鬼ノ城の裏庭にて──悪臭を放つ腐敗した赤土を耕して作られた畑のような一画で、しゃがみ込んだ役小角が何やら土いじりをしていた。
「──ふむ……太く、立派で──中々に悪くない仕上がりだのう……かかかか……!」
満足げな笑みを浮かべた役小角が独りごちるように呟くと、その後ろ姿を黙って見ていた鬼蝶がしなやかに近づきながら声を掛けた。
「──行者様、何やら上機嫌のようでございますね」
鬼蝶が艷やかな声音で話しかけると、役小角は顔を横に向けて白い眉を緩めてほほ笑んだ。鬼蝶もほほ笑み返すと、役小角の後ろに移動する。
しゃがんだ役小角の肩越しに畑の様子を見ていた鬼蝶が役小角の手元に視線を移すと、"赤い芋虫"らしき生物の尾を指先で摘んでいるのを見た。
「……凶暴そう、ですわね」
「かかか……! ──鬼ヶ島の赤土に"鬼薬"を染み込ませて育てた虫じゃよ──わしは、"鬼醒虫(きせいちゅう)"と名付けた」
役小角は、グネグネ──と体をくねらせて暴れる凶悪な見た目をした芋虫、"鬼醒虫"の姿を眺めながらいつもの特徴的ななしゃがれ声で告げた。
指先で尾を摘まれた"鬼醒虫"は、ブンブン──と体を大きく振り回し、黒い口吻を噛み合わせて、ガチガチ──と嫌な音を鳴らしながら、役小角の手首に噛み付こうとしていた。
「──可愛く……はありませんわね」
鬼蝶がその様子を見ながら冷ややかに言うと、役小角は苦笑してから、"鬼醒虫"を赤土の上にポイッと放り投げた。
"鬼醒虫"は赤土の上を元気よくバタバタ──とのたうち回ると、カラスのくちばしのように硬く尖った口吻で、グイグイ──と強引に赤土の中に体を押し込んで潜っていった。
「……この虫を、飼っていらっしゃるのですか?」
鬼蝶が役小角に尋ねると、役小角はおもむろに立ち上がり、白装束の裾についた赤土を手で払った。そして、鬼蝶に向けて振り返り、満面の笑みを浮かべると口を開く。
「"鬼醒虫"を使えばのう──死者を蘇らせることが可能じゃ」
役小角の言葉を受けて、鬼蝶は赤い"鬼"の文字が浮かぶ黄色い瞳を見開いた。
「死者が蘇る──それは……いったいどういうことでしょうか?」
鬼蝶の震える声を聞いた役小角は、"鬼醒虫"が埋まる畑を見回しながら黄金の錫杖で赤土をトンッ──と強く突いた。
その瞬間、ゾワゾワッ──とあたり一帯の耕されている赤土がうごめき、次いで大量の"鬼醒虫"がボコボコッ──と赤土から顔を覗かせた。その数はゆうに百を超えていた。
「──……っ」
身の毛もよだつあまりにもおぞましい光景を目の当たりにした鬼蝶が引きつった笑みを浮かべた。
「──鬼醒虫とは、"鬼薬"と"人の死肉"とで育て上げた、わし特製の"鬼の虫"……鬼醒虫が一度、死者の体内に潜り込めば──死者は、鬼として蘇る」
役小角は黒い口吻をガチガチ──と左右に開閉させ、狂ったようにブンブン──と頭を振り動かす"鬼醒虫"の姿を見ながら告げると、再びトンッ──と黄金の錫杖で赤土を突いた。
役小角の"命令"を聞き受けた"鬼醒虫"たちは、一斉に赤土の中へとザザザッ──と潜り込んで行き、再びただの赤い畑へと戻った。
「行者様……お願いがございます……!」
満面の笑みを浮かべながら畑を見回した役小角に対して、鬼蝶が震える声で言葉を述べた。
「──私の愛する信長様を、どうかその"鬼醒虫"にて……蘇らせてくださいませ……!」
鬼蝶は鬼気迫る表情で、白髪を天辺で結い上げた役小角の後頭部に向けて言った。
「──あの夜……本能寺にて、全身に火傷を負って死に瀕していた私を"八天鬼薬"でお救いくださったように……どうか。どうか、信長様を──!」
鬼蝶の頼みに対して、役小角は目を細めて赤い畑の先──鬼ヶ島から望む広大な赤い海を眺めると、口を開いた。
