「おはようございます」
「おはよう。ようやくまともな挨拶ができるようになってきたな。俺の教育的指導のおかげだ」
「スーさんのあれは教育的指導という名のパワハラでは」
ぎろり、と睨まれるが、もうスーさんも私の遠慮のない発言に、いちいち突っ込むのをやめたらしい。
「あの、スーさん。ずっと気になってたんですけど」
「なんだ」
「いっつも眉間の皺がよってます。若いうちからそれをずっとやってたら、皮膚にその皺が刻み込まれて、ジジイ感が増してしまいます。せっかく顔はかっこいいんですから、気をつけたほうがいいです」
「余計なお世話だ! さっさと仕事を始めろ!」
「あ、すみません」
カッと顔だけでなく耳まで真っ赤に染めたスーさんに、首根っこを掴まれロッテンベルグ門の方をむかされる。そんなに怒らなくてもいいのに、と思いつつ。なんだかこのやりとりも楽しくなってきている自分がいた。
「201番、115番、109番……あ、あの青い帽子の人、今日手配書が回ってきた人です。411番」
監視を始めて早々、手配されている人物と一致する顔ぶれが、門にやってきた。あまりに次々出てくるので、頭の中のファイルをめくるのも一苦労である。
「本当にすごいね、セイラちゃん。門番長、全部手配書と一致してます。大漁ですよ」
マツゲさんは門番たちに指示を出しながら、これまで確認した手配犯の情報をファイルで確認している。
引き続き視線を巡らせれば、妙に門番たちがザワザワし始めたのを感じた。
(んん? なんか有名人でもきたのかな?)
「あっ、スティーヴィーさーん!!」
突然甘ったるい声が門の方から聞こえて、見張り台から下を覗き込む。審査を待つ女性の一人がスーさんに向けてぶんぶん手を振っているのが見えた。
「スーさんの彼女ですか?」
咄嗟に思ったことを口にすると、スーさんは勢いよく否定する。
「違う!」
すると私たちのやりとりが聞こえたのか、彼女は不貞腐れたような顔を作る。
「彼女にはしてくれないんですかあ」
「黙れ! しょっぴくぞ!」
「冷たあい」
彼女はカラカラと笑った。
ふっくらと盛り上がった胸に、くびれた腰、程よく大きさのあるヒップ。色気のある顔立ちに、滑らかな金色の長髪がとても似合う。門番たちは皆彼女に夢中で、少しでも気を引こうと声をかけていた。
「あれは誰ですか」
彼女に視線を定めたままそう問えば、スーさんが答えてくれる。
「ああ、毎月マーケットに出店している、メリバスのワインのギルドの人間だったはずだ。マリーと言ったか。ったくあいつら、毎度毎度鼻の下を伸ばしやがって。おい! ちゃんと仕事しろお前ら!」
「メリバス……」
確かあの、古くて不正確なヘテルがある町だ。
「あら、新人さん? かわいい!」
スーさんの怒鳴り声が聞こえたのか、彼女がこちらに微笑みかけてきた。
「私マリーっていうの。ねえ、お名前は」
「……ねえ、スカーフ暑くないですか」
「えっ」
「それに、あなたが所属するギルドの人たち、みんな作業のために半袖なのにあなただけ長袖です。今日、気温が結構高いのに。これからあなたもその木箱を運ぶんですよね。とったほうがいいんじゃないですか、スカーフ」
「いいのいいの、これ、気に入ってるし! それにね、このスカーフは綿だから、よく汗を吸うの」
それだけ言うと、私との会話を早々に切り上げて、彼女は担当の門番の方に向き直る。
「相変わらず空気が読めないな、お前は。会話が不得手というか。まったく噛み合ってなかったぞ」
「疑問に思ったことを聞かずにはいられない性分なんです」
見張り台の手すりに肘をつき、彼女の様子を注視しながら、考えをまとめる。
「スーさん、彼女の所属ギルドの登録番号をご存知ですか。犯罪者じゃなくても、通関手続きをする際に使う登録番号ありますよね。関税の支払い証明とかに記載されてる」
