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29.手紙

 花咲山の峠道が木々の隙間から差し込んだ陽光によって少しずつ明るくなっていき、小鳥たちが新しい朝を迎えたことに喜びながらさえずり始める。

 三獣の祠の前に生えた木の根本で、互いの身を寄せ合って一晩を過ごした桃姫と雉猿狗。

 桃姫が眠りにつく前に小さな体を後ろから抱きしめる形となった雉猿狗は、目は閉じながらも、一睡もせずに、一晩中桃姫の体を"太陽の熱"を持った両手でさすりながら温め続けていた。


「──ん、んん……?」


 桃姫が眩しさと顔にあたる冷気とによって目を開けると、後ろから雉猿狗に抱きしめられている状態であることに改めて気づいた。


「……雉猿狗の体……温かいね」


 桃姫が白い吐息を吐き出しながら言うと、雉猿狗は桃姫の桃色の髪の毛を手櫛で優しく撫でながら言った。


「お気に召されたようで何よりです……私は、桃姫様の御身体に一晩中触れていられて、幸せでした」


 翡翠色の瞳を静かに開いた雉猿狗がほほ笑みながら言うと、桃姫は眉根を寄せて口を開いた。


「……雉猿狗……もしかして、寝てないの?」


 桃姫の率直な疑問を受け止めた雉猿狗は、目の前に建つ三獣の祠を見つめながら言う。


「──私は天界より顕現した三獣の化身……この"神聖なる体"は汚れることもなければ、眠る必要もございません」


 雉猿狗の言葉を聞き、桃姫は再び白い吐息を"はぁー"と空中に吐いた。


「──雉猿狗のことが、怖くなりましたか……?」


 雉猿狗は怖ず怖ずと胸に抱いた桃姫に尋ねると、桃姫は前を向いた状態のまま答えた。


「……んーん……便利だなーと、思っただけ」


 桃姫のまさかの回答に雉猿狗は思わず目を丸くすると、胸に抱いた桃姫に回した両手にギュッ──と力を込めた。


「便利ですか……そうですね……ははは……確かに便利です」


 雉猿狗はそう言って笑いながら認めると、桃姫の桃色の頭の上に自分の頭を乗っけた。そして、二人黙って三獣の祠──その下で横たわる穏やかな表情の桃太郎の姿を見た。

 二人はしばらくその状態のまま、陽光に照らされる桃太郎の姿を見届ける静かな時間を過ごすと、ゆっくりと桃姫の頭から自分の頭を浮かせた雉猿狗が口を開いた。


「──桃姫様……昨日、私が御館様をこの場所に運んだときに……実は背中に鍬を背負って来たんです」

「……うん」


 雉猿狗の言葉に桃姫が静かに頷いて返した。


「それで……三獣の祠の後ろに墓穴を掘ったんです──私が、一番最初に掘った墓穴です」

「…………」


 雉猿狗は言うと、この温かく、静かで、穏やかな時間が終わる時が来たのだと直感で感じ取った桃姫は思わず目を閉じた。


「──桃姫様……御館様に──お別れをしましょうか?」

「──うん……」


 雉猿狗の提案を目を閉じながら受け入れた桃姫。桃姫の言葉を聞き受けた雉猿狗は、両手を離して桃姫の拘束を解くと、桃姫は目を開き、ゆっくりと雉猿狗の体から立ち上がって離れた。

 雉猿狗という熱源から離れた影響で桃姫の全身に一気に寒気が走ったが、それでも歩き出して、桃姫は桃太郎の顔の前まで移動した。


「──父上、ありがとう……さようなら──」


 地面に両膝をついてしゃがんだ桃姫が、安らかな顔で眠る桃太郎の頬に触れながらそう告げる。


「──御館様、お疲れ様でした……さようなら──」


 片膝をついてしゃがんだ雉猿狗も、桃太郎の頬に触れながら別れの言葉を告げる。そして二人で両手を差し出して桃太郎の体を抱き上げると、三獣の祠の裏に掘られた墓穴へと運んだ。

