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4.首領温羅

「──ふッ、ふざけんじゃねェ──ッ!」


 温羅は、よだれをだらだらと垂らしながら黄色い目を見開いてわめくと、よろつきながら膝を立てて立ち上がった。

 その様子を横目で見た桃太郎は、白犬の頭から手を離して静かに立ち上がる──そして、まだ生きている温羅の姿を見ながら口を開いた。


「──御師匠様のおっしゃられた通りだな──」


 桃太郎の言葉を受けて、温羅の顔が憎々しげに歪んだ。


「──おししょう……だとォ?」

「──悪鬼温羅、お前は命を二つ持っている──それゆえに、お前だけは"二度"殺さねばならない」

「……な……なぜ、俺の秘密をッ──!?」


 温羅が驚愕する中、桃太郎は〈桃源郷〉を両手で構えると、全身から白銀する闘気を放ちながら静かに宣言した。


「──私が、"ただの獣"を率いて鬼ヶ島に来たと思ったか?」


 桃太郎は静かに、しかし力強い熱を込めて温羅に向けて言葉を発した。


「──この猿は、鬼によって殺された者を蘇生する能力を持つ──」


 桃太郎の言葉を受けて、温羅は黄色い僧衣をまとった茶猿を見やった。


「──この雉は、鬼の急所を狙いすまし、的確に攻撃する能力を持つ──」


 温羅は視線を動かし、赤備えを装着した鋭い眼光の緑雉を見やった。


「──しかと聞けッ! ──この犬は、ただの犬ではないッ! ──恐山の大イタコが飼っていた霊犬であるッ!」


 桃太郎は叫ぶ。温羅は八天鬼を一度に葬った恐るべき白犬の亡骸を憎々しげに睨みつけた。


「──しかと聞けッ! ──この猿は、ただの猿ではないッ! ──高野山の大僧正が飼っていた祈り猿であるッ!」


 桃太郎は更に叫ぶ。茶猿は事切れた白犬に寄り添うと、その体を慈しむように優しく撫でた。


「──しかと聞け! ──この雉は、ただの雉ではないッ! ──武田軍の大将軍が飼っていた戦雉であるッ!」


 三獣の名誉を代弁した桃太郎の雄叫びは広場中に響き渡り、呼応するように緑雉が"ケェェェン"と高らかに鳴きながら翼を大きく広げて天高く飛翔した。


「──そして、私の名は桃太郎ッ! ──鬼ヶ島に棲まう、すべての鬼を退治しに来た者だッッ!!」


 桃太郎は盛大に名乗りを上げると、残る一つの命を斬り取るため、鬼ヶ島の首領・温羅に向かって駆け出した。


「──掛かって来い──桃太郎ッッ!!」


 武器を持たない温羅は、鋭い鉤爪が煌めく野太い両腕を大きく広げ、真正面から向かってくる桃太郎を迎え撃とうと待ち構える。


「──フッッ!!」


 それに対して桃太郎は、両手で握っていた〈桃源郷〉を右手のみに持ち替えると全力で走った勢いそのまま、トンッ──と石畳を蹴り上げ、天高く軽々と跳躍した。

 大鬼と人の圧倒的な体格差によって、温羅の腰ほどの目線だった桃太郎は、今や温羅の頭と同じ高さまでになっていた。


「──ッ!」


 跳躍した桃太郎は、空中で振り上げた〈桃源郷〉の銀桃色の刃をギラリ──と光らせて、温羅の眼前に迫って行く。


「──グラアアアアッッ!!」


 それに対して、温羅はここぞとばかりに咆哮を張り上げると、目障りな蝿を叩き落とすかのように、桃太郎の胴体目掛けて容赦なく鬼の右腕を振るった。

 鬼の爪が生えた太い腕を振るうという単純な攻撃──しかし、鬼ヶ島の首領である温羅のそれは計り知れない威力を持つ。


 まともに受ければ、並みの人間の胴体ならば容易く上下に引き裂かれるだろう。

 如何な桃太郎といえども、その攻撃をまともに受ければ致命傷となる──だが、猛烈に振るわれた鬼の右腕の先、桃太郎の体はすでにそこにはなく──。


「──ぬゥッ……!?」


 大振りの攻撃を外した影響で、勢い余って体勢を崩した温羅は、唸りながら咄嗟に頭上をグッ──と見上げた。

 その視線の先には、翼を大きく広げる緑雉の脚に捕まって上空を飛翔する桃太郎の姿があった。

 そして次の瞬間、緑雉の脚からバッ──と手を離した桃太郎は、裂帛の大声を張り上げながら温羅の頭部目掛けて飛び降りる──。


「──ヤエエェェェエエッッ!!」


 鬼を殺す仏刀──〈桃源郷〉の銀桃色の切っ先を温羅の脳天に狙いすまして──。


「──クッソガアアアアアアッッ!!」


 血走った眼をひん剥いて牙を剥き出しにした温羅は、憤怒の形相で大気を揺るがす"鬼の咆哮"を放つと、両腕を頭上に交差させて桃太郎の体重が乗った〈桃源郷〉の一撃を受け止めた。


「──ぬぐゥゥウウウウッッ!!」


 仏刀が肉を斬り裂くと、温羅が今までに感じたことのない激痛が両腕に走り、噛み締めた牙の隙間からよだれを垂らしてうめき声を上げる。

 温羅の筋肉の塊とも呼べる深紫色の太い両腕、その更に中心にある鉄棒のように硬い骨の二本までをも〈桃源郷〉は刺し貫くと、温羅の黄色く濁った目ん玉を切っ先が突く寸前でピタッ──と刃の動きが止まった。


