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14.鬼の宴

「──はぁ……はぁ……はぁ……!」


 額に汗をかいて、息を切らした桃姫が三獣の祠の前を走り抜けていく──そして、無我夢中で走り続け、村に続く赤い鳥居が見えてくるとその下に桃太郎がいるのが見えた。


「……桃姫ッ!」

「──父上ー!」


 桃太郎が声を上げながら両手を広げると、目から涙をこぼした桃姫はその胸に倒れ込むように飛び込んだ。


「……桃姫、お前、今の今まで蹴鞠をしていたのか……!? ──もう別れてから3時間も経ってるぞ……!」

「──父上っ……! ──わあぁぁーん!」


 叱責する桃太郎に対して、桃姫は大声を上げて胸の中で泣きじゃくった。


「どうした、桃姫……? 迎えに来てほしかったのか……いや、確かにやぐらの作業が長引いたのは申し訳なかったが……」


 何やら様子のおかしい桃姫に困惑した桃太郎は、桃姫の頭を撫でて泣き止むように落ち着かせた。


「──うっ……えうっ……うっ……」

「……ん、そういえば……鞠は、どうした?」

「なく、なっちゃった……」

「そうか……」


 桃太郎は桃姫が泣いている理由はそれだと推測して納得した。


「大丈夫。あれは母上のだけど、正直に事情を説明すれば怒られない」


 桃太郎の優しい言葉にほだされて泣き止んだ桃姫は、べっとりと鼻水を垂らした顔を上げて桃太郎の顔を見上げながら口を開いた。


「……うん……それから……」


 今でも桃姫の脳裏に色濃く浮かぶのは、峠道で遭遇した満面の笑みを浮かべる白装束の不気味な老人と灰色肌をした二人の大男の姿。

 脳裏にこびりついて、忘れたくても、簡単には忘れられそうにない光景であった。


「あ……あの……なんでもない……」

「そうか……鼻水、出てるぞ。たくさん」


 桃姫は目を伏せて言い淀むと、桃太郎は泣きじゃくって赤くなった桃姫の顔を見て笑みを浮かべた。


「え……おあ……? ──ちぃぃぃいいいん!」

「おい!」


 桃姫はおもむろに桃太郎の茶色の羽織の衿を掴むと、思いっきり鼻をかんだ。


「……はあー」

「……はぁー」


 鼻をかんですっきりした桃姫はため息を漏らすと、桃太郎も粘液がついた衿を見て深いため息を吐いた。


「……村に戻ろう、桃姫。家で昼飯だ……あと洗濯だ」

「うん」


 桃太郎は言うと、桃姫は返事をして桃太郎の手を握った──そして、一緒に赤い鳥居を潜って花咲村へと帰った。


「──小夜……私の絵本の話で、一つだけ気になっている部分があるんだ」


 ちゃぶ台を囲んだ家族三人で昼食を取りながら、桃太郎は以前から思っていたことを、ふと口にした。


「……"桃から生まれた"、の部分ですか? ですからあれは、幼い桃姫のために──」

「──いや、違うよ……お婆さんが川で出会った老人の部分だ……あの老人は、私を鍛えて、仏刀を授けて、三獣を連れて来て──鬼退治に協力してくださった"御師匠様"であることはわかっている」