 雉猿狗が鍬で掘った墓穴の中にゆっくりと桃太郎の体を降ろした後、地面に膝をついた二人は、周囲に盛られた土を両手ですくって桃太郎の体の上に優しくかけていった。


「……父上」


 呟いた桃姫の両手から土が落とされると、桃太郎の顔は覆い隠され、鬼退治の英雄の姿は完全に見えなくなった。

 その後も、桃姫と雉猿狗の二人で土をかけ続け、桃太郎の埋葬が終わると、どちらともなく両手を合わせ、目を閉じて合掌をした。


「…………」

「…………」


 合掌を解いた二人は目を開けると静かに立ち上がり、三獣の祠の前まで移動した。


「……雉猿狗……母上の体は……」


 峠道に戻った桃姫が呟くように言うと、雉猿狗は心苦しそうな顔つきで静かに首を横に振って返した。


「──探したのですが、何処にも……」

「……そう……」


 雉猿狗が申し訳なさそうに言うと、沈痛な面持ちで顔を伏せた桃姫は息を吐くように答えた。

 桃姫の脳裏には、この峠道の先で桃姫を抱き寄せ、そして助けるために斜面に突き放した小夜の決死の表情が思い出されていた。


「──あの、桃姫様……そのお召し物について、なのですが」


 雉猿狗は悲痛な面持ちを浮かべた桃姫に対して口にすると、桃姫はたった一日でだいぶ汚れてしまった美しい桃色の着物を見下ろした。


「ああ……この着物……どこで拾ってきて、私に着せたの?」


 桃姫が腕を持ち上げて桃の花が咲いた絵柄を見ながら言うと、雉猿狗は桃姫の顔を見つめながら口を開いた。


「──そのお召し物は、桃姫様の御自宅の──ちゃぶ台の下に、仕舞われておりました」

「……え?」


 桃姫が声を漏らすと、雉猿狗は青い着物の黄色い帯の中に右手をスッ──と差し入れた。


「……桃姫様の着替えのお召し物がないかと探していたら、偶然に見つけてしまったのです──この"手紙"と共に」


 そう言って、雉猿狗は一通の手紙を帯から取り出した。


「……私は、読んでおりません……丁寧に折り畳まれたその御着物の上に、置かれていたものです」


 桃姫は、雉猿狗から差し出された手紙を受け取ると、縦に四つ折りになったその紙を開いて筆でしたためられた文面を見た。


 ──桃姫、お誕生日おめでとう。

 ──もう、十歳になったのね。

 ──桃姫がお腹にいたとき、私はまだ二十歳で、本当に自分に子供が育てられるのかと不安になりました。

 ──でも、生まれてきてくれた桃姫の愛らしいお顔を見たときに、私の不安はすぐさま消え去りました。

 ──そして、桃姫のことを何よりの宝物として大切にしようと、桃姫のお顔を見ながら桃太郎さんと話し合いました。

 ──すくすくと成長していく桃姫はとても優しくて、でもこだわりの強い、かっこいい女の子に育ちましたね。

 ──どうかそのまま、かっこいい女の子として、つよく、たくましく、でも、誰よりも優しい女の子でいてくださいね。

 ──桃姫が何歳になっても、どれだけかっこよくなっても、桃姫は母上と父上の大切な宝物です。母上より──。


 ──桃姫、十歳のお誕生日おめでとう。

 ──着物、びっくりしたかい?

