「温羅様っ、お帰りなさいま……ひっ!?」
「──悪鬼、死すべし」
美しい花柄の着物をまとい、額に角を生やした若い鬼女が儚げな笑みと共に出迎えた瞬間、桃太郎は一切の躊躇もなく、その命を〈桃源郷〉で斬り捨てた。
「キャアアアアアアッッ!!」
「み、みんな……! お逃げなさいッッ!!」
その光景を目にした城内の鬼女たちが一斉に叫び声を上げる。桃太郎は幾多の悲鳴を浴びせ掛けられながらも、〈桃源郷〉の刃から滴り落ちる人ならざる黒い血を見ながら呟いた。
「──悪鬼、死すべし」
桃太郎は死んだ目でその言葉を繰り返しながら、鬼ノ城の城内を歩き出すと、目についた鬼女を片っ端から斬り殺していく。
「"奥の間"には通してはなりませんっ! なんとしても、"奥の間"にだけはっ!」
「ワアアアアアアアアッッ──!!」
鬼の角に花輪を飾り付けた鬼女が泣き叫びながら槍を握り締めてがむしゃらに突進してくると、桃太郎は造作なく鬼女をいなしてから、〈桃月〉にて心臓を一突きして殺した。
「──悪鬼、死すべし」
「どうか、お命だけはっ! ……ギエッ──」
「──悪鬼、死すべし」
「帰ってくださいまし……! 帰って! アアアアッ──」
「──悪鬼、死すべし──悪鬼、死すべし」
「これより先は、"奥の間"。あなたが人であるというのならば、これ以上の狼藉は……ウッ──」
「──悪鬼、死すべし──悪鬼、死すべし──悪鬼、死すべし」
鬼女たちを斬り捌きながら前進していく桃太郎は、黒く血塗られた仏刀を両手に構えると、鬼ヶ島と赤い太陽が描かれた見事な黄金の屏風を容赦なく斬り裂いて、"奥の間"に押し入った。
「お母さん……怖いよう……!」
「助けて……お父様……!」
「……く、来るな! ──来るなあッ!」
桃太郎は、清潔な寝具が並べられ、玩具が転がる"奥の間"の中を見渡した──そこには戦慄する母鬼が8人、そして怯える子鬼が12人居た。
母鬼の中には腹を膨らませている者も居た──。
「──ここにいるので、全員か?」
「……ひっ」
全身に返り血を浴びて白い軽装鎧が黒く染まった桃太郎は、全く感情のこもっていない冷たい声で母鬼の一人に告げた。
「──なぁ。ここにいるので──鬼の子供は、全員か?」
「さ……さようでございます」
血の気の引いた顔つきをした若い母鬼が、子鬼を胸に抱きしめながら、桃太郎と視線を合わせずに震える声で答えた。
「──そうか。ならば、よかった──もう、これ以上、殺さずに済むのなら──」
桃太郎は安堵したようにそう告げると、灰色に濁り曇った瞳で母鬼を見下ろしながら、〈桃源郷〉の刃を振り下ろして、抱きしめる子鬼ごと斬り捨てた。
「……ンギャっ……ッ!」
母鬼の断末魔──その悲鳴を皮切りにして、"奥の間"に母鬼と子鬼の絶叫が鳴り響く。
──こやつらは、人ではない──かつては人だったかもしれぬが、今は赤い血の流れる人間ではない──。
桃太郎は自身の心にそう言い聞かせながら、両手に構えた仏刀で逃げ惑う母鬼と子鬼らに次々と斬撃を見舞っていく。そして、瞬く間に"奥の間"は、黒く染まっていった。
──私は一人も、"人間"は殺していない──私は、"鬼退治"をしているだけだ──。
母鬼と子鬼を斬りつける度にその体から噴き出す黒い血は、彼女らが"鬼"であることの紛れもない証拠であり、桃太郎を安心させる血の色であった。
「──悪鬼、死すべし──悪鬼、死すべし──悪鬼、死すべし──」
桃太郎は仏刀を振り下ろし、あるいは振り上げ、あるいは突き刺して──額に角を生やし、体から黒い血を噴出する母鬼と子鬼の殲滅を行った。
そして目に付く限り、あらかたの殺戮が終わった桃太郎は、両手に握る〈桃源郷〉と〈桃月〉の切っ先から滴り落ちる黒い鮮血を見ながら放心していた。