 小夜が自家製のきゅうりの漬物を食べながら言うと、箸を茶碗の上に置いた桃太郎は真剣な表情で話しだした。


「……しかしな、御師匠様が連れていた二人の大男──それを私は一度も目にしたことがないんだ」


 桃太郎は眉根を寄せると、記憶を辿りながら言った。


「……お婆さんから聞いていたその大男の存在がどうしても気になってしまって……ある日、勇気を出して御師匠様に聞いてみたんだ」

「そしたら、なんて?」


 桃太郎の言葉に小夜がお茶をすすりながら尋ねた。


「……"役立たずの木偶の坊だから、適当な寺に二人とも預けてきた"……と」


 桃太郎はそう言った瞬間の老人の満面の笑みも克明に記憶していた。


「あら。それなら、それが答えではないのですか?」

「……ああ……まあ、そうなるんだが……しかし……」


 小夜のもっともな返しに、桃太郎は納得しそうになるが、それでもまだ思うところがあった。


「お婆さんは、その灰色肌の大男が──"鬼に似ていた"と、そう言っていたんだよな……」

「…………」


 桃太郎の言葉を聞いた桃姫が手に持っていた食べかけのおにぎりを畳の上に落っことした。

 そして、転がったおにぎりの先に置かれていた『桃太郎』の絵本の表紙──そこには、脳裏にこびりついたあの老人と二人の大男の姿が描かれていた。


「──前鬼、後鬼……落ち着くのだ。今宵の宴の主役は、おぬしらではないのだぞ」


 森の峠道に作られた呪札門の中から、刀や槍で武装した鬼が次々と這い出してくる。

 その鬼は鬼ヶ島にいたような大鬼ではなく、人間の大きさをした鬼であった──しかし、肌は青黒く、眼は赤く、額から歪な角がそれぞれの形で伸びていた。


「後で好きなだけ暴れさせてやるから……今宵はわしと共に大人しくしておれよ」


 笑みを浮かべた老人は、背後で荒い呼吸を繰り返す前鬼と後鬼に対してなだめるようにそう言うと、鬼ノ城の広場から呪札門を通って途切れなく出てくる鬼の軍勢を眺めた。


「わしだって、20年ぶりに桃太郎に会いたいのは山々なのだ……それをこうして我慢しておるのだからな」


 老人は呪札門の向こう側から、毒々しい紫色の肌をした巨大な影が近づいてくるのを見て、思わず左手で片合掌を決めた。


「──今宵の主役は、温羅巌鬼(うらがんき)じゃ」


 そう嬉しそうに言って、チリン──と右手に持った黄金の錫杖の金輪を鳴らすと呪札門が開く大きさ限界の幅の大鬼が這い出してきた。

 頭を下げながら、ゆっくりと這い出てきた大鬼は峠道に出てきてその頭を上げる。


「──役小角(えんのおずぬ)。本当に此処に桃太郎がいるのだな……?」

「いかにも。温羅の息子──巌鬼よ」


 役小角と呼ばれた白装束の老人はにんまりと笑いながら告げると、険しい顔をした巌鬼が背中の黒い大太刀の柄を掴み、その重さを確認するように握り込んだ。


「──ようやく……ようやく、宿願が果たせるのか……」


 黄色い鬼の眼を細めた巌鬼が地鳴りのような低い声でそう言うと、呪札門の向こう側からしなやかな影が近づいてきた。


「む……? 鬼蝶(きちょう)殿も今宵の宴に参加なされるのか……?」


 役小角が呪札門を見ながら言うと、巌鬼も横目で呪札門を見やった。


「──"残虐"に参加しない鬼女がどこにおりまして?」


 蛇のようにするりと呪札門を通り抜けて現れた美しい女性。アゲハチョウの舞う姿が描かれた仕立ての良い紫色の着物から覗くきめ細やかな白い肌。

 艶やかな深緑色の長い髪はゆるくまとめ上げており、銀のかんざしを三本差している。


 美女──それだけ見ればそう形容できるが、その女性の左側の額からは真紅の鬼の角が細く伸びていた。

 更に笑みを浮かべるように細められた目からは鬼の特徴である黄色い眼球が覗いた。


「かかかかッ……いよいよ信長公に似てきましたな──鬼蝶殿」

「それは、褒め言葉と受け取ってもいいのかしら──行者様……?」

「無論……かかかかッ!」


 役小角に対して鬼蝶は、丁寧にしかし気だるげに言葉を返した。


「……それで、"宴"とやらはいつ始める」


 巌鬼が大太刀の柄から手を離して太い両腕を組みながら低い声で告げた。


「宴は夜と相場が決まっておる……ほれ、陽が落ちてきとる……もう少しの辛抱だわいの」

「そうよ、巌鬼。ご飯も我慢してから喰べたほうが美味しく頂けるでしょう……? ──ふふふ……」


 落ち着かない巌鬼をなだめるように言った鬼蝶を巌鬼はギロリ──と睨んだ。


「──子供扱いするな。俺は鬼ヶ島の首領だぞ」

「あら──ふふふ……ごめんなさい」


 鬼蝶はそう言って軽く謝ると、着物の袖から煙管をスッと取り出して、慣れた手付きで火を付けると煙をくゆらせ始めた。

 役小角は、巌鬼と鬼蝶の様子を見ながらいつもの満面の笑みを浮かべると、呪札門から出てきた最後の鬼を確認した。


「ようし……108体。全て揃ったのう──奇しくも煩悩の数と同じじゃ。かかか……!」


 役小角が笑いながら言うと、巌鬼が木の幹に寄りかかりながら鬼の牙が伸びる口を開いた。


「……役に立つとは思えん──所詮、"鬼の成り損ない"だ」


 巌鬼の言葉に対して、役小角は首を横に振ると、黄金の錫杖で峠道に居並んだ鬼の軍勢を差し示した。


「──"鬼人"を舐めるでないぞ。人から作り出したこの鬼は、知恵が働くし、集団戦が得意じゃ──そこいらの足軽より遥かに強い」

「……そうかい。まあいい──役立たずなら、俺と鬼蝶で村ごと破壊するだけだ」


 巌鬼がそう言うと、煙管の煙を夕焼け空に向かって吹き掛けていた鬼蝶が口を開いた。


「寝起きだから、あんまり無理はさせないでほしいんだけどね……」


 気だるげにそう言った鬼蝶に対して、巌鬼が言い返した。


「──女子供の悲鳴を聞いた瞬間に、お前の理性が吹き飛ぶのを俺は知っている」

「あら……私のことなら何でも知ってくれてるのね? ──嬉しいわ、"巌ちゃん"」

「──てめエ……!」

「……かかかか」


 鬼蝶と巌鬼の会話を耳にして笑った役小角は、おもむろに黄金の錫杖を構えた。


「──オン──マユラギ──ランテイ──ソワカ──」


 マントラが唱えられた瞬間、紫光しながら門を形作っていた呪札から光が失われ、バラバラ──と地面に落ちる。

 役小角が地面に落ちた呪札を黄金の錫杖でトン──と突くと、一斉に燃え上がって灰になった。


「──さぁ。夜が来るぞ──"鬼の宴"の始まりじゃ」 


 役小角は実に嬉しそうに目を細めながらそう言うと、呪札だった灰は秋風に吹かれて空を舞い、地平線に沈んでいくほどに赤く染まる太陽に向かって消えていった。

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