 ──この着物は、小夜と一緒に生地から選んで作ったんだよ。

 ──小夜はもっとかっこいいのがいいんじゃないかって言ったんだけど、私はこれがいいと思ったんだ。

 ──どうかな? 気に入ってくれたら嬉しい。

 ──桃姫はこの前、剣術を教えてほしいと私に言ったね。しかし、どうだろうか。私は鬼退治以来、何も斬ったことがないからね。

 ──でも、つよくなりたい、がんばりたいという気持ちが桃姫にあるのなら、私も全力で協力したい。

 ──そのときは一緒に、一から剣術の練習をしよう。一緒につよくなろう。楽しみにしています。父上より──。


「──ッ……うッ……ううッ!」


 桃姫は大粒の涙を流しながら両親から贈られた手紙の文面を読み終えると、ゆっくりと四つ折りに戻して震える手で握り締めた。


「……桃姫様……」


 桃姫の泣き顔を見た雉猿狗が心配そうに声をかけた。


「……雉猿狗……ありがとう……この手紙、この着物……うううッ……!」


 桃姫は桃色の着物の袖で顔を拭うと、白い帯の奥深くに手紙を差し入れた。桃姫がこぼした涙が地面に落ちるのを見た雉猿狗がフッ──と顔を上げると桃姫に向けて口を開いた。


「──桃姫様……私から提案がございます……」


 雉猿狗は凛とした眼差しで告げると歩き出し、三獣の祠の前に置かれた打刀〈桃源郷〉と脇差〈桃月〉の白鞘を両手で掴んで拾い上げた。


「──私たちは、花咲村の人々のためにも、生きなければなりませぬ……強くならねばなりませぬ──」


 雉猿狗は力強い意志を込めた声で言いながら、〈桃源郷〉の白鞘に付いた下げ緒を自身の帯に巻き付けてキツく締める。そして、〈桃源郷〉より小振りな〈桃月〉の白鞘を桃姫に向けて差し出した。


「……村に帰るのはやめにいたしましょう……私たちは、これより先に進まなければなりませぬ──」

「……っ」


 翡翠色の瞳に力を込めてそう告げた雉猿狗に向けて、桃姫は小さな手を伸ばし、そして差し出された〈桃月〉の白鞘を握り締めた。

 今度は死ぬためではなく、生き延びるために──仏刀〈桃月〉を握り締めたのであった。


「……雉猿狗……私、強くなりたい──」


 桃姫は心の底からの願いを口にすると、〈桃月〉の下げ緒を両親から贈られた桃色の着物の帯に巻き付けてギュッ──と固く締め上げた。そして、顔を上げて、濃桃色の瞳を翡翠色の瞳と交差させた。


「──はい。雉猿狗と共に強くなりましょう、桃姫様」


 朝の陽の光を浴びて黄金に輝いた雉猿狗の笑顔が桃姫の瞳に反射すると、桃姫は力強く頷いて返した。


「──桃姫様。この花咲山を越え、更に東に向けて備前の山を越え続けると、播磨に辿り着きます。その播磨を更に進めば、いずれは──"堺"に到着いたします」

「……"堺"?」


 雉猿狗の言葉に桃姫は初めて耳にした地名を聞き返した。


「──はい、港湾都市・"堺"。日ノ本一栄えている港町であり、賑やかな場所だと天界にて知り得ました──それだけ人が多い場所ならば、鬼も迂闊には襲ってこれないはずです……しばらくはそこで暮らし、力を蓄えましょう」


 雉猿狗は凛とした眼差しと声音でそう告げると、桃姫に向けて白い数珠の巻かれた左手を伸ばした。


「──参りましょう、桃姫様──"鬼退治"の旅路へ──」


 桃姫は太陽に照らされて光り輝く雉猿狗の姿に目を細めながら、おつるから贈られた巻き貝の腕飾りを付けた右手を伸ばして、"太陽の熱"を持つその手を握った。


「……うん──行こう、雉猿狗──」


 固く手を結んだ桃太郎の娘・桃姫と三獣の化身・雉猿狗は、三獣の祠の前から歩き出し、まだ足を踏み入れたことのない日ノ本の新天地へと旅立った。

 青空に昇っていく黄金の太陽は、手を繋いで歩く二人の姿を明るく照らし出し──そして、二人が挑む艱難辛苦(かんなんしんく)の道のりに対して、無限大の光の粒子を惜しみなく降り注ぐのであった。

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