「…………」
今は黒く染まっているが、本来、美しくも神秘的な銀桃色の刃を持つこの刀は、人を斬るための刀ではない──鬼を斬るための仏刀。
もしも人を斬ろうとすれば、それは錆びついたナマクラ刀のように刃が肉に引っかかってしまって中に滑らず、とても使い物にならない。
しかし、鬼ノ城に入城してからの殺戮では、なんの抵抗もなく、いっさい肉に引っかかることなく、スルスルと斬れていった。
それは、斬った相手が人ならざる鬼であることの何よりの証左として機能していた。
「……悪鬼……死すべし……」
瞳から完全に光を失った桃太郎が大量の亡骸が転がる悲惨な"奥の間"の光景を見ながら呆然と呟くと、視線の端、間仕切りの影から子鬼が這い出てきたのを捉えた。
「……かか……」
それは、"子鬼"ではなく"赤子鬼"と呼べるほどの幼さであった。しかし赤子ではありながら、黄色い眼球と紫色の肌、そして額に生えた二本の小さな赤い角が歴とした鬼であることを明白に表していた。
「……かか……とと……?」
「…………」
桃太郎は、"奥の間"の惨状を目にして困惑した様子の赤子鬼の元まで、母鬼の亡骸を踏み越えて無言で歩み寄ると、〈桃源郷〉を逆手に持って構え、その切っ先を赤子鬼に差し向けた。
「──お侍さまぁ……! どうか、この子だけ……! この子の命だけは……どうかぁ……!」
〈桃源郷〉の切っ先を不思議そうに見上げた赤子鬼を、桃太郎が今まさに刺し貫こうとしたその瞬間──腹から黒い血を流した母鬼がうめき声を発しながら起き上がり、覆いかぶさるようにして赤子鬼の上に倒れ込んだ。
見るからに致命傷を受けながらも、瀕死の母鬼は泣きながら赤子鬼をその体で優しく包み込んで、涙を流しながら桃太郎に向けて懇願する。
「……お侍さま……この子は、いっとう幼くて……まだ物の善悪もつかんのです……」
「──鬼に善などあるものか」
桃太郎は冷徹に言い放つと、〈桃源郷〉で母鬼の背中をザッ──と斬り付けた。
「──ぎゃっ! ……に、逃げて……がんき……お逃げなさい……!」
「……かか……」
母鬼は残された力を振り絞って己の体を持ち上げ、"がんき"と呼ばれた赤子鬼を逃がそうとするが、赤子鬼は母鬼と桃太郎の顔を交互に見ながら、困惑した様子で逃げようとしなかった。
そもそも、この状況においてどこにも逃げ場などないということは、母鬼も重々承知していた──。
「お願い……お願いよ……! 私の子なの……この子だけ……! この子だけなの……! ようやく産めたのよ──!」
「──頼むから──私にこんな惨いことをさせないでくれ──ッッ!!」
耐え切れなくなった桃太郎が絶叫するように叫んだ瞬間、その顔を見上げた母鬼が大きく目を見開いた。
「──あなた、桃ちゃん……?」
「──……っ!?」
自身の名を親しげに呼ぶ母鬼の言葉に驚愕した桃太郎は絶句した。
「──そうだわ……あなた、桃ちゃんよ……! ねぇ、私よ……! ──覚えてるでしょう……!?」
母鬼の訴えに桃太郎は激しく動揺した。その母鬼の顔──右の額から一本の赤い鬼の角が生え、瞳は鬼特有の黄色に染まっているが──しかし、その顔つきには確かに"見覚え"があった──。
「──黙れッ──私に鬼の知り合いなどいないッッ──」
「──花咲村の"おはる姉ちゃん"よ……!」
声を荒げて"見覚え"を受け入れることを拒絶した桃太郎に向けて放たれた母鬼の言葉──。
その瞬間──10年前、故郷の花咲村でよく遊んでくれた近所に住む若い女性──海を背に太陽に照らされながらこちらを振り返る"おはる姉ちゃん"のハツラツとした明るい笑顔が桃太郎の脳裏を強烈に駆け抜けた──。
