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5.討ち取ったり

「──命一つ潰した程度でッッ!! ──この温羅様に勝てると思うたのがッッ!! ──大間違いよおッッ!!」


 咆哮と共に温羅の両腕が更に隆起し、極限まで張り上がると、圧迫される桃太郎の体はミシミシ──と嫌な悲鳴を立てた。

 圧倒的に有利な温羅の状況である──しかしその実、温羅は困惑していた。

 桃太郎の体をひねり千切るつもりで両腕に力を込めているのに、まるで千切れそうにないのである──。


「──ぬ、ぬグググッッ──!!」


 仏刀によって両腕の骨に穴を穿たれた影響で、本来の"鬼の力"が発揮できていないのかと、眉間を寄せた温羅は力を込めながら考えた。

 しかし、それだけではない──この桃太郎という名の若い男の肉体には、根本的に何か常軌を逸した"超常なる力"が隠れ潜んでいるのだ──。


「──ふゥむ……興味深いッ! ──並みの人間であれば……ッ! とうにへし潰れておるぞッッ!! ──キサマまるで、"鬼の血"が流れておるようだッッ!! ──フンぬッッ!!」

「──ぐッ! ──ぐああアアアアッッ!!」


 温羅は最大限の力を一息に発して握り潰そうとしたが、それでも桃太郎は白目を剥き、叫び声を上げるだけで絶命することはなかった。

 耐え難い痛みは感じているようだが、一向に死ぬ気配がない──これは一体どういうことだと、温羅は両腕の力を抜いて緩めた──。


「──驚いたな……これでも耐えられるのか……キサマ……いったい、何者だ──?」


 両腕に力を込めすぎて疲れすらをも感じてきた温羅はそう口にすると、桃太郎の顔を己の眼前にグッ──と近づけた──そして、少しでも桃太郎という謎の若武者の正体を暴かんがために、盛大に鼻を鳴らしてその匂いを嗅いだ。


「──桃太郎……ふゥむ、なるほどな──桃色の髪から……桃の匂いがするか──そうだな、確かに──ただの人間ではないようだ」


 桃太郎の桃色の頭髪に鼻を突っ込んで、温羅は注意深く匂いを嗅いだ──ただの桃の匂いではない。何か、この世ならざる神秘的な桃の香りなのである。

 この世ならざる存在といえば、常人は立ち入れぬ鬼の領域に存在する絶海の孤島──この鬼ヶ島に似ているような。


 ──しかしその性質は根本からして全く異なる。懐かしくも暖かい──"慈悲"の感覚すら温羅は感じ取ってしまった。

 このまま嗅ぎ続けるのは"鬼ヶ島の首領"として"非常にまずい"と本能的に感じ取った温羅は、危機感と同時に多少の名残惜しさすら覚えつつ、桃太郎の頭髪から鬼の鼻を離した──。


「──桃太郎……確かに、キサマと三獣に殺された。大勢の鬼が……殺された──だが、鬼はまた増やせばよい──俺さえ生き残っていれば、鬼ヶ島は何度でも復活する──!」


 温羅は熱くなりすぎた呼吸を整えてから、白目を剥いた桃太郎の顔を至近距離で睨みつけた。


「──キサマが何者か……! "御師匠様"とやらのこと……! 気になることは多いが……! いずれにしても──」

「う……うぅ……」


 苦痛が途切れたことにより、意識を取り戻し始めた桃太郎の白目から変わる濃桃色の瞳を見て、温羅は一変して憤怒の形相に転じた。


「──俺の勝ちだァッッ──!!」

「──ガアアアアアアアアアアアアアッッ!!」


 完全に頭に血が昇った温羅。溜めに溜めた鬼の力を一気に解き放ち、鬼の爪すらも鋭く立てて、桃太郎の体を渾身の力で圧迫する。


「──侵略者・桃太郎ッッ!! ──死ねェェェエエエエイッッ!!」


 温羅が桃太郎にのみ、全神経を注いだ──この瞬間こそを茶猿は待っていた。

 仏の加護を受けた脇差〈桃月〉を小さな両手で握り締めた茶猿が石畳を駆け抜け、温羅の背後にひそかに迫る。


 そして飛び上がり、小さな体を一回転させながら、銀桃色の刃を温羅の左肩にドスン──と叩き込んだ。


「──ぬグあああああああッッ!?」


 突如として走った左肩が焼け焦げる激痛に対して、温羅は驚愕の声を発しながら桃太郎を手放す──そして、振り向き様に背中に取り付いた茶猿に猛烈な裏拳を叩き込んだ。


「──ギッ……!」


 温羅の裏拳をもろに喰らった茶猿は、甲高い悲鳴を短く上げて、〈桃月〉の柄から両手を離すと、温羅の背中から吹き飛ばされた勢いで広場の石畳に強かに全身を打ち付け、そのまま遠くへと転がっていった。