「──チィッ……! ──届かなかったッッ!!」


 桃太郎は温羅の反撃が来る前に太い両腕に足を掛けて踏ん張ると、深々と突き刺さった〈桃源郷〉に両手の力を込めてズボッ──と素早く引き抜く。

 その瞬間──ブシャアアアッッ──と鬼の黒い血が盛大に噴き上がり、桃太郎の顔に血しぶきが降り掛かったが、桃太郎は動じることなくすぐに飛び跳ねて温羅から距離を取ると、石畳の上に着地した。


「──グゥゥゥウウッ!? ──此奴ッ、人の身でありながらッ! ──何という芸当を……ッ!」


 苦悶の表情を浮かべた温羅は、両腕に穿たれた穴から噴き出す黒い血を止めるために、腕に力を込めて抑えようとした。


「──ぬンッ!」


 温羅が気合を込めて一息発すると、張った筋肉がモリモリ──と隆起して穴を塞ぎ、瞬く間に出血を止める──。

 しかし、いくら出血を止めようとも、仏刀によって両腕の骨に穿たれた穴は治すことが出来ず、温羅はジリジリ──と骨が焼け焦げるような激痛に顔を歪めた。


「──血は止まったが……! ──ぬゥんッ……! ──焼けるようだ……! ──焦げるようなこの痛み……ッッ!! ──キサマッ! ──その仏刀、いったいどこで手に入れたッッ!!」


 温羅は距離を取った桃太郎が両手で構える仏の加護を受けた鬼殺しの刀──〈桃源郷〉を睨みつけながら叫んだ。


「──そうか……"御師匠"! ──キサマ、御師匠と言ったなッ! ──そいつがキサマに入れ知恵をしたのだな……!」


 温羅は自分の命が二つあるという、自分と八天鬼しか知らないはずの秘密を桃太郎が知っていたことが不快でならなかった。

 そして、その時に桃太郎はこう言ったのだ──"御師匠様のおっしゃられた通りだ"と──。


「──鬼ヶ島に来る方法ッ……! ──鬼の体を焼き焦がして断ち斬る刀ッ……! ──その三獣もそうだッ……! ──その御師匠様とやらが、キサマに寄越したのだろうよォッッ!!」


 温羅の言葉を受けて、桃太郎は深く息を吸った──そして、倒れ伏した白犬、数珠を付けた手を添えて悲しそうにその隣に侍る茶猿、上空を旋回する緑雉を見た──。


「──この三獣は……子供のころから私と寝食を共にし、私と共に鍛えられた……お婆さんが握ってくれた吉備団子を食べながら、鬼退治の日が来るまで──そう、今日という日が来るまで……!」

「──そうかい……! そいつはご苦労なこったなァ……! ──残念だったなァ! 大切な犬っころがおっ死んじまってよォッ! ──でもよォッ! こっちはそいつに八天鬼ヤられてんだァッッ!!」


 桃太郎の真剣な眼差しで発せられた言葉に対して、温羅は嘲笑と憤怒を込めた怒声を張り上げた。

 そんな恐ろしい声を耳にしながら桃太郎は、ほんの一瞬、わずかにだけ目線をチラリと上げた──。


 そのちょっとした動作を温羅の"鬼の目"は見逃さなかった──。

 滑空音もなく、静かに、上空から緑雉が急降下する。脚に括り付けられた太刀を温羅の首筋に向けて──。


「──二度同じ手を喰らうかァァッッ!!」


 温羅は咆哮すると、天に向かって右拳を突き上げた──そしてそれは、緑雉の脚に括り付けられた太刀を粉砕し、緑雉の胴体をも殴り貫いて粉砕した。


「──ケェェェエン……!」


 緑雉は開かれた黄色いくちばしから鮮血を吐き出しながら甲高い鳴き声を上げると、飛ぶ力を失って冷たい石畳の上にドサッ──と落下した。


「──雉ィッ!」

「──鳥の心配なんざァッ! ──してる場合じゃねぇぞォッ──」


 桃太郎が絶命した緑雉に向かって叫ぶのと、全速力で駆け出した温羅が眼前に迫ってくるのは、ほぼ同時だった。

 ──桃太郎は侮っていた──鬼ヶ島の首領は、力は強いが動きは鈍いのだろうと──。


「……ッ!?」


 そんなことは全く無い──体勢を低くして、まるで岩石が山の頂上から落下してくるような猛烈な速度で温羅は桃太郎に急接近していた。


「──捕まえたゼェエエエッッ!!」

「──うぐッッ!?」


 そして温羅は躊躇なく、即座に両腕で桃太郎の胴体をガッチリと拘束すると、万力のような剛力で握り締め、自分の顔の高さまでその体を持ち上げた。


「──ガァァァアアアッッ!!」


 桃太郎は筋肉が張り出した野太い鬼の両腕による強烈な圧迫によって一瞬で白目を剥き、口から血を吐き出しながら絶叫した。

 体内の酸素が次々と吐き出され、温羅はそんな桃太郎を更にキツく締め上げながら満面の笑みを浮かべる。


「──ずいぶんとォッ! ──好き勝手やってくれたなァ! ──オイイイッッ!!」

「──がッガあッッ!! ──グあッ!! ──がああアアアッッ!!」


 温羅の嗜虐的な嘲笑が込められた声に対して、桃太郎は為す術なく白目を剥いて鬼ヶ島の不気味な赤い空に向けて絶叫する他なかった。

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