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11.三獣の祠

 桃姫がしばらく歩くと巨大なやぐらがその姿を現した。村の男衆が力を合わせ、半月かけて築かれたやぐらは堂々たる仕上がりだった。


「……うわぁ~!」


 思わず感嘆の声を上げた桃姫はやぐらを見上げながら近づいていく──その背後から、額に白い手ぬぐいを巻いた桃太郎が声をかけた。


「──下を見て歩かないと転ぶぞー!」


 そう言って桃姫を後ろから抱き上げると、桃太郎は桃姫を肩の上に軽々と乗せた。


「きゃあ!」


 悲鳴を上げ、桃太郎の頭に両腕を回して抱きついた桃姫──その拍子に赤い鞠を手落とすと、桃太郎は笑いながら地面から跳ね返ってきた鞠を片手で掴んだ。


「──ねぇ、降ろしてよ! みんな見てるでしょ! 桃姫は10歳になったんだよ! ねえ!」

「まーだ10歳だよ。その証拠に──こんなに軽い軽い!」

「きゃあああ!」


 桃太郎はその場で上下に屈伸すると桃姫は悲鳴を上げながら目を閉じた──そのなごやかな光景をやぐらの周囲で作業していた男衆が大声で笑いながら見ていた。


「来るのが早かったな。ちゃんと、おつるちゃんが見つけてくれたんだな?」


 桃太郎は言うと、桃姫を肩から降ろして手に持っていた赤い鞠を渡した。


「うん……それで、なに? なんで呼んだの……?」


 桃姫は男衆に盛大に笑われたことの気恥ずかしさで顔を赤くしながら桃太郎に尋ねると、桃太郎は答えた。


「ああ。ちょっと、付いてきてくれ」


 桃太郎はそうとだけ言うと、すたすたと歩き出した。桃姫は困惑しながらも、桃太郎の茶色の羽織を着た背中を追いかけるしかなかった。

 桃太郎は村の裏手にある木の門戸を抜けて、花咲山へと続く道を進み始めた──桃姫はその後を鞠を持ちながら黙って付いていくと、山に入る赤い鳥居の前で桃太郎は立ち止まった。


「──桃姫、去年の同じ日。この花咲山に連れてきたことを覚えているかい?」


 桃太郎が桃姫に振り返って言うと、桃姫は桃太郎の隣に並んで鳥居を見上げた。


「うん。だって、山には桃姫一人で入っちゃダメだって母上に言われてるから……誕生日の日だけ、父上と一緒に入れるの」

「ははは……ちゃんと小夜の言いつけを守ってるんだな──偉いぞ」

「うん」


 桃姫が頷いて返すと、桃太郎はすっと桃姫の手を握った。


「──でも、私が桃姫と同じ歳の頃は、この山の中を駆け回って"修行"していたんだよ」

「そうなの?」


 桃太郎の顔を見上げた桃姫が尋ねると、桃太郎は桃姫と繋いだ手に力を込めた──そして、桃太郎が歩き出すと、手を引かれた桃姫も歩き出し、二人で赤い鳥居を潜って山の領域に足を踏み入れた。


「……"御師匠様"がね……私を"鍛錬"してくれたんだ……」


 桃太郎は遠い目をして言うと、数を増していく木々の先、木漏れ日に照らされた峠道にぽつんと立つ石造りの白い祠を視界に入れた。


「──犬、猿、雉──お供の三獣と一緒にね」

「……三獣の祠……」


 桃太郎の言葉を聞きながら、白い祠を見た桃姫はそう声に漏らす──そして、桃太郎から手を離すと、白い祠に向かって駆け出した。

 祠の前に立つと、桃姫はその中を覗き込んだ──木製の格子扉の中は薄暗いが、小さな陶器製の壺が三つ並んでいるのが伺い見えた。


「……よく覚えてたね。桃姫が生まれてから毎年、この三獣の祠に来て──報告をしているんだ」

「……報告?」

「うん。三獣に桃姫の成長を伝えて、そして──」


 祠の前に着いた桃太郎は言いながら格子扉を開けると、木漏れ日が差し込んで中の様子が明らかになった。

 まず手前には小さな壺がある──それは犬、猿、雉、それぞれの絵柄が藍色の墨で描かれている青白い骨壷だった。


 その三つの骨壷に囲まれるように小型の香炉が置かれている──そして、その奥の空間に設けられた小さな神棚には、特殊な形状をした勾玉が立て掛けられて榊の間に祀られていた。

