目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

19.桃太郎退治

 花咲村の中央広場──夜空を煌々と照らし出す炎をまとったやぐらの残骸を背にした桃太郎が、温羅巌鬼と対峙していた。


「──小夜は……桃姫は……」


 切断された右肩を左手で抑えながら、桃太郎が絶望に目を眩ませながら言うと、巌鬼は北にある裏門の方角に視線を送った。


「……捕らえたか、鬼蝶」


 巌鬼が声を投げかけると、四人の鬼人を引き連れた鬼蝶が、笑みを浮かべながらやぐらに向かってしなやかに歩いてきた。

 そんな鬼蝶の左腕は、疲れ果てた表情をした桃姫の首に回されていた。


「──ッ、桃姫ッッ!!」


 ボロボロになった着物を着て、今までに見たことのない暗い表情を浮かべる桃姫の姿を見て桃太郎は叫んだ。


「……父……上……」


 桃太郎の言葉が耳に届いて、目に微かな光を取り戻した桃姫は、仁王立ちする巌鬼の前にひざまずいた桃太郎の姿を見て絶句した。


「──待たせたわね、巌鬼……でも、ちゃんと約束通り、殺さずに連れてきたわよ」

「……うっ……」


 鬼蝶が燃え盛るやぐらの前までやってきてそう言うと、左腕で拘束した桃姫の首にグッ──と力を込めた。


「ああ……よくやった。ここに連れてくるまでの間、殺したくてしょうがなかっただろうにな」

「ふふふ……私のことなら何でもお見通しね──"巌ちゃん"」


 巌鬼の言葉に鬼蝶が嬉しそうに言って返すと、巌鬼は鬼蝶の整った顔をギロリ──と睨みつけた。


「そんな怖い顔しないでよ……まったく」


 鬼蝶が眉をひそめながら言うと、巌鬼はその後方に立つ鬼人の肩に担ぎ上げられているおつるの姿を見た。


「何だ……そいつは」


 手足をだらり伸ばして、力なく肩に担がれたおつるを見ながら巌鬼が言うと、鬼蝶はちらりとおつるを見やってから言った。


「ああ、これ? ──私の戦利品」

「──ふん」


 あっけらかんと鬼蝶が言うと、鼻を鳴らした巌鬼は一瞬で興味を失ったかのように桃太郎に向き直った。


「さて、桃太郎……父と娘の感動の再開だぞ──どうした、喜べよ?」


 巌鬼が見下ろしながら告げると、心配そうに桃姫の姿を見ていた桃太郎は巌鬼を睨みつけた。


「──妻はどこだ……小夜をどこにやった……!」


 桃太郎の悲痛な訴えを聞いた巌鬼は横目で鬼蝶の方を見た──すると、鬼蝶は左腕で桃姫を拘束しながら、右手を胸の前に突き出した。

 その右手は、カミソリの刃のように鋭く長い黒爪が五本伸びた異様な鬼の手であった。


「──ああ……"これ"のこと?」


 鬼蝶は黒爪の間に引っかかった血濡れた長い黒髪を見ながら告げると、陰惨なほほ笑みを浮かべた。

 その黒髪は間違いなく小夜の自慢の黒髪──鬼退治を終え、英雄として扱われ、花咲村の人々から腫れ物に触れるように扱われていた桃太郎に対して、ただ一人、変わらずに接してくれた孤児の村娘──小夜の黒髪。


