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17.暗転

 ──その30分前。桃姫は小夜に連れられて村役場の隣に設けられた炊事場のある小屋にやって来ていた。


「──はやく~、お祭り始まっちゃうよ~。父上がやぐらに出てきちゃう~」


 桃姫は足を踏み鳴らしながら言うと、小夜はてきぱきと調理の作業をしながら桃姫に背中を向けて口を開いた。


「でも一人で行かせたら人混みの中で迷子になっちゃうでしょ? 母上と一緒じゃなきゃお祭りに行っちゃダメです」


 小夜はきっぱりとそう告げると、隣にやってきた女性に焼き魚が入った手桶を渡した。


「これはすだちを軽く絞るだけでいいから、食堂に運んでください」

「はい。手際の良い小夜さんが居てくれて、本当に助かります」


 短く太い眉毛をした女性は穏やかな声でほほ笑みながら言うと、炊事小屋を後にして村役場にある食堂に向かって歩いていった。


「おつるちゃんの母上、おつるちゃんにそっくりだねえー」

「へへへ。そおー?」


 桃姫がその様子を見ながら口にすると、塩が詰まった樽の上に座ったおつるが嬉しそうに照れながら笑った。


「──はい。それじゃあ、二人にもお仕事があります」


 小夜が前かけで濡れた手を拭いながら言うと、調理台の上に置かれた9個の小鉢が乗せられた2枚のお盆を目線で示した。


「このお盆を食堂まで運んでください──た、だ、し、絶対に落とさないように注意してね?」


 小夜が人差し指を前に突き出しながら厳重に言うと、桃姫とおつるは互いの顔を見合わせて頷きあってから小夜の顔を見た。


「──はい!」

「──はい!」


 二人は元気よく声を上げると、各種様々な漬物が入った小鉢が並ぶお盆に両手を伸ばして慎重に抱え持った。


「……よし、行くよ。おつるちゃん」

「……うん、桃姫ちゃん」


 二人は声を掛け合いながら歩き出すと、炊事小屋から食堂のある村役場の建物へと移動していく。

 小鉢同士がぶつかり合ってカタカタ──と小さな音を立てながらも、桃姫を先頭にしてゆっくりと炊事小屋を出ていく二人の小さな背中を小夜が笑顔で見送った。


「…………」


 おつるが短く太い眉を寄せながら慎重に桃姫の後ろを歩いていると、炊事小屋から村役場に繋がる道の真ん中で突然、桃姫の背中がピタリと止まった。


「っ──も、桃姫ちゃん! 急に止まらないでえ……!」


 慌てたおつるが何とかお盆の上の小鉢を落とさずに足を止めてから、桃姫の背中に向けて抗議すると、立ち止まった桃姫は中央広場のやぐらを見ながら口を開いた。


「……父上だ」


 桃姫がやぐらの上に立つ桃太郎の横顔を見上げながら嬉しそうに呟いた。桃太郎は恥ずかしそうに手を上げると一斉に村人たちの歓声が上がって、そして──。


「──桃姫ッ! 桃姫ッ──!」


 小夜が桃姫の肩をゆさぶりながら叫ぶ──桃姫は正気を取り戻すと、いつの間にか手落としていたお盆を見下ろした。

 乗せていた9個の小鉢の全てがひっくり返って、漬物が地面に散乱している。


「……あ、母上……ごめんなさい……」


 放心状態の桃姫が静かに言うと、小夜は桃姫の手を力強く掴んだ。


「──おつるちゃんッ! おつるちゃんも来なさいッ!」


 小夜は、やぐらを見ていて同じくお盆を落として呆然としていたおつるに叫ぶように呼びかけるとその手を握り締めた。


「……あの……小夜さん……私のお母さんが……」


 そう呟いたおつるが、食堂の方にふらふらと歩き出そうとしたのを小夜が引っ張って止めた。


「──行ってはダメ! 今はどこかに逃げないと……!」


 叫んだ小夜が逃げられる場所はどこかないかと探していると食堂の扉がバン──! と勢いよく開かれて、中からおつるの母親が這い出してきた。


「──お母さん……!」


 その姿を見たおつるは安堵の表情を浮かべて声を上げるが、おつるの母親はどうも様子がおかしかった。


「……う、ウウウ……おつる……逃げなさいっ……逃げ──」


 そう言って倒れ込んだ橙色の着物を着たおつるの母親の背中は赤く染まっており、瞬く間に地面に血溜まりを作り始めた。


「……お母さん……?」


 おつるが何が起きてるのか理解が追いつかずに声を漏らすと、開かれた村役場の扉の中から青黒い肌をした赤い眼の鬼人が現れた。

 額から歪な二本角を生やした黒い軽装鎧の鬼人は、"シューシュー"と異様な呼吸音を口から出すと、手に持った槍の先端に付着している鮮血を振り払ってから小夜の方を見た。


「──お……鬼ッ……!」


 小夜は震える声で叫ぶと、桃姫とおつるの手を握る両手に力を込めた。


