雑用係二日目。どんなに逃げたかろうとも、朝はやってくる。
仕事に行きたくない。正直寝ていたい。
だがそれは叶わない。働かざる者食うべからず。この世界で私を養ってくれる親族は、残念ながらいない。
私はベッドの上で最後の悪あがきをしたあと、むくりと起き上がり身支度を整えた。
「今日はお小言を言われませんように……というか、果たして仕事をさせてもらえるのだろうか……追い出されたしなあ、昨日」
昨日より少しでもマシな日になることを願いつつ、門番長室へと出勤した。
「おはようございます」
「……うむ、おはよう」
お前なんかもういらん、と開口一番言われなかったということは、とりあえず、他の部署にたらい回しにされることはないようだ。押し付けたくてもできないのかもしれないけども。
仏頂面の門番長を横目に見た。彼はカップに入ったお茶を啜りつつ、書類に目を通しているようだった。昨日と変わらず、まるでお手本のような制服の着こなしで、姿勢良く席についている。
私は掃除用具を手に取って、そそくさと外に出た。
なるべく余計なことは言わないようにしよう。人との関わりは最低限に。そうすればトラブルも生まれない。
廊下の掃除に熱中するうち、日本で働いていた時のことが思い出される。
『なんであの子、あんなに空気が読めないの?』
就職して早々、私は配属された部署の厄介者になった。
学校時代は趣味の合う友達としか付き合わなかったし、成績はそれなりに良かったので、特に不自由はなかったのだが。社会に出て「協調性」を求められるようになって壁にぶち当たった。
私は人の感情を読み取るのが苦手だ。そのためか、自分の興味のままに行動してしまう癖があり、場にそぐわない発言をしてしまう。
「ポンコツ」のレッテルを貼られた私は常に叱られてばかり。そんな自分が嫌になって、退職届を書いた。
ここでも同じような思いをするのだろうか。ため息をつき、頭を左右に振ったその時。
左肩に重い衝撃を受けて体が吹っ飛んだ。
「わあっ!」
「クッソ、邪魔なところで立ち止まりやがって」
宙を舞いながら、自分に体当たりしてきたガラの悪い男の姿が目に入る。ありふれた茶褐色の髪、スーさんよりは少し低めだが、身長は高い。顔は見えなかったが、胸元に刺青が見えた。
胸に刻まれていた番号は、「980806」。番号が見えた瞬間、私の脳裏に男の容姿が焼印のように残る。
直後硬い床に叩きつけられ、声にならない悲鳴をあげれば、今度は大きな足で背中を踏まれる。
「ひぐ!」
「うおっ!」
本来そこにあるはずのない人の体を踏みつけてしまった青い制服の門番は、その場に豪快に転がった。彼と一緒に男を追っていたらしき他の門番たちは、器用に私たちを避けて走り抜けていく。
私の背中を踏んで転んだ門番は、スーさんだった。彼は体を起こし、床に打ちつけてしまったのか膝を抱えている。
「スーさぁん、痛いんですけど」
「お前はなんでこんなところで寝てるんだ! 掃除をしていたはずだろ」
「掃除してたら見知らぬ男に吹っ飛ばされて、そのあとスーさんに踏まれたんですよ」
「ああ……そりゃ、悪かったな」
仏頂面のスーさんが、私に手を差し伸べる。遠慮なく彼の手を掴み立ち上がったところで、私は疑問をぶつけた。
「なんなんですか? さっきの人。廊下は走っちゃいけないって学校で習わなかったんですか?」
「俺がいない間に門番長室に入り込んで、金庫を開けようとしていたんだ。まあ、うちの金庫は魔法でロックをかけてあるから被害はなかったんだが。ただ姿形をしっかり確認する前に猛スピードで逃げられてしまってな。衛兵にも応援を頼んでいるが……門の外に出られたら厄介だ」
「あのー」
「なんだ」
「胸に番号の刺青があるのは、この国では珍しいことですか?」
「胸に、番号……?」
魔術師おじさんの解説曰く、私は召喚魔法で呼び出された時に、この国で使われる言葉の言語能力も付与されたのだそうだ。この国の文字も数字も日本とはまったく異なるが、読み書きはできる。
「何番か見たか?!」
すごい勢いで私の両肩に手を置いたスーさんに気圧されながらも、私は記憶にあるままを答えた。
「980806です。鎖骨の下あたりに見えました。ちなみに容姿ですが、髪の色は茶褐色、瞳の色は青で、鼻のあたりにそばかすがありました。鼻から下はスカーフを巻き付けていたので見れませんでしたが。服装が変わっても変わらない特徴といえば、それくらいでしょうか」
「でかした! 胸に刻まれた六桁の数字の刺青は、囚人番号だ。おそらく監獄からの脱獄囚だな。番号がわかれば身元がわかったも同然だ!」
興奮気味に早口で言い切り、私の頭をバンバン叩くと、スーさんは凄まじい勢いで走り去っていった。
「役に……立ったのかな?」