「──ッッ」


 まだ温かさの残る真っ赤な血に染まった小夜の黒髪を見た桃太郎は絶句し、その筆舌に尽くしがたい絶望の顔を巌鬼はすかさず鬼の目に焼き付け満足げな笑みを浮かべた。


「──っっ」


 それと同時に、至近距離で小夜の千切れた黒髪と鮮血を見た桃姫の脳裏に小夜との思い出、愛する母親との何気ない日々が瞬く間に駆け巡った。

 そして、桃姫の脳が現在と過去の状況の著しい落差に対して、強い拒絶反応を引き起こし──桃姫の神経を強制的に切断させた。


「……あっ……」


 桃姫は小さく声に漏らすと両目をグルン──と上に向けて全身を脱力させて気絶した。


「──おっと……?」


 鬼蝶は全体重を預けて左腕に寄りかかってきた桃姫の体をグッ──と抱き直した。


「あらら……この娘、気を失っちゃったみたい……ちょっと刺激が強すぎたかしら?」


 鬼蝶が白目を向いた桃姫の顔を見下ろしながら嘲笑するように言うと、巌鬼は絶望する桃太郎の顔を見下ろしたまま口を開いた。


「──なぁ、桃太郎よ……なぜ、キサマの娘をここに連れてきたかわかるか?」

「…………」

「──キサマが俺に地獄を見せたように──俺もキサマに地獄を見せてから殺すためだ」


 濃桃色の瞳から完全に光を失った桃太郎に向けて、巌鬼は低い声で告げる。


「──キサマは忘れていた。20年前に鬼ヶ島でやった虐殺を──キサマは忘れ、妻と娘と安穏に暮らし、戦うことを忘れ、刀すら抜けなくなっていた──キサマは──」

「──忘れたことなどない──!!」


 桃太郎の発言に巌鬼は黄色い眼球を見開いた、そしてひざまずいている桃太郎を赤い瞳孔を縦に細めてギロリ──と睨んだ。


「──忘れようとしても……忘れられるはずがない……! 私は一日たりとて……あの鬼ヶ島の惨劇を忘れたことはなかった……!」


 桃太郎は苦悶の表情を浮かべ、切断された右肩を抑える左手の指にグググ──と、力を込めた。


「──毎晩、鬼ヶ島の悪夢を見て……夜中にうなされながら目が覚める。私はなんてことをしてしまったんだと……私がしたことは正しかったのかと自分を責める」


 グググググ──と、切断面の赤い肉の中に桃太郎の血管が浮いた左手の指が押し込まれていく。


「──しかし、そうしていると寝息が聴こえてくるんだ……穏やかな寝息が……私は、隣で眠る桃姫と小夜の安らかな寝顔を見て……何とか……心を落ち着ける……」


 桃太郎は、目を閉じ、一筋の涙を流した。


「──そうやって……今日まで、何とか……何とか、生き延びてきた……」


 桃太郎は巌鬼に向かって頭を下げるように顔を伏せた──そして、流れた涙を自分の血溜まりの中に落とす。

 その桃太郎の姿を巌鬼は見下ろしながら、一層低い声で桃太郎に告げた。


「──ならば、どちらを残すか選べ」

「……ッ」

「──キサマの命を残すか、娘の命を残すか──今、どちらかを選べ」


 巌鬼が桃太郎に厳しく問うと、後方に立つ鬼蝶が"面白い"とばかりに眼を細めた。


「……ぐ……ううッ──」


 巌鬼が提示した選択に対して、桃太郎は顔を伏せたまま、歯噛みして嗚咽を漏らした。


「──これは、意外だな……即決できんのか。この期に及んで、自分の命が惜しくなったか──桃太郎」


 巌鬼が桃太郎の後頭部に向かって吐き捨てるように言うと、桃太郎は左手を右肩の切断面から抜き取って、真っ赤に血濡れたその手を地面につけた。


「……娘は……桃姫は、まだ、幼い……この世の、悪意から……遠ざける……親が、必要だ……」


 桃太郎が震える声で話しだすと、次々と涙が血溜まりに向けて落ちていった。


「……親がいなければ……一人残された娘は……この世で、地獄を見ることになる……桃姫に地獄を見せたくはないんだ……!」


 滂沱(ぼうだ)の涙で顔を歪ませた桃太郎が顔を上げると、巌鬼の後ろに立つ鬼蝶──その左腕が抱え持った気絶して脱力する桃姫の姿を見た。


「──親がいなければ、子は地獄を見る、か──」


 桃太郎の父親としての顔を冷めた目で睨みつけた巌鬼は呟くように言うと、黄色い眼球に縦に入った赤い瞳孔をグッ──と横に広げながら激しく咆哮した。


「──そのような戯言、よくキサマが俺の前で言えたものだなッッ──!!」