「──走るわよ……! 二人とも……! ここから逃げるのッ──!」


 小夜は眼の前の出来事に戦慄している二人に向けて叫ぶと、たいまつが引火して燃えているやぐらの残骸とは違う方向に向けて二人の手を引っ張りながら走り出した。


「──ガアアアッ! ──誰かッ! ──誰かァァアアッ!」

「母上……! あの人!」


 刀を持った鬼人に襲われている村人を目にした桃姫が小夜の背中に声を発して呼び掛けるも、小夜はちらりと横目でそれを見ただけで構わず走り続けた。


「──小夜様! ──桃姫様!」


 小夜は無意識に自宅の方角に向けて走っていたらしく、家の前で右往左往している向かいのおばさんが声をかけてきたことでようやくその足を止めた。


「おばさん……! 鬼が出た!」

「ええ、そうね……! でも──桃太郎様! 私たちの村には桃太郎様がいる! ──桃太郎様があっという間に退治してくれるわよ!」


 桃姫が心配そうに声を掛けると、向かいのおばさんは両手を叩き合わせると、場違いな笑顔を浮かべながらそう言った。


「──だとしても、どこかに避難したほうがいいです! ──私たちと村の外に行きましょう!」


 額から汗を流した小夜が真摯な眼差しで告げると、向かいのおばさんは大笑いしながら声を上げた。


「──あっはっはっは! なぁにを言ってるのよ小夜様! あなた、桃太郎様の奥方なのに、桃太郎様を信用していないの!? ──この村には桃太郎様がいる! だから大丈夫なのよ! ──あっはっはっは!」


 向かいのおばさんは笑いながらそう言うと、自分の家の扉を開けて、中に入っていこうとする。


「──ダメです! 逃げないと!」


 小夜は懸命に言うが、向かいのおばさんは振り返って一言だけ返した。


「──私は桃太郎様を信じるわよ」


 そして、扉をピシャリ──と閉じる。小夜は顔を伏せて静かに首を横に振った──そして、再び桃姫とおつるの手を力強く握り締めた。


「……村を出なきゃダメ……! あの人が鬼を退治してくれるまで……村の外に避難しないといけない!」


 小夜はそう決心すると、二人の手を引いて村の南にある表門を目指して走り出した──しかし、すぐにそれは間違いだとわかった。

 大きな表門は今いる通りからでも目立っているが、村の外に逃げようと集まった村人を待ち構えている武装した鬼人の群れがいたのだ。

 数にして10から20。それだけの数の鬼人が表門の前を塞いで逃げ惑う村人を襲撃していた。


「──表門がダメなら……裏門……そうだ、花咲山に避難しましょう!」


 南の表門を見ながら小夜がそう声を上げると、北の裏門に向けて駆け出す。その時、桃姫が小夜の手を強く引っ張って声を発した。


「──ダメ! 山はダメっ……!」


 桃姫は花咲山で遭遇した未だに脳裏にこびり付いて離れない満面の笑みを浮かべる謎の老人・役小角と灰色肌の二体の大鬼・前鬼と後鬼の姿を思い出して叫ぶように言った。


「──どうして? ……キャアッ!」


 小夜は裏門に向かって走りながら桃姫に問い掛けると、突然横合いから襲ってきた熱風に悲鳴を上げた。


「……おうちが、燃えてる……」

「──あ! おばさんの家が!」


 おつるが呆然と声に漏らす。次いで、桃姫が声を上げた。たいまつを掲げた鬼人が向かいのおばさんの家屋に火を付けているのを目撃したのだ。

 燃え出した木造の家屋は秋風に煽られて勢いよく火力を増すと、次々と隣の住宅に引火して巨大化した炎を天高く巻き上げていった。


「燃えてる……花咲村が、燃えてる……」


 おつるが黒い瞳に赤い炎を照らし出しながら呟くと、小夜はやはり山に逃げるしかないと結論を出した。


「山に行くわ……! ここにいたら、燃え尽きてしまう!」


 小夜の言葉を聞いた桃姫は山は嫌だと思いながらも、とは言え他に避難できるような場所を思いつかなかった。

 そして、炎に追い立てられるようにして裏門まで辿り着くと門の前に居た2人の鬼人が裏門に近づいた村人を発見して追いかけているところに出くわした。


「──今のうちよッ……!」


 小夜は他に鬼人がいないことを確認すると、桃姫とおつるの手を引いて裏門をくぐった。そのままの勢いで山のふもとの赤い鳥居まで来ると、桃姫とおつるの手を繋ぎながら通り抜ける。

 桃姫は昼間に桃太郎と手を繋いで鳥居を通ったことをふと思い出し、それはまるで遠い過去の出来事のように感じた。


「──あらあら、逃げ場なんてどこにもないのにね……ふふふ──」


 花咲山に入っていく三人の背中を見ながら陰惨な声音で呟いた、一つのしなやかな人影があった。

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