ベルサイユ宮殿のごとき建物を前に、私は足がすくんでいた。
「うへぇ。凄まじい豪邸ですね」
「豪華すぎる。もっと簡易的な場所でよかったのに」
スーさんは心底不満そうな顔でその場に佇んでいる。いつもの制服とは違い、黒いピシッとしたタキシードのような正装を着ている。
「まあそれは流石に、貴族のご令嬢を迎えるにはちょっとアレだったんじゃないですかね」
「……面倒だな」
彼の両親が持つ領地は、ロッテンベルグ門からはかなり離れたところにあるのだという。仕事上、どうしても領地でのパーティなど無理だというスーさんに、玉ねぎ夫人は首都にあるこの迎賓館を貸し切ったそうだ。
宰相の妻である玉ねぎ夫人は名前をアマンダと言いい、スーさんは子どもの頃からこの叔母には頭が上がらないらしい。彼女の執事は見事な手腕で、最短の日程で開催まで漕ぎ着けた。
令嬢たちとの顔合わせは、この迎賓館のローズガーデンで開くことになっている。いわゆるガーデンティーパーティというやつだ。庶民の引きこもりには眩しすぎるシチュエーションに、私は目をシパシパさせてしまう。
「おいこら。せっかくセットした前髪を崩すな」
「だって目の前がスースーするんですもん。視界が開けている髪型がどうも苦手で」
「しかしお前、そういう格好をしていると、ますます女に見えないな」
「それ、褒め言葉じゃありませんからね。セクハラですからね」
「だからなんなんだセクハラとは」
よく言えば王子様風に仕上がっているスーさんに対し、スーさん付きの執事を演じる私は黒い執事服を着ている。髪は後ろにまとめられ、前髪は上げられているため落ち着かない。
「二人とも、そろそろお客様方が到着するわ。エントランスでお出迎えするわよ」
今日の会の取りまとめをしている玉ねぎ夫人が、テキパキと指示を出している。本来こういうのは両親がやるものなのではと思ったのだが。スーさんの親はあまり縁談に関心がなく、本人の好きにすれば良いというスタンスらしい。だが叔母は性格的にそれを許せず、ことあるごとにこうしてスーさんを縁談の場に引っ張り出すのだそうだ。
「うわー、キラキラ、異世界ぃ~。今すぐ帰りたーい」
むせかえるほどのバラの香りの中。白いリボンに飾られたガーデンアーチの前で来客誘導をしていた陰キャの私の緊張は、最高潮に達していた。
「なんだ、あんなに乗り気だったのに」
うんざりしているのを仮面で隠したような表情のスーさんが、嫌味ったらしくそういった。
「陽キャばっかりの場所は苦手なんです。もっと閉鎖的な部屋で、鹿おどしカポーンとかいってる中で、スーさんに囁き女将すればいいのかと思ってたんですもん。まさかこんなクソ上品なパーティーとは思わないじゃないですか」
「相変わらずお前が何を言ってるのかさっぱりわからん」
来客への挨拶を終え、それぞれが席につけば、アフタヌーンティーが振る舞われる。客たちが一息つき、歓談の時間に入って早々、レモンみたいな鮮やかな黄色を纏った令嬢が、玉ねぎ夫人に連れられてやってくる。
「エミリー・ブライヤ、20歳で、趣味は香水作り。友人たちにもプレゼントしたりしているそうです。好みの男性は、女心のわかる穏やかな男性。なお、一番好きな花は薔薇で、香水もよく薔薇系のものをつけているそうです」
脳内に記憶されたエミリー・ブライヤのプロフィール情報を、私はスーさんだけに聞こえるように読み上げた。
「分かった」
私に向かって頷いたスーさんは、普段のぶっきらぼうな表情を引っ込め、紳士的な笑顔でエミリーに接している。
「こちらの迎賓館はバラの栽培に力を入れているそうで。ちょうど満開の時期にこうして皆様と楽しむことができたことを嬉しく思っています。花はお好きですか?」
(おお、プロフィール情報をちゃんと聞いてるから、相手の趣味に合わせた会話ができてますね! これはいい感じなんじゃないですかー?)