「──信長公は、わしが来た時には既に切腹して絶命しておった……それ故、"八天鬼薬"によって"八天鬼人"とすることは叶わなかった──これは以前、話しましたな?」
「……はい。"八天鬼薬"は生きた人間が飲まなければその効果を発揮しないと……"鬼人"にはなれぬと」
役小角の言葉に対して鬼蝶が頷いた後に答えると、役小角は鬼蝶に振り返り、"鬼"の文字が浮かぶ目を見て言った。
「……違う、"鬼人"ではない……"八天鬼人"じゃ。"八天鬼人"であることが何よりも重要なのじゃ──現におぬしは、あの有象無象の"低級の鬼人"どもとは別格であろう?」
役小角にそう言われた鬼蝶は、裏庭の中央に穿たれた大穴に目をやった。その大穴の底には"鬼薬"が混ぜられた赤飯を喰らい、村人から鬼人へと変貌した者たちが出陣の時──襲撃の時を待っていた。
彼らはもはや自我を持たず、役小角や巌鬼、そして鬼蝶の"命令"に従い、ただひたすらに略奪と殺戮を行う傀儡(くぐつ)と成り果てていた。
「……鬼蝶殿、おぬしのその瞳に浮かぶ"鬼"の文字──それこそが"八天鬼人"である証。わしは信長公にこそ、その"鬼の眼"を授けたかった……しかし、それは叶わなかった──乱世の日ノ本に現れし第六天魔王……わしは随分と、気に入っておったよ」
遠い目をした役小角は寄せては引いていく赤い海原を眺めながら言うと、役小角の背中を見た鬼蝶は眉根を寄せながら口を開いた。
「──それでも私は……! 私は再び信長様にお逢いしとうございます……! 生きた信長様にお逢いしたい……! その御身を抱き締めたい……! 例えそれが、自我を失くした"低級の鬼人"であろうとも……!」
「…………」
声に熱を込めた鬼蝶は掴み掛からんばかりの勢いで役小角の背中に肉薄すると、役小角は冷めた眼差しで赤い海に向けて深く息を吐いた。
「──何よりそれは、行者様が信長様の御遺体を燃える本能寺から鬼ヶ島に運び出してくれたからこそ、可能なのです……! 信長様の御遺体は、今も私の部屋にございます! 目覚めの時を待っております……! 行者様──どうか、"鬼醒虫"を信長様にお与えくださいませ……!」
悲痛な面持ちで懸命に懇願する鬼蝶に対して、役小角は一切動じることなく穏やかな笑みを浮かべながら静かに振り返ると、ポン──と鬼蝶の肩に左手を置いてから口を開いた。
「"鬼醒虫"を与えられた死者は、"鬼人"として蘇るのではない──おぞましい"鬼の虫"として蘇るのじゃよ」
「……っ!?」
役小角の言葉に鬼蝶は絶望と驚愕が綯い交ぜになった表情を一瞬で浮かべた。
「"鬼醒虫"にとって、死者の肉体はただの"栄養"──"苗床"に過ぎん……そこから這い出し、生まれいでて来るのは、知性の欠片もない世にも醜い"鬼虫"じゃ……信長公がなるべき姿ではない──期待をさせてすまんかったの、鬼蝶殿」
役小角は静かに告げながら詫びると、鬼蝶の肩から左手を離し、右手で黄金の錫杖を突いて赤い畑を後にする。
「……"鬼虫"」
役小角が隣を通り過ぎてから、鬼蝶は放心したようにそう呟くと、大量の鬼醒虫が潜んでいる赤土の畑を物憂げな眼差しで眺めた。
一方の役小角は、鬼ノ城に向かって裏庭を立ち去りながら、白装束の右の袖の中から一匹顔を覗かせた"鬼醒虫"を愛おしそうに見下ろすと、笑みを浮かべた。
「──温羅坊の気の迷いで命拾いした桃の娘よ……おぬしが味わっておる現世の地獄は、この"鬼醒虫"で終いにしてやろうではないか……のう? ──かかかか……!」
役小角は高笑いすると、左手をかざしただけで、前方の大扉をバン──と弾くように開いた。そして、黄金の錫杖をチリンチリン──と鳴らしながら鬼ノ城へと入っていった。