「ッ──うっ……! ううう……!」


 鼓膜が破れんばかりの巌鬼の凄まじい怒声を受けた桃太郎は、体を震わせて大粒の涙をこぼした──そして、倒れ込むように顔を血溜まりに押し付けた。


「──頼むッ……! 私を許してくれ……! 殺さないでくれ……! これ以上私から、家族を奪わないでくれ……ッッ──!!」


 巌鬼に対して、土下座の形で泣き叫びながら桃太郎は懇願を始めた。


「──許してくれ……許してくれ……! ──頼む……! ……頼むッッ!!」

「……なっさけない。これがあの鬼退治の英雄、桃太郎なの……?」


 嗚咽を漏らしながら土下座して命乞いをする桃太郎の姿を見た鬼蝶が呆れたように冷たい声を発した。

 自分が作り出した血溜まりに顔面を押し付けて全力で許しを求めるその様子──。


「──ふゥむ──」


 桃太郎の心からの謝罪を見届けた巌鬼はようやく満足したようにほほ笑むと、低くはあるが優しい声音で桃太郎に告げた。


「──桃太郎……もうよい。面を上げろ──」

「……うう……」


 巌鬼の言葉を耳にした桃太郎は、ゆっくりと自分の血に染まった赤い顔を上げた。


「──許す」

「……え……」


 巌鬼は穏やかにそう言うと、太い右腕を伸ばして桃太郎の左腕を掴んだ──そして引き上げて、桃太郎を立ち上がらせる。


「……本、当に……?」


 桃太郎はよろよろと立ち上がりながら、巌鬼と視線を合わせた。


「──ああ。許す」


 鬼には似合わないほほ笑みを見せて巌鬼は繰り返した。


「──桃太郎、許す──」

「……っ……」


 巌鬼の言葉を聞き、その穏やかな顔つきを見て、赤く血に染まった桃太郎は、満面の笑みを浮かべた。

 ──笑顔の桃太郎──笑顔の温羅巌鬼──計り知れない因縁を抱えた互いの笑顔が燃え盛るやぐらの前で交差する。


 ──許された……。


 桃太郎が心の底からそう思い、安堵した次の瞬間──。


「──ワケがあるまイイイイイイッッ──!!」

「──ッッ──!!」


 黄色い眼球を剥き出しにして、鬼の咆哮を放った巌鬼は、右腕で掴んだ桃太郎の左腕を更に高く持ち上げて、桃太郎の体を宙に浮かすと、間髪入れずに黒い鬼の爪が伸びた太い左腕を桃太郎の左胸に全力で叩き込んで、ドゴッ──と刺し貫いた。


「──ガッ……! ──はッ……!」

「──地獄に落ちろ、桃太郎──」


 桃太郎の背中から飛び出した赤い心臓は、呪詛を呟いた巌鬼の鬼の手に握られながら、ドクッドクッ──と鼓動を繰り返した。


「──も……も──」


 桃太郎は、急速に光が失われていく視界の中で巌鬼の向こう側──鬼蝶の左腕に抱かれる気絶した桃姫の姿を見て、血を吐き出しながら息を絞り出すように声に出した。


「──ふんぬッッ──!!」


 次の瞬間、憤怒の形相を浮かべた温羅厳鬼の分厚い鬼の手によって桃太郎の心臓が、グシャアッッ──と握り潰される。

 巌鬼の左手の指の隙間から桃太郎の心臓の残骸がボタボタとこぼれ落ち、その落下する肉質的な音と生暖かい感触を存分に味わった巌鬼は満足げに深く息を吸ってから──。


「──俺の勝ちだァ──」


 勝利宣言と共に吐き出した巌鬼。この20年間、この日のためだけに生きてきた巌鬼が、生まれて初めて本物の勝利を実感して、心の底からの笑みを浮かべた。

 そして、巌鬼の太い左腕に刺し貫かれた桃太郎は全身の力が抜けて脱力し、濃桃色の瞳の光を完全に失っていた。

 だが、その光を失った瞳は、未だに桃姫の姿を微かに反射していた。心臓を失った全身の細胞が次々と機能停止していく中、桃太郎は一筋の涙を目から流した──。


 ──これにて鬼退治の英雄、桃太郎は絶命した──。


「──…………」


 巌鬼が冷たくなっていく桃太郎の亡骸から左腕を引き抜いて血溜まりの中にドチャッ──と落とすと、パチパチパチ──と小さな拍手の音が聞こえた。


「素晴らしいわ巌鬼……見事にやり遂げましたね──"桃太郎退治"、格好良かったわよ」


 桃姫を胸元に抱き寄せた鬼蝶が、笑みを浮かべながら両手を叩き合わせて巌鬼による"桃太郎退治"を祝福した。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?