 その勾玉は、三つの翡翠の勾玉が円を描くように一つに繋がっているもので、〈三つ巴の摩訶魂〉と呼ばれる鬼ヶ島随一の宝物であった。


「──どうか、桃姫のことを末永く御護りください──と、そう祈っている」


 桃太郎は骨壷の中央に置かれている香炉の蓋を開けると、中の香木の欠片を取り出して新しい物に取り替えた。


「桃姫が生まれてから、ずっと?」

「……そうだよ。桃姫を連れてくるのは年に一回だけど……実を言うと私は事あるごとに此処に来て祈っている。ははは」


 桃太郎は少し照れた笑いをしながら言うと、取り出した香木の欠片を手のひらに乗せて桃姫の前に差し出した。


「来る度に香木を入れ替えてるから──ほら、まだ匂いがするだろ?」

「あ……ほんとだぁ」


 桃姫は香木の欠片に鼻を近づけてくんくんと匂いを嗅ぐと、まだ微かな匂いが感じ取れた。

 この山中の環境にあって匂いが消えていないということは、一ヶ月、あるいはもっと早くに入れ替えられた香木であった。


「……それじゃ、桃姫。一緒に祈ろうか」


 桃太郎は古い香木を新品を入れていた巾着袋の中に収めると、そう桃姫に言ってから両手を合わせた。


「うん……えっと……」

「"桃姫のことを御護りください"って、そう心の中で念じればいいんだ」


 桃太郎の言葉を聞いて、桃姫は眉根を寄せた。


「……んー。でも私は、父上と母上のことも三獣さんには護ってほしいなあ……」

「……あははは」


 桃姫の愛らしい言葉を耳にした桃太郎は朗らかに笑うと、三獣の骨壷──更にその奥に安置された〈三つ巴の摩訶魂〉を見ながら口を開いた。


「ありがとう桃姫。でも、祈願というのは誰か一人の事を切に想うことが大事なんだ──あれもして欲しいこれもして欲しいだと、祈りが弱くなってしまうよ」

「そうなんだ……」

「だから桃姫。この三獣の祠に対しては、桃姫のことだけを祈ろうか……私が今までそうして来たように、ね?」

「うん……わかった」


 桃太郎の言葉を聞いて納得した桃姫は、鞠を地面に置くと、小さな両手を白い石造りの祠に向けて合わせて目を閉じた。

 隣に立つ桃太郎も目を閉じて祈り始める──その時、桃姫の鼻にすんと香木の強い香りが漂ってきた。


 ──匂いが強い……父上が香木を新しいのに変えたばかりだからだ。


 桃姫はそう思って祈りを続けていると、不意に両手が熱くなって来るのを感じた。


「……っん」


 違和感を感じた桃姫が小さく声を上げると、隣で目を閉じて祈る桃太郎が小さな声で呟いた。


「──今、天界にいる三獣に私たちの祈りが届いている──祈ろう……桃姫を護ってくれるように」

「……うん」


 桃太郎の言葉に安心した桃姫は、手のひらに熱を感じながら祈り続けた。


 ──三獣さん……桃姫のことを御護りください。父上と鬼退治を果たした勇敢な三獣さん……どうか、桃姫のことを御護りください。

 ──犬さん、猿さん、雉さん……弱くて泣き虫な桃姫のことをどうか、御護りください……。


 最初は怖く感じた熱が今となっては心地よく、小さなお日様が手の中にあるようだと桃姫は感じ始めていた──。

 そして、桃姫と桃太郎が二人並んで目を閉じながら祈りを捧げているその時、祠の奥──骨壷と香炉の更に奥の小さな神棚に安置された〈三つ巴の摩訶魂〉が淡い緑光を放っていることに二人は気づかなかった。


「……さあ、目を開けて。桃姫」


 桃太郎が目を開き、すっきりとした顔つきで言いながら合わせていた両手を離すと、桃姫もゆっくりと目を開いて両手を離した。


「お祈りしてたら、なんだか……手が熱くなって……あと、お香の匂いが……」

「ああ、私も感じたよ──でも、今日は特に熱かったし、匂いも強かったな……隣に桃姫がいたからかな?」

「──うん!」


 桃太郎がにこやかに言うと、桃姫は元気よく頷いてほほ笑んだ。何だか、祈る前よりも心が軽くなったような感じがしたのだ。


「──あ、桃太郎様! やはり、こちらにおられなんだか!」


 桃太郎が祠の木製の格子扉を閉じていると、村の方角から息を切らしながら走ってきた男が声を掛けた。


「やぐらの最終確認が必要で、設計者の桃太郎様がいないと作業が進まないんでさあ! ──男衆が待ってます、早く来てくだせえ!」

「ああ。今行くよ」


 桃太郎は男に片手を上げて答えると隣に立つ桃姫を見た。


「それじゃ行こうか、桃姫」


 桃太郎が言うと、桃姫は三獣の祠をちらりと見ながら口を開いた。


「ねえ、父上……もうちょっとだけここに居てもいい? ここは静かで空気が澄んでるし……ここで蹴鞠の練習がしたいな」

「この場所でか……?」


 桃姫のおねだりに対して、桃太郎が峠道を見回しながら思案していると、遠くから男の催促の大声が届いた。


「──桃太郎様ぁ! 早く来てくだせえッ……!」

「うーん──そうだな」


 桃太郎は唸りながら答えを出すと、桃姫の頭の上にポン──と手を置いて口を開いた。


「──三獣の祠から先には絶対に行かないこと……それを父上と約束出来るなら、此処で練習をしてもいい」

「──うん! ここから先には絶対に行かない!」

「絶対に──だ!」

「絶対に行かない!」


 桃太郎は言いながら、桃姫の自分と同じ濃桃色の瞳を見つめた。

 桃太郎は以前から、桃姫は自分と同じ意志力の強い目をしていると思っていたが、こうして父娘で目を合わせると、よりその実感が強まった。


「──絶対だな」

「──絶対……!」


 桃太郎が桃姫の濃桃色の瞳を見ながら真剣に問うと、桃姫もまた桃太郎の濃桃色の瞳を見ながら真剣に答えた。


「よし……じゃあ、桃姫を信じる。私は行くから──いいか、約束だからな? 満足したらすぐに村に帰るんだぞ! ──いいな!」


 桃太郎はそう言いながら走り出すと、村への道を全力で駆け抜けていった。

 遠ざかっていく桃太郎の後ろ姿を赤い鞠を抱えて見送る桃姫──そして一人になった木漏れ日の峠道で、桃姫は静かに口を開いた。


「──満足したら帰ろーっと」


 今まで一度も、桃姫が蹴鞠の練習で満足したことがないという事を、桃太郎は知らなかった──。

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