この国で主要都市に商品を持ち込んで売る際は、各領地にある納税事務所で、先に関税の支払いを済ませ、証明書を発行してもらう。その証明書を門で確認した上で、通行を許可する。
支払い管理のために、ギルドであれば固有の登録番号があるはずなのだ。
「調べればわかるが、お前じゃないんだから、そんなすぐパッとは出てこないぞ」
「そうですか。じゃあちょっと聞いてきます」
「おい、こら! 今は見張りの仕事中だろうが!」
私は見張り台から駆け降りると、彼女が門での手続きを終えていなくなったタイミングを見計らい、担当した門番に話を聞いた。
「なんだ新入り、お前もマリーちゃんが気になってんのか? 競争率高えぞ。俺も狙ってるし」
「私、女なんですけど」
「え、お前女だったの?」
何度このセリフを聞いたことか。やっぱりマツゲさんは特別らしい。遊んでそうだし、そっち方面のアンテナは鋭いのかもしれない。
うんざりしつつも「そんなに私が男に見えますか」と問えば、「顔が見えないから判別できない」と言われた。
やっぱり髪を切るべきなのだろうか。気が進まないけど。
「マリーちゃん」のギルドの登録番号を確認した私は、とりあえず見張り台に戻ることにした。番号さえ確認しておけば、彼女の名前も情報も忘れることはない。
本当はこのまま資料室へ行って、この番号に紐づく情報を片っ端から調べたいところだったが。そうもいかない。今の私の仕事は、あくまで『見張り番』である。
「お前はまた興味のままに動きやがって。自分の仕事を放棄するんじゃない」
鬼瓦みたいな顔をしたスーさんを前に、謝るべきか迷ったけれども。どうしても先に用件を伝えたくて、口が勝手に動いてしまう。
「私、よく抜けてるって言われるんですけど。数字関連の記憶と、勘だけは冴えてるって言われてるんです」
監視をしながら、スーさんに向かってそう言った。
本来ならここで雷が落ちるところなのだが。チラリと横目で見れば、これまでの実績を認めてくれたのか、スーさんは怒りを引っ込め、思案顔になっている。
「彼女が気になるのか?」
「調べてみないとなんとも言えません。ただ、違和感があるというか、とにかく気になるんです。まだ言葉にできないんですけど」
「……そうか、何かあれば知らせろよ」
その言葉を聞いて、私は勢いよくスーさんの方をむく。おどろいたスーさんは、一歩ぶん後ずさった。
(最近の手配者の傾向とか、確保されている手配者の情報も踏まえて私の意見を話したい……勇気を出して誘ってみるか……)
「あの、えっと。ここじゃあちょっと、話しづらいことで、スーさんに話したいことがあるんですけど。あの、仕事後に二人きりでお会いすることって、できませんか……?」
「二人きり……?」
普段空気の読めない暴言ばかり吐いているせいか、とても警戒されている。
上司を仕事外の何かに誘うなんていう経験は初めてだったので、ちょっと挙動不審だったのもよくなかったのかもしれない。
落ち着きなく前髪を押さえつけながら、何とか誘いにのってもらおうと瞳をキョロキョロと動かし、適切な言葉を探る。
「はい。誰もいないところで、二人きりで話したいんです……」
チラリ、とコワモテ上長の顔を覗き見る。
すると、さっきまで疑惑の眼差しをしていた顔が何かを確信した顔に変わり、なぜか一気に赤みを増していた。
「お前……職場でそういうのは、ちょっと」
「ダメでしょうか……?」
さっきよりガードが緩んだのを感じとり、一気に畳み掛ける。
目指すは、餌をねだる猫の顔真似である。
口元を押さえたスーさんは、なぜか左右確認をすると、少し屈んで私に話しかけてくる。
「明日の夜、空いてるか」
「はい! 空いてます! あ、でもお会いする場所の調整があるので、お昼に確認してから確定させてください」
喜びを全面に出した表情をすれば、スーさんはなぜかたじろいだ。
直近の日程で話せるならありがたい。何しろ、嫌な予感がプンプンするのだ。