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30.播磨の旅

 花咲山を出立した桃姫と雉猿狗が備前の山々に連なる峠道を越え、次いで麓に広がる鬱蒼とした竹林を通り抜けると、広大な田園地帯が姿を現した。

 太陽は西に向かって傾いているが空はまだ明るく、前方の道はただ真っ直ぐ伸びており、その左右を黄金の稲穂を豊かに実らせた秋の田んぼが囲んでいた。


「──ここが播磨……?」


 桃姫が隣に立つ雉猿狗に問いかけると雉猿狗は頷いて答えた。


「はい。あの先にある門の跡──あれは関所の跡ですね。今は取り潰されているようです」

「……関所?」


 二人が進む道の先に立つ、田園地帯に不釣り合いな木造の門を見て桃姫が呟いた。


「関所というのは、領地の境界にある検問所のことです──かつては日ノ本中にありましたが、信長公が天下統一を果たした後に廃止を命令して、後を継いだ秀吉公の時代となってもその意向は継続されているようですね」

「……ふーん……なんで、廃止したの?」


 桃姫は雉猿狗の言葉を耳にすると、段々と近づいてくる門番不在の関所跡を見ながら雉猿狗に尋ねた。


「天下統一後は人の往来は自由になったほうが良いと考えたのでしょうね。信長公は特に商人を大切にしていました──私たちが向かっている"堺"も信長公の庇護によって発展した商人の都なのですよ」

「……そうなんだ」


 桃姫は雉猿狗の言葉に感心したように声を返すと、門が開かれている関所の跡を二人並んで通り過ぎたところで不意に立ち止まった。


「──なんでそんなこと知ってるの……?」


 桃姫は止まらずに前を行く雉猿狗の背中を見ながら言った。


「……雉猿狗は、犬と猿と雉の化身なんだよね……なんで、そんなことまで」


 桃姫の疑問に雉猿狗は振り返って答えた。


「──"猿知恵"、というやつですかね。あはは」


 そう言って朗らかにほほ笑むと、天を仰ぎ見た。


「──天界には様々な下界の情報が集まってきます。今、下界では何が起きているのか、中には下界のことなど全く興味が無いという方々もいらっしゃいましたが──私は……そうですね、私はずっと下界の様子が気になっておりました」


 桃姫も雉猿狗につられて天を仰ぎ見る──太陽光が眩しく、桃姫は思わず目を細めた。


「──だって……御館様の強い祈りが届くんですもの──」


 雉猿狗の穏やかな声、桃姫は太陽光に照らされる雉猿狗の銀髪と白く輝く肌を見てから、フッ──と顔を伏せた。


「父上と母上は……天界にいるの……?」


 地面の土を見ながら桃姫が言うと、雉猿狗はスッ──と片膝をついて桃姫の顔まで自身の顔を下ろしてから口を開いた。


「──はい。間違いなく。桃姫様のことを見護っておられます」

「…………」


 桃姫は顔を上げ、雉猿狗の顔を見た──その優しくも頼もしい翡翠色の瞳を見たとき、桃姫は、三獣の祠の奥に安置されていた〈三つ巴の摩訶魂〉を連想せずにはいられなかった。


