魔法王国エデン歴史書『ヘルペテス朝第三篇』、異世界の賢人の章。
そこにはこう、記されている。
『さらなる国家繁栄の
◇◇◇
「え……なに……? ナニコレ、ゲーム? 私夢でも見てるの……?」
さっきまで部屋でオンラインゲームをしているはずだった。仲間たちと協力し、今日こそ瘴気の森のラスボスを倒そうと鼻息荒くディスプレイに前のめりになっていたのに。
「おお、あなたが我々に知識をもたらしてくださる賢人か……」
「は……え。け、賢人ですか?」
オーソドックスなRPGゲームの王様みたいな格好の中年男性が、金ピカの台座から降りて私に手を差し出す。
「あなたをずっとお待ちしていたのです」
「はあ……」
初対面のおじさんの手を握るのも気が引けて、そのままぼんやりと王様風おじさんを見つめていたら、気まずい空気が流れた。
咳払いをしつつ片手を引っ込めた彼は、私の姿をじっくりと観察するように見る。
煌びやかな衣装を身にまとう王様と周囲の人間に対し、私が着ているのは色褪せてくたびれ果てたパーカーと、使い古したシャカシャカ素材のジャージ。世間様にお見せするにはあまりに忍びない格好である。
「極限まで清貧を尽くしたそのお姿。誠に素晴らしい。真理を求めて厳しい修行に耐えられた宗教家の方であるとお見受けします。是非異世界の教えを……」
まったくなんの話をされているのかわからない。
(しかも清貧を尽くしたって、要するにみすぼらしいってこと?)
「あ、いや……私は……」
「お聞きしましょう。あなたの言葉は、この世界にとっての宝です」
「あの……私……」
顔面を覆う長い前髪を撫で付けながら、俯き黙りこくる。いつまでも何も言わない私に、王様おじさんは業を煮やしたらしい。少々イラつきがちに、言葉の先を促した。
「はっきりとおっしゃってくだされ」
「私、ただのニートなんですけど……」
周囲を取り囲む人々の中に動揺がはしる。「ニート」という言葉は誰もわからなかったようだけど。「ただの」という前置詞がついていることで、「取るに足らない何か」であるということは理解されたらしい。
「ニートとは?」
眉間の皺を峡谷のごとく深くした王様おじさんの顔を見て、私は身をすくめる。
「引きこもり……で、親にお金もらいながら、暮らしてる、人間、です」
想定していなかった言葉だったのか、みるみるその場の空気が険しくなる。
ついに王様おじさんは苛立ちを爆発させた。
「職業は? 職業はなにをされていたのです?」
「働いたことは……二ヶ月しかありませんけど。就職した会社、すぐ辞めちゃったんで……」
そこまで私が言い切る前に、彼はそばにいた側近らしき人の首根っこを掴み、部屋から足早に出ていった。
◇◇◇
「何か、何かあるでしょう。あなたの国で得られた素晴らしい知恵が!」
「そんなこと言われましても……」
異世界のニート代表、金剛聖良。そう私が自己紹介しても目の前の人たちは納得してくれなかった。今は豪華な応接室のような場所で、困惑をあらわにした中年男性に詰問されている。中東の織物みたいな複雑な模様の袈裟が印象的だ。
(このおじさんゲームに出てくる魔術師みたいなかっこだけど。私の左右にいる二人は騎士っぽい。この人たち誰なの?)
