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3.八天鬼

「──アラ──メラ──グラ──ハラ──ガラ──ヌラ──ゼラ──ネラ──」

「……ッ」


 突如として温羅の不気味な詠唱が広場に響き渡ると、黒い石畳の亀裂が妖しく光り始め、桃太郎の背筋に寒気が走った。

 紫色をした怪光が広場の中央に八重の円を描いて光り輝くと、八方向に迸り、石畳に刻まれていた梵字を次々に浮かび上がらせた。


「──アラ──メラ──グラ──ハラ──ガラ──ヌラ──ゼラ──ネラ──」

「……これは──これは、鬼の名だ……!」


 辺りを見回して紫光する八つの梵字を確認した桃太郎は、温羅が詠唱する言葉の意味に気づいて思わず叫んだ。


「──荒羅──滅羅──愚羅──波羅──餓羅──怒羅──絶羅──燃羅──今ここに顕現せよッ! ──八天鬼ィイイイッッ!!」

「……ッ!?」


 温羅の雄叫びを合図にして上空で雷鳴が轟くと、天から八本の紫光する稲妻が降り注ぎ、八つの梵字それぞれに命中する。

 稲妻が命中した梵字が桃太郎の目を眩ませるほどの閃光を放つと、それぞれの梵字の上に鬼の角を持つ巨大な影が浮かび上がった。


「──八体の、鬼……!」


 瞠目しながら声を上げた桃太郎。広場の中央に立つ桃太郎とお供の三獣を取り囲むように八つの梵字の上に立つ、八体の大鬼。

 それもただの大鬼ではない。見るからに異質にして、それぞれに装いが異なり際立った特徴がある。


 大小の刃を全身に備えている鬼、痩せ細りながらも手にした肉を喰らい続けている鬼、全身から炎を噴き上げている鬼。

 それは、鬼ノ城に辿り着くまでに桃太郎一行が退治してきた鬼とは明らかに異なる屈強にして強靭な──"特級の鬼・八天鬼"であった。


 八天鬼の姿を見回した桃太郎は思わず息を呑んだが、気合を入れ直して白鞘に添えた手に力を込める。

 三獣もそれぞれ異なる方角を向いて、取り囲むように現れた八天鬼に対して唸りながら懸命に睨みを効かせた。


「……こいつらが八天鬼か──御師匠様のおっしゃられていた通りだ……」


 桃太郎が呟いたその時──鬼ノ城の扉が勢い良く左右に開かれ、城内から深紫の肌をした岩石のような隆々たる筋肉を持つ大鬼がヌゥッ──と姿を現した。

 そして、ギラつく黄色の眼光を桃太郎に向けながら、その鬼は豪然と宣言した。


「──日ノ本各地に散らばっておった特級の鬼・八天鬼を──今ここ、鬼ヶ島に招集した」


 その鬼──悪鬼温羅は、円陣を成す八天鬼の背後に仁王立ちし、不敵な笑みを浮かべた。


「……悪鬼温羅──ようやく姿を見せたな」


 右側に四体の特級鬼、左側に四体の特級鬼、そして鬼ノ城の前に立つ悪鬼温羅が一体。

 計九体の鬼ヶ島を代表する強靭な大鬼が桃太郎一行を包囲しているこの絶望的な状況下にあって、桃太郎は冷静な声で告げた。


「──桃太郎。良いことを教えてやろう。城外の鬼はすべてが雑魚──この八天鬼こそが鬼ヶ島の主力。歴戦の悪鬼どもよッ!」


 温羅が丸太のように太い両腕を広げて天に向かって咆哮する。その両手には鋭い黒爪がギラリと光り、温羅が武器を持たない理由が否応なしにわかった。

 己の肉体こそが凶器である温羅の雄叫びに呼応して、桃太郎一行を取り囲む八天鬼もまたそれぞれに唸り声や笑い声を張り上げた。


「──特級の鬼はこれがすべてか……? ──温羅、お前も含めて九体ですべて、そうだな?」

「──ハッ! そんなことを知ってどうするよ──桃太郎ッ!」


 温羅は"鬼の目"をこれでもかと大きく見開き、桃太郎の問い掛けを一笑に付した。


「──では、城内にいるのは……?」

「──城にいるのは俺たちの女だ! そして、鬼ヶ島の次代を担う子鬼ども! ──キサマを通せぬ理由が俺にもあるのよッ!」


 桃太郎は温羅の背後、鬼ノ城を見上げながら問いただす。それに対して温羅は牙を剥き出にして叫び返した。


「──俺たちの女、だと……? 元は日ノ本各地からさらって来た──罪なき村娘だろうに……!」


 桃太郎は鬼ノ城から視線を下げると、城を護るように仁王立ちする温羅を嫌悪の眼差しで睨みつけながら叫んだ。


「──鬼ヶ島のモノを喰べ、鬼ヶ島で暮らすと鬼になると聞いた……! ──もう人には戻れないとッ!」

「──そうよ! 今では立派な鬼女だッ! 子鬼を産み育てッ! 共に人間どもに対する残虐を味わうッ! ──立派な鬼ヶ島の同胞よッ!」

「──抜かせッ──外道ッッ!!」


 温羅が発する言葉の数々に対して、桃太郎は激昂し、強い憤怒を込めて叫んだ。


「──外道で結構ッ……! ──それが我ら鬼の性分よッ!」

「──悪鬼温羅ッ──死すべしッッ!!」


 胸を張りながら悪びれることなく大声を張り上げた温羅に対して、桃太郎は腰の白鞘から〈桃源郷〉をスラリ──と引き抜きながら怒声を発した。