「……わかった」


 桃姫は静かに頷いて返すと再び歩き出す。雉猿狗はその小さな背中を見たあと、その道の先に茶屋があるのを見つけた。

 そして、更にその先には微かに町並みが見える。先程は関所跡に隠れて見えなかったが、どうやらこの先は宿場町に繋がっているようであった。


「桃姫様。茶屋ですよ──あちらで少し休憩しましょう」

「……ん? うん……」


 雉猿狗の言葉を聞いて茶屋を視界に入れた桃姫は力なく答えると、赤い鼻緒の雪駄を一歩一歩前に進めて茶屋まで辿り着いた。

 "草だんご"と書かれたのれんをくぐって茶屋に入り、座布団が敷かれた縁台に座ると、雉猿狗は小太りの女店主に一人分の草だんごと一人分のお茶を注文した。

 湯呑から湯気を立てるお茶と、あんこの乗った草だんごの小皿をお盆に乗せた女店主は手際よく桃姫と雉猿狗の間に並べていく。


「ええっと……一人分でいいのかい?」


 女店主が桃姫を、次いで雉猿狗を見て言った。


「はい。あの……冷たいお水などあれば、私に頂けますでしょうか?」

「水……?」


 雉猿狗の言葉に眉根を寄せていぶかしんだ女店主はそれでも客には変わりないとして、フン──と鼻を鳴らして店の奥に向かった。


「──雉猿狗……」


 桃姫が湯気を立てるお茶と草だんごを見ながら口を開いた。


「桃姫様。こちらは全て桃姫様の分でございます。どうぞ、お召し上がりください」


 雉猿狗は穏やかにほほ笑みながら言うと、女店主が水を入れた湯呑を手づかみで持ってきて雉猿狗の前に突き出した。


「水だから、お代はいらないけどさ……」

「ありがとうございます」


 雉猿狗は感謝の言葉を述べてから湯呑を受け取ると、中の水をこくこくと飲んだ。


「……訳ありだね、こりゃ──あ、いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」


 女店主は雉猿狗と桃姫を見て吐き捨てるように呟くと、のれんをくぐって入ってきた別の客の接待に向かった。


「──ふぅ……」


 水を飲み干した雉猿狗は一息ついて空の湯呑を縁台に置いた。桃姫はそれを見届けたあと、お茶の湯呑に手を伸ばした。


「熱そうなので、気をつけてくださいね」

「……うん」


 雉猿狗の忠告に桃姫は言って返すと湯気が立つ湯呑を口元まで運んでから、息を数回吹きかけてから熱いお茶をすすった。


「…………」


 口内に含んだお茶を一回、二回──と舌で味わってから桃姫は目を閉じて飲み込んだ。

 その瞬間、桃姫の舌の上に茶の苦みと同時に痺れるような"血の味"が走った──桃姫は口内に感じる違和感と共に目を開き、口を開いた。


「──まずい……」


 そう呟いた桃姫は湯呑を縁台の上に置くと顔を伏せる。雉猿狗はその様子を見て心配そうな表情を浮かべた。


「……桃姫様、お茶は……」

「お茶は好き……母上が入れてくれたお茶を毎日飲んでいたから……でも、これは──飲めない」


 桃姫は膝の上に両手を置いて桃色の着物を握りしめながら言った。


「そう、ですか……あの、お口に合わないのであれば、お水のお代わりを頂きましょうか……何か飲まないと──」


 雉猿狗が言うと、桃姫は首を横に振った。そして、その目から涙がつう──と流れ落ちた。


「あの……草だんごはどうでしょうか。とっても美味しそうですよ」


 雉猿狗の言葉を聞いた桃姫は皿の上に乗ったよもぎの香る緑色のだんごを見た。上に乗っているあんこは小豆の粒が残っており、店の壁には"当店自慢の品"と書かれた張り紙が貼られていた。


「──あの、すみません」


 雉猿狗は他の客に注文を運び終えた女店主に声を掛けて空の湯呑を掲げた。


「──お水のお代わり、頂けますでしょうか」

「…………」


 女店主はむっと湧き出た不機嫌そうな顔を隠そうともせず、雉猿狗から湯呑を奪い取るように掴み取ると、店の奥に向かった。


「ははは……お水は儲けにならないから、怒っていますね」


 女店主を見送った雉猿狗が苦笑いしながら桃姫を見ると、草だんごの一つを指で摘み上げて鼻まで運んでいた。そして、くんくんと匂いを嗅いだ後に表情を曇らせる。


「……変な匂い」


 桃姫はよもぎの匂いの中に"焼け焦げた血肉の臭い"を感じ取って呟くと、小さく口を開けて小ぶりな草だんごをぱくりと口の中に運んだ。

 そして、一噛みした瞬間、ジャリッ──と"腐敗した砂利"を噛み締めたような不快感と"焼け焦げた血肉の味"が桃姫の口内に強烈に走り、桃姫は思わず両目を見開いた。


「──ほらよあんた、水……次からはお代を頂くからね」

「あ……」


 桃姫の反応に注目していた雉猿狗は不意に声を掛けられたことに驚きながら女店主から渡された湯呑を会釈しながら受け取った。


「……お手数おかけします」


 雉猿狗がほほ笑んで女店主に言うと、女店主は桃姫の顔を見てギョッ──とした表情を浮かべた。


「……っ!?」


 雉猿狗も咄嗟に隣に座る桃姫の顔を見ると、桃姫は口を両手で抑えて顔面蒼白──震えながら今にも嘔吐しそうな状態であった。


「ちょっと、あんた──! 店ん中で吐くんじゃないよ──!」

「──桃姫様……!?」


 女店主と雉猿狗の騒ぎに他の客が何事かと注目しだすと、桃姫は決して吐くまいと涙目になりながら両手で抑えた口を必死に咀嚼させ、"焼け焦げた血肉の味"で"腐敗した砂利の食感"がする草だんごを力づくで飲み込んだ。