「あの、そもそもここってどこなんでしょう」
勇気を出してそう尋ねると、魔術師おじさんが私の疑問に答えてくれた。
「ここは、魔法の王国エデンです」
「はあ、魔法の王国。それが事実だとして、なんで私が呼び出される羽目に……」
「我が国では高度に発達した魔法により、非常に便利な生活を送ることができるようにはなっているのですが、魔法の恩恵はここ、首都メケメケをはじめとする大きな都に限られています。私たちのような『魔術師』の数はそう多くはありませんので」
「はあ……」
「それでこの国では生まれ得ない新たな知識を得るために、異世界の賢人を呼び出す計画を長年進めておりました。賢人がもたらす知識を用い、大都市だけでなく国全土に豊かさをもたらすために」
賢人、という言葉に私は首を傾げる。
「でも、私、賢人じゃないんですけど。もうちょっとこう、狙いを定められなかったんですか」
「そもそも、異世界がどんなところか、私どもは知り得ませんので……。歳若く、賢い異世界の誰か、というところまでしか絞り込みの精度が高められなかったのです」
「そんなアバウトな」
「とにかく、あなたが『賢人』でないと困るのです」
「私の立場的に」という声が聞こえてきそうな顔だ。そうとは言わなかったけど。
というかこの荒唐無稽な計画、いったい誰が思いついたんだろうか。
「いや、確かに学校での成績は上の方でしたけど。賢人、ってほどでは。それに話が見えないんですけど……」
「話が見えない、とは」
分厚い前髪を落ち着きなく額に撫で付けながら、私はモゴモゴと魔術師おじさんに向かって意見する。
「異世界の賢人なんていう不確かなものに頼らなくても。魔術師の数を増やして、各地に行き渡らせれば済む話じゃないですか、今ここで抱えてる問題って」
私が口を開くたび、どんどんこの部屋にいる皆さんの顔が険しくなっていく。
本当はもうちょっとしおらしくしていたほうがいいのかもしれないが、疑問に思ったことを黙っていられない性格の私は、ついつい突っ込んで質問をしてしまう。
すると私の問いに、おじさん魔術師は深刻な顔つきで首を横に振った。
「魔力は、血によって引き継がれます。ですから誰でも魔術師になれるわけではないのです。さらに最近は、魔力が遺伝する確率がなぜだか低くなっている傾向がありまして。結果若い魔術師の数が減少しているのです。賢人を呼び出すのは、この先魔術師が絶滅したとしても、国が衰退せぬよう、魔法に頼らない『機械技術』を発展させるため。それに魔術師の少ない地方都市などでも利用できる技術を得れば、この国はさらに発展するはずです」
「ああ、ごはんを炊く炊飯器とか、文書を作ったり保存したりするパソコンとか、そういう機械を作る知識が欲しいってことですかね」
「そう! そういうやつです! そういう、見たことも聞いたこともない機器の知識が欲しいのです。ああ、良かった。『ニート』であっても、そういう知識はお持ちなんですね!」
「あ、いや。知ってるだけで、作れはしないです。構造もわかんないし……」
しばしの沈黙のあと。
期待に満ち溢れた表情だった魔術師は、ガックリと肩を落とした。
(いや、そんな風に勝手にがっかりされても、こっちは知りませんし)
「あのー、やっぱり私では役に立たないと思うんで、元の世界に戻してくれますか? ゲームの途中だったんで……早く戻りたいんですよね」
「できません」
「は?」
パチクリと瞬きを繰り返す。
今、なんて言いました?
「あの、もう一度」
「あなたを元の世界に戻すことは、できません。少なくとも、今の私どもの魔法の技術では」
「ちょ、ちょっと待ってください。勝手に呼び出しておいて、戻せないってどういうこと?」
納得いかない。そんな理不尽があってたまるものか。
「できないんです。申し訳ないのですが」
「えええええ! じゃ、じゃあどうやってこれから暮らせば……」
泣きそうだ。まともに働いたこともない私が、こんな文明未発達っぽいところで暮らせるはずがない。引きこもりの私好みの娯楽もなさそうなのに。
「せっかくですから、働いてみては?」
「は……?」
ため息を吐きながら投げつけられた魔術師の言葉に、私は呆気に取られた。
ずいぶん簡単に言ってくれる。
(こちとら、人間関係でうまくいかなくて、新卒入社した会社を二ヶ月で辞めて引きこもってるんですけど。そんな人間に、簡単に「働け」って言わないでくれます?)
「この部屋に入る前、陛下と話をしてまいりました。王国としても、何もできない人間を養うような余裕はありません。かといって異世界人を野に放つのも考えものです。そこで、職場をこちらで用意し、我々の監視下で働いてもらうのはどうかという話になりました」
「え、いや、ちょっと」
「諸々の手配はこちらでしますから。とりあえず今日はお休みください」
魔術師がそう言って目配せをすると、左右の騎士二人が私の両腕を掴んだ。
「ちょ、ちょっと待って……!」
あわあわしながら文句を言う私の言葉など聞こえないかのように、騎士の二人は無言で私を引きずっていった。