作品のあとがきで読んだのかはもう忘れてしまったが、完全無欠のラブコメ・ヒーローを描く作家さんが、完璧な主人公を描写する理由として、「思春期にありがちな
今の時代、ぼっちが主人公になりたければ、性別を女子高生に転換したうえで音楽に目覚め、バンド活動を始めるしかないのだ(言うまでもなく、『ぼっち・で・ろっく』や『ギャルズ・バンド・クライ』を思い出してほしいのだが……それですら、もう最新のトレンドでは無いかも知れない)。
そんなことを考えつつ、手洗いを済ませ、再び気配を消して、クラスメートの視界に入らない動線を選んで自分の席に戻ろう、と考えトイレのドアを開けた瞬間―――。
「うわ〜〜〜〜〜〜〜ん‼‼‼‼ どぼしてよ、たいせ〜い」
という
その声は、ヨネダ珈琲・
そんな状況でも、心の中で正常性バイアス(注:日常のさまざまな出来事や判断、「心理的ストレス」に反応しないことで、正常な範囲に納まっていると認識し、「心の平穏を守る」ための機能)を発動させたオレは、
(気にしない、気にしない……
と、昭和時代のアニメのトンチ坊主のように、無関心を装って、『ナマガミ』のヒロインたちが待つ自席に戻ろうとした。
したのだが……。
「あなた、
と、黒エプロンの制服を身にまとったヨネダ珈琲の女性店員が、オレに声を掛けてきた。
「いや……たしかに、自分も
横目で、号泣する同級生女子を視界に捕らえながらも、どうせ、相手にはわからないだろうと、クラスメートであることを伏せて、無関係を装う。
しかし、話しかけてきた店員さんは、なかなかに目ざとく、オレの制服を確認して、なにかに気づいたかと思うと、こんな脅し文句を放ってきた。
「あなたの学年章、あの
そう言えば、下校時に学生や生徒が集まりやすい飲食店などでは、あまりに品行の悪さが目立つ学校の生徒をまとめて出禁にするというニュースを聞いたことがある。
正直なところ、クラスメートとは言え、ほとんど交流のない女子生徒の失恋後のアフター・ケアなど、全力で拒否したいところではあるのだが……。
放課後にゲーム&ラノベタイムを楽しむことができる貴重なサード・プレイス(意識の高い人々は、職場&学校や自宅以外でプレイベートな時間を過ごせる喫茶店などの場所をこう呼ぶらしい)を奪われてはたまらない。
この場所で、親類から定期的に支給されるコーヒーチケットを頼りに、フカフカのソファに腰掛けながら、ゲームやラノベの世界に浸ることこそが、オレの至福の時間なのだ。
もちろん、制服姿ではなく私服で入店すれば、印象の薄い自分などが
学校帰りに、駅を降りてすぐの場所にあるこの店舗で、すぐにゲームの世界にのめり込むことが出来る利便性は、限りなく大きい。
そのメリットを手放したくない、という気持ちが、面倒事に巻き込まれるデメリットを上回り、オレは渋々ながら、女性店員の言葉に従うことにした。
号泣していた声のボリュームが少し落ち着いてきたのを待って、我がクラスの委員長である
「あの……
こんな場面の女子相手に、どんな風に声を掛ければ良いのか、皆目検討のつかないオレが、なるべく、声のトーンを下げながら、恐る恐るたずねると、テーブルに突っ伏しながら、さっきよりは、かなりボリュームが落ちた声ながらも、グズグズと小さな嗚咽を漏らしていた
「えっ? 誰? ウチのクラスの
「
訂正と言う名のツッコミを入れつつ、クラス委員にすら正確な苗字を覚えられていないことに、教室内の空気的存在であることを再認識したオレは、テーブル席に腰を下ろし、店内出禁の原因を作りかけた彼女と対峙することにする。
ようやく、声を上げて泣くのを止めた