「──ッッ──アアアアアアアアアアアアッッ──!!」
喉が張り裂けんばかりに絶叫した桃太郎は、激しく顔を歪めながら、母鬼──"おはる姉ちゃん"と、その体に抱かれた鬼との間に産まれた赤子を〈桃源郷〉の聖なる刃で同時に深く、切っ先が床まで届くほどに深々と刺し貫いた。
「──私にッ……! 私にッ……! こんな──! こんな惨いことを、させないでくれェぇ……ッッ!」
桃太郎は震える声でうめく様に叫ぶと、〈桃源郷〉の鬼殺しの刃を母子からズズズ──と引き抜いて、二人分の鬼の黒い血をゴボッ──と床に溢れさせた。
目を見開いて涙を零しながら絶命した"おはる姉ちゃん"──そしてその腕に抱かれた赤子鬼は体を丸めて完全に沈黙していた。
「……終わった……」
桃太郎はむせ返るような鬼の血の臭いが充満した部屋で一人呟くと、亡者のようなフラフラとした足取りで"奥の間"を後にした。
「……終わったんだ……鬼退治……終わった……」
桃太郎は何度もそう口にしながら、鬼女の亡骸が点々と転がる静寂に包まれた鬼ノ城の廊下を歩き、大扉から広場に出る。
そして、遂に大きな嗚咽の声を発しながら滂沱(ぼうだ)の涙を双眸から流し出すと、冷たい石畳の上に並べられた三獣の亡骸の前に勢いよく跪いた。
「──ぐああぁ……ッ! 帰ろう……! こんなところ、いちゃいけない……ッ! いちゃいけないんだ……ッ! ──みんなぁ……! 花咲村にッ……帰ろう……ッ!」
とめどなく溢れ出る涙を三獣の亡骸に流し落とすほどに、光を失っていた桃太郎の瞳の仄暗さが洗い流されていき、本来の濃桃色の瞳の色に戻りつつあった。
「……帰るんだ……帰る……はやく帰らないと……」
しばしの間、広場の中央で盛大に泣きじゃくっていた桃太郎がようやく落ち着きを取り戻すと、白犬、茶猿、緑雉の亡骸を両腕で大切に抱え持ち、ヨロヨロと立ち上がって歩き出した。
そして、広場に足を踏み入れた際に固く閉じられたはずの巨大な鬼門が開け放たれていることに気づいた桃太郎はかつて"御師匠様"から教わった言葉を思い返して口にした。
「……城主を失えば……鬼ノ城に掛かっているすべての鬼術が解ける……」
三獣の亡骸を抱きかかえた桃太郎は、鬼ヶ島首領であり、鬼ノ城城主である温羅が死んで効力を失った鬼門の下を潜り抜け、木船が停められている海岸へと歩いて向かった。
絶命した赤鬼と青鬼の巨体が倒れ伏す、赤い波が寄せては返す砂浜に辿り着いた桃太郎は、三獣の亡骸を木船に乗せ終え、早々に船を出そうとしたその時、あることに気づいて口を開いた。
「……っ……財宝……」
桃太郎は言ってから眉根を寄せて逡巡した──鬼ノ城の城内を鬼女を殺戮して回ったときに、確かに宝物庫らしき部屋の存在を目撃していたのだ。
「……宝……宝なんて、どうでもいい……しかし……もう、鬼ヶ島には来たくない」
宝物庫の分厚い扉は、鬼門と同じく鬼術によって封じられていたらしく、城主である温羅を失った宝物庫の扉は完全に開け放たれており、金銀の山と各種色とりどりの財宝が廊下から丸見えになっていた。
発見した際には宝のことなど頭に入らない状態だったので通り過ぎていたが──。
「……もう、二度と……此処には来たくない……ならば、船に積めるだけ……積まなければ──」
桃太郎は苦渋に満ちた面持ちでそう呟くと、宝物庫に残された財宝を取りに木船から降りて、鬼ノ城へと引き返した。
「──うう……ううう……」
鬼ノ城への道すがら、桃太郎は肩を震わせて再びすすり泣いていた。
そんな桃太郎の遥か頭上では、血の色をした不気味な赤い太陽が、鬼ヶ島の霧がかった虚空の中に無慈悲に浮かんでいた──。