「……う、ううぅッ……!」

「──桃姫様……お水を……!」


 苦悶の表情で嗚咽する桃姫に雉猿狗が湯呑を差し出すと、桃姫は受け取った湯呑の中の水をこくこくと飲んだ。

 水はかろうじて"焼け焦げる血肉の臭いと味"がしないことに桃姫は心から安堵した。


「桃姫様……大丈夫ですか?」


 桃姫の背中をさすりながら雉猿狗が心配そうに尋ねると、女店主が鼻で笑いながらその様子を見た。


「──はっ、大げさだねぇ……! だんごが喉に詰まっただけだろうにさ……!」


 女店主が二人を見ながらそう言うと、桃姫は湯呑から口を離して雉猿狗の目を見ながら小さな声で言った。


「……今まで食べただんごの中で、一番まずかった……」

「──は……はぁッ──!?」


 桃姫の突然の発言に、女店主は小さな両目をこれでもかと見開いて、驚愕の声を張り上げた。


「──桃姫様……!?」


 雉猿狗も流石にこれはまずいと思って、桃姫に注意しようとするが──しかし、女店主の激昂の怒声によってかき消される。


「──あんたぁ! ほんっとうに失礼な娘だねぇッ──! 他のお客さんがいる前で、これ以上茶屋の評判落とすような真似はやめておくれよッ──!」

「も、申し訳ございません……!」


 怒られても表情を変えない桃姫に代わって、雉猿狗が頭を下げて謝罪の言葉を述べると、女店主の怒りの矛先は雉猿狗に向けられた。


「──あんたもあんただよ! 二人して来てんのに、なんであんたは注文頼まないんだよ! ──なんだいッ!? 冷やかしかいッ──!?」

「……いえ……! その……私たちは、訳ありで……」


 まくし立てる女店主に対して雉猿狗は弁明しようとするが、女店主は更に大声を張り上げた。


「──ああ! 訳ありなのは見りゃあわかるよ! ──見慣れない子連れの女なんて訳ありじゃなきゃ何なんだい! ──だとしてもだねェッ! 礼儀ってもんがあろうよ!」

「……あの……食事が終わったら、すぐに帰りますので……」

「……いらない……雉猿狗……私、これ食べられない」


 発せられた桃姫の言葉にいよいよ気絶寸前まで頭に血が昇った女店主は、顔を真っ赤に染め上げて喉が張り裂けんばかりの声で叫んだ。


「──いいよッ! もういいから! ──お代は結構ッ! 今すぐ店から出ていってちょうだい! ──二度と来るなァッ──!」


 女店主の一喝によって桃姫と雉猿狗は叩き出されるように茶屋の店内から追い出された。


「……桃姫様」

「……ごめんなさい……雉猿狗」


 心配そうに声を掛ける雉猿狗に対して、桃姫は謝った。そして二人は茶屋の前から歩き出し、遠くに見える宿場町までとぼとぼと田園地帯を歩き始めた。


「口に合わなかったんだからしょうがないですよ。桃姫様は悪くありません」

「…………」


 雉猿狗の励ますような言葉に桃姫は目を伏せて口を結んだ。桃姫は、草だんごから"焼け焦げた血と肉の味"がしたことを雉猿狗に言うべきなのか迷っていた。


「でも、桃姫様。花咲山を立ってからお水とだんご一個しか口にしていませんよ。このままでは倒れてしまいます……鬼退治どころではありません」


 雉猿狗の声かけに対して桃姫は口を開いた。 


「……雉猿狗は……雉猿狗は……何も食べなくて、いいの……?」


 桃姫はずっと思っていたことを雉猿狗に尋ねた。茶屋で何か食べるのかと思ったら、結局雉猿狗は一口も食べていないのである。


「私は、そうですね……食べ物を口に含めば、味は感じますけど……食欲というものは、ないですね」

「……そうなんだ」


 桃姫の呟くような返事を聞いた雉猿狗はおもむろに両手を大きく広げると、夕焼けに染まっていく天を仰いだ。


「──それに、こうして陽の光を一身に浴びていると……ただそれだけで、身体と心が満たされます」

「…………」


 太陽は西の彼方に沈み始め、赤くなり始めた空が秋風になびく稲穂を橙色に染めた。何処からかやってきた赤とんぼが雉猿狗の伸ばした指先に止まり、雉猿狗は気持ちよさそうに目を閉じた。

 桃姫はそんな雉猿狗の姿を見ながら、彼女が"この世ならざる存在"であることの実感がようやく湧いてくるのを感じた。


「──私は太陽が好きです……天界では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)様のおそばにずっと居りましたから……」

「……アマテラス様……」


 桃姫は雉猿狗の言葉に驚きながら声に出した。


「……それって……日ノ本で一番偉い女神様……だよね……?」


 桃姫の言葉を聞いた雉猿狗は翡翠色の瞳を開けると、満足げに頷いてから桃姫を見た。


「はい。御館様への忠誠を貫き、鬼退治に命を賭した私たち三獣のことを、天照大御神様は深く寵愛してくださいました──そして……」


 雉猿狗は自身の胸に両手を押し当て、想いを込めるように固く握り締めた。


「──この"雉猿狗"としての身体を授けてくださったのです──桃姫様をお護りするための、この身体を──」

「…………」


 そう言ってほほ笑んだ雉猿狗から、自分に対する強い想いを感じ取った桃姫は何も言えず、ただ赤い太陽に照らされる雉猿狗の神々しい姿を黙って見ていることしか出来なかった。

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