「──その刃ッ? ──鬼を殺したのはその仏刀だな……! ──八天鬼どもッ! 油断するなッ! ──全員で桃太郎に取り掛かれッ!」


 銀桃色の刃を持つ〈桃源郷〉を見た温羅は、一見して鬼の心臓を破壊することが可能な仏刀だと見て取り、八体の特級鬼に発破を掛けた。

 その声を合図にして、各々の武器を構えて一斉に桃太郎一行に襲いかかろうと駆け出した鬼の群れ。

 桃太郎はそれらを睨みつけながら小さく口を開く。


「……もっと近づけ──悪鬼ども……」


 次々と広場の中央に向かって集まってくる八天鬼──次の瞬間、桃太郎は手にした〈桃源郷〉の切っ先を天高く掲げて、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。


「──犬ッ! 今だァッ! ──ヤレェェェエエエエエッッ!!」

「──ワオオオオオオオオオンッッ!!」


 桃太郎の天に向けて発せられた雄叫び、それに呼応した白犬の激しい遠吠え。

 広場全体に遠吠えが鳴り響くと、曼荼羅が描かれた蒼い法衣が青い閃光を発し、白犬の全身から青い稲妻が一気に発せられた。

 その稲妻はバチバチ──と激しい音を立てながら白犬の体から飛び出すと、鬼ヶ島の赤い空に真っ直ぐ伸びていった。


「何だ……!?」


 青い稲妻が打ち上がった空を見上げて温羅が声を上げる。突然の事態に思わず足を止めた八天鬼も一体何事かと空を見上げた。

 一瞬の沈黙──まるで何事も無かったかのような静寂が広場を包み込むと、霧が覆う鬼ヶ島の空が青く輝き出した。


 ──ドドドドドッ──!!


 霧の中を幾本も走る青い稲光と共に太鼓のような雷鳴が轟くと、一本の巨大な青い稲妻が白犬目掛けて降り注いだ。

 降り注いだ稲妻は、白犬が自ら発したものとは桁違いの青い"極光"を発すると、次いで飛び散るように九本に分かれて白犬の体から飛び出した。


「──まずい……ッ!」


 いの一番に叫んだのは、白犬に一番接近していた片手に肉切り包丁を持った痩せた八天鬼・餓羅であった。

 身軽な餓羅は八天鬼の中でも俊敏性に自信がある鬼であった。


 自分に向けて飛来する青い稲妻から逃げようと即座に身をひるがえしたが時既に遅し──。

 青い稲妻は黄土色の背中から入り込んで餓羅の心臓を槍のように刺し貫いた。


「──グゥっ!? ──おいの、心臓がッ……! ──グゥゥゥウウッッ!?」


 餓羅が青く輝く槍に刺し貫かれた己の左胸を見ながらうめき声を上げた。

 その光景を見た他の八天鬼は、自分に向けて高速で迫り来る青い稲妻に視線を戻すも為す術がなかった。


「──ぬゥッ!」


 紺碧色の肌をした波羅は得意の水の鬼術を用いて、前方に突き出した両手の平に分厚い水の盾を作り出した。

 しかし、青い稲妻の槍はいとも容易く通り抜けると左手の平に突き刺さり、そこから更に突き進んで左胸の心臓に突き刺さった。


「──グガアアァァアアッッ!!」


 波羅は初めて味わう激痛に黄色い鬼の目を剥き出しにしながら断末魔の声を張り上げた。


「──ギィイッ! ──握り、潰されッ! ──グオオオオッッ!!」


 八天鬼の中でもひときわ筋肉量の多い荒羅に飛来した青い稲妻は、槍ではなく手の形となって左胸に突き刺さった。

 一本角が伸びる赤い頭に太い血管を浮かべた荒羅は鉄板のような分厚い両手で稲妻を掴み、咆哮しながら引き千切って破壊しようとする。


「──ぬンッ! ──グラァアアッッ!!」


 しかし、それよりも早く稲妻は荒羅の心臓を締め付けて容赦なくグチャリ──と握り潰した。

 このように、白犬の体から伸びた九本の青い稲妻は、八天鬼の心臓を次々と狙い、着実に仕留めていった──それは鬼ヶ島の首領・温羅とて例外ではなかった。


「──ぐ……グゥゥウウウ……! ──グガガッ、ガガアアッ……!」


 広場の石畳に片膝をついた温羅は、苦悶の表情を浮かべなら自身の心臓を抑えて、牙の間からよだれを垂らしながらうめいた。


「──ギザマ……! ギザマの犬……ッ! ──いったい何をしやがったァ……!」


 温羅以外の特級鬼はすべて絶命して倒れ伏している広場。温羅だけが桃太郎を憤怒の形相で睨みつけて声を発した。


「──犬……ありがとう。お前の命、決して無駄にはしない」


 しゃがみ込んだ桃太郎は、黒く冷たい石畳に四肢を投げ出しながら目を閉じて倒れる白犬の頭を愛おしそうに撫でつつ呟くように言った。


「──"犬身御供(いぬみごくう)"……この犬は、自分の命と引き換えにして、天界より"神雷"を招来し──鬼に殺された数だけ、鬼を殺す能力を持つ──」


 白犬の体からは瞬く間に体温が失われていき、尊いその命を完全に使い切ったのだと桃太郎の手のひらに伝えた。

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