「ええ、特に私はバラが大好きですの。侍女たちとの香水合わせでもバラの香水をよく使っておりますわ」
香水合わせという遊びがなんだかわからないが。会話は順調なキャッチボールを見せている。さっさと1人目とくっついてくれないかな、と思っていたのだが。
「しかし今日はバラの香りがあまり感じられませんね。どこからか漂う悪趣味な香水の匂いのせいでしょうか。自然な花の香りは好きなのですが、それをあえて煮詰めて、他の香りと混じり合わせたような人工的なものはどうにも好きになれなくて。つける人間の気が知れません」
スーさんは鼻をつまむような動作をして、チラリとエミリーを見た。
「まあっ……!」
顔を真っ赤にし、不快感をあらわにした令嬢は、ズンズンとスーさんから遠ざかっていた。口をぽっかりと開けたまま、しばらくその様子を眺めていたのだが。私は慌てて小声でスーさんに話しかける。
「ちょ、ちょっと。凄まじい顔で玉ねぎ夫人がこっちを見てますよ?! 何やっちゃってるんですかスーさん!!」
この人は、対女性に対してのコミュニケーションスキルが壊滅的に欠落しているのだろうか。それとも単に今の女性が気に食わなかったのだろうか。
「玉ねぎ……? ああ、アマンダ叔母上のことか。数字に紐付かない情報はほんっと覚えないな、お前。気にするな、お前は引き続き、俺に令嬢たちのプロフィールを教えてくれればいい」
清々しい笑みを浮かべるスーさんを見て、私は確信した。
彼は私が覚えた情報をもとに確実に悪印象を植え付け、10件全ての縁談を完膚なきまでに潰すつもりなのだと。
「スザーナ・クロエ」
「ヴェロニカ・エストリア」
「マールディア・ポラリス」
予想通り、スーさんは令嬢がやってくるたび、言葉は穏やかながらも的確に相手のメンツをぶっ潰すような発言を繰り返していく。
ドレス選びに自信があるという令嬢には、「随分と奇抜なデザインのドレスをお好みなのですね。まるで太古の戦士のようです」と言ってのけ。
外国語に自信があるという令嬢には、わざと彼女の勉強している言語で、小難しい議論をけしかけ、流暢な発音で相手を圧倒する。
玉ねぎ夫人がスーさんの思惑に気付いたのか、積極的に介入をするも、あまりに無礼な発言の数々に、残念ながらどの令嬢とも話がまとまることはなく。途中から主催者である夫人が哀れになってしまった。
関係者にとっては阿鼻叫喚のパーティーは終了し、怒り心頭の玉ねぎ夫人と満足顔のスーさん、そして囁き執事バイトの私が残された。
「スティーヴィー。貴方もしかして、これまでの縁談も『わざと』潰してきたのではなくて?」
プルプルと拳を振るわせる夫人を横目に、私はスーさんの方へ視線を移す。
「さあ、どうでしょうね。今回はセイラがいてくれたおかげで、最短距離で目的を達成することができた、とだけ言っておきます」
「ちょ、スーさん」
責めるような玉ねぎ夫人の視線は一転私の方に向けられる。
「モジャモジャ!」
「は、はいいい!」
首根っこを掴まれ、夫人に会場の隅まで引き摺られていく。こういうところもスーさんと似てるな、と思いつつ、震える小動物の様相で私は彼女を見上げた。
「あの、えーと。私はちゃんと仕事はしましたよね?」
鉄仮面のような形相の彼女を前に、両の指先をクルクルしながら私は尋ねる。
「ええ、素晴らしい記憶力だったわ。仕事ぶりについては文句ありません。身のこなしは指導の余地がありますけども。報酬はしっかり払わせていただきます。ところでモジャモジャ、貴方お名前はなんと言ったかしら」
先ほどまで険しい顔をしていた夫人の顔が、一気に微笑みへと変わる。あまりの変わりように、私は身震いをした。とんでもなく嫌な予感がする。というか、いまさら名前の確認ですか? 散々スーさんも私の名前を呼んでいましたよ?
「セイラと申します……けど」
「そう、セイラね」
「え、えと、あの。まだ、何かお話が……? あ、バイトの件は思ったより大変だったんで、今日を限りにしていただけるとありがたいんですけど」
「あたくしの遠縁に、バルバロス子爵という方がいるのだけど。残念ながら子どもに恵まれなくて。養子がほしいと常々嘆いていてねえ」
「話の方向性がまったく見えないんですけど。その遠縁の方々が、何か私に関係あるんですか?」
「貴方、バルバロス子爵家の養女になる気はなくて?」
「え? スーさん云々はよくわかりませんけど。働かず、終日引きこもっていていいならありよりのアリですけど」
玉ねぎ夫人は扇で口元を隠し、高笑いすると。遠目からこちらの様子を伺っていたスーさんに向けて声をかける。
「スティーヴィー! こちらへ来なさい!」
慌ててやってきた彼を前にして、夫人はバシン、と扇で自分の手のひらを打つと、不敵な笑みを浮かべる。
「貴方、このモジャモジャを随分と気に入っている様子だったわね。もう、こうなったら最終手段よ! 彼女を良家に養子入りさせて娶りなさい!」
「はああああああああ?!」
「えええええええ!!」
「あら、モジャモジャ。何を驚いているの。先ほどまでは乗り気の様子だったのに」
「わ、私はお金持ちの家で優雅に引きこもり生活をできるなら養女になるのもいいな~、って言っただけで。この堅物コワモテ姑上司のお嫁さんになるなんて話までは承諾してません!」
「女に二言はなしよ、モジャモジャ」
私の腕を掴む手は、女性にしてはかなり力強い。隣のスーさんはというと、動揺しつつも今の状況をどう収めようかと苦悩している様子である。
やっぱり私は、関わってはいけない相手に関わってしまったようだ。