特に今の件について指示はなかったので、私はこのまま掃除をせよということなのだろう。痛む背中をさすりつつ、私は床に落ちた箒を手に取る。
「んん? あの部屋、なんだろ」
人の出入りがあったので、チラリと中が見えたのだが。資料室のようだ。
興味を惹かれ、箒を廊下に残し、一歩を踏み入れた。同じ制服を着ているためか、誰も私のことを気にも止めない。
(職員用の図書館かな? おもしろげな本が置いてあったりしないかなあ)
この国に引きこもり向けの娯楽は存在しない。せめて小説でもあればいいなと思い、部屋の中をうろうろと見て回る。
天井まで高さのある本棚群、年季の入った革張りのバインダーが私を出迎える。美しく整えられたその空間を、私はぽっかりと口を開けて見上げた。
(皮の色が褪せて、紙がボロボロになっているものもある。相当昔の分からあるんだな)
茶色い皮のファイルを一つ手にとって開いてみた。残念ながら小説ではないらしい。ペラペラとめくってみれば、この城門を通過した人間たちの通過記録が詳細に記載されている。
(これは……どこの誰が、いつ、ここの門をなんの用事で通過したのかが記録されているんだな)
次は別の棚に行ってみる。黒い皮のファイルを手に取り開くと、そちらは先ほどのものと様子が異なっていた。どうやら「指名手配犯」を記録したファイルらしい。
「指名手配番号100番、トマス・ヤコブ。出身地エルバ村、30歳、罪名、放火」
顔写真があるものと、ないものがある。中には似顔絵のものも。備考欄には追加情報が記載されている。番号に紐づく人の情報を見るのは好きだ。うっかり時間を忘れ、どんどん読み進んでしまう。
「おい、何をやってるんだ」
「ひゃあ!」
地響きのような低い声に、おそるおそる後ろを振り向くと、そこには目を釣り上げた様子のスーさんが立っていた。
窓の外はすでに暗くなっている。支給されている懐中時計を見れば、すでに業務終了時間を超えていた。
「あ、えーと。この資料が面白くて」
「お前は掃除をしていたはずだが」
「突き当たりまで掃除してたんですが、面白そうな資料室が見えたので。あ、すみません」
目を逸らす。またやってしまった。この言い方じゃあ、きっと謝っているのがついでみたいに聞こえる。
「資料をしまえ。通関記録に指名手配犯リスト……。なんでこんなものを」
「いやあ、ええと」
特に何か悪いことをしようとしていたわけではないのだが。コワモテのスーさんに問い詰められると落ち着きなく視線を動かしてしまう。
「お前まさかスパイか何かじゃないだろうな。さっきの奴が騒ぎを起こしてしているうちに、何か情報を盗み出そうとしていたんじゃ……」
首もとを掴まれて、宙吊りになる。この人女の子相手に乱暴すぎやしませんか。
「ち、違いますって!」
「思えばお前が報告した窃盗犯の情報も、ただすれ違っただけにしてはあまりに詳細だった。第一、すれ違った相手の囚人番号なんて、即座に記憶できるもんじゃない。本当はデタラメなんだろう」
「いや、それはあの。私、数字に対する記憶力だけは、昔から異様に優れてて」
慌ててそう言い訳したが、焼け石に水だった。
「数字の記憶力が本当だとしても、姿形の詳細まで瞬時に覚えられるわけがないだろう! もうちょっとまともな言い訳をしろ」
「いえ、あの、私、数字が含まれている文章や画像、映像なら、すぐ覚えられるんです」
「また訳のわからんことを。そんな人間がいるわけないだろうが」
「本当です。だからあの、今読んだこの指名手配リストも、もう、一冊分頭に入ってます。手配者全てに番号がふってありましたし、生年月日とか年齢とかの情報もありましたから」
「は?」
スーさんの眉毛がぴくり、と動く。
涙目になりながら、私は流れに任せて言葉を続けた。
「数字に紐づく情報は、一度読めば一生忘れません。この能力のせいか、数字が書かれた資料を見るのが好きで。この手配書も別に何か企みがあったから読んでたわけじゃないんですぅぅ……ただ興味を惹かれて……」
「ちょ、ちょっと待て、今の話は本当に本当か?」
「え、あはい」
「顔写真等の画像を含めて?」
「忘れません。数字に紐づくデータは頭の中に写真で残るんで。カメラで撮った画像のように、一度見たらずっと記憶に残ります。あ、カメラってわかりますかね? 写真があるから、カメラも、あるんですよね……?」
そこまで言うと、スーさんは私を床に下ろした。
「それが本当なら、使えるな、お前」
「え」
スーさんは、私がテーブルの上に散らばしていたファイルの一つを手にとる。
「お前が今話したことが嘘じゃないか、今からテストする。俺が言った番号の指名手配犯について、詳細を述べてみろ」
「え」
「このファイルは全部覚えたんだろ」
「あ、はい」
椅子に座らされ、威圧感しかない上長と向き合う形になった。
スーさんは、なんで急にテストなんて始めようとしたのだろうか。