 その瞬間、桃太郎は意識を取り戻した──眼前に晒された温羅の無防備な背中、その左肩に突き刺さった〈桃月〉の柄を睨みつけると、即座に石畳を蹴りつけ、全力で跳躍して飛び掛かった──。


「……ぬゥッ!? ──ッ!! ──桃太郎ォッッ──!!」


 自身の背中に取り付いた桃太郎の存在に気づいた温羅は叫びながら巨体を振り回すが、桃太郎は〈桃月〉の柄を両手で掴むことに全身全霊を注いで応戦した。


「──悪鬼温羅ッ!! ──討ち取ったりイイイイッ!!」


 全身から白銀に光り輝く闘気を放った桃太郎が、濃桃色の瞳を光り輝かせながら天に向かって勝鬨の声を上げる。

 そして、全体重と全膂力を〈桃月〉に乗せて、鬼を殺す銀桃色の刃を勢いよく引きずり降ろし、温羅の心臓を真っ二つに寸断した。


「──ギヤアアアアアアアッ!!」


 両腕を大きく広げた温羅は、壮絶な断末魔の絶叫を張り上げながら、心臓から噴出する黒い鬼の血を天高く飛ばし、黄色い眼球をグルン──と上に向けた。

 そして、〈桃月〉の柄を掴む桃太郎を背中に乗せ、二本足で立ったまま絶命したのであった──。


「……やった……」


 全身にまとっていた闘気を霧散させた桃太郎は、〈桃月〉を温羅の肉体から引き抜くと、そのまま石畳の上にドサッ──と倒れ込んだ。


「……みんな……やったぞ……」


 満身創痍の桃太郎は、広場に倒れ伏した白犬、緑雉、茶猿の亡骸を見回しながら静かに口にした。


「……遂に温羅を……鬼ヶ島の首領を……退治したんだ……」


 桃太郎はゆっくり立ち上がると、広場に転がる三獣の亡骸を一体一体、丁寧に拾い上げ、広場の中央に並べると、正座をして涙を流した。


「みんな……やったんだ。みんなで、やったんだ……」


 桃太郎は膝の上で握り締めた両拳を震わせ、ボロボロと大粒の涙を零しながらお供の三獣に勝利を報告した。


「──犬……苦しかったよな……何度も鬼に殺されて……でも、お前は見事に八天鬼を一網打尽にした……誰も疑いようがない……お前は間違いなく、日ノ本一の霊犬だ……よくやった。お前がいなければ、鬼退治はそもそも不可能だったんだ……ありがとうな」


 桃太郎は、大役を終えて穏やかな顔つきで目を閉じる白犬の亡骸に感謝の言葉を告げると、次いで、緑雉の亡骸を見た。


「──雉……お前は私の立てた作戦を忠実に実行してくれたな……それに温羅への奇襲。私が……そうだ、私があのときわずかに視線を動かしてしまったせいで……雉……すまない。だが、言わせてくれ……長い間一緒に戦ってくれて、ありがとう……」


 桃太郎は、道中の鬼退治で多大な活躍を果たした緑雉に侘びたあとに感謝の言葉を述べた。そして、茶猿の亡骸を見る。


「──猿……お前は臆病で、だけど誰よりも優しいやつだったな……それなのに……何だ、あの最後の動きは……お前、あんなことが出来たのか……ははは……私も見事に騙された……ならばなおさら、温羅も騙されるわけだ……猿、お前が振り絞った勇気のおかげで勝てたよ……ありがとう……」


 桃太郎は温羅に対する予期せぬ勝ち筋を与えた茶猿に頭を下げて感謝すると、涙で濡れた顔を腕で拭ってから、ゆっくりと立ち上がった。


「──犬──猿──雉──」


 桃太郎は、〈桃源郷〉と〈桃月〉を両手にしっかりと握り締めると、広場の奥にそびえ建つ漆黒の鬼ノ城を見上げた。


「──そこで……待っていてくれ、私にはまだ──"殺ること"があるから──」


 今までと打って変わって冷徹な口調に切り替わった桃太郎は、三獣の亡骸に背を向けてそう告げると、濃桃色の瞳にフッ──と暗い決意の色を浮かべた。

 そして桃太郎は、"鬼"を殲滅する覚悟と共に、仏刀二刀流の状態で鬼ノ城の城内に続く黒い大扉へと確固たる足取りで歩き出した──。

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