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第四十章 かかってこいよ

 黒狼はその場に軽やかに降り立つと、足許のガイレルムを一瞥したあとで、炯々と輝くその赤い瞳をこちらに差し向ける。


「愚かなる人間どもめ。神の意志を知るがいい」

「此奴、何故……!?」


 ファリンが驚愕したようにその場で後ずさる。さすがに彼女でも、そう何度も相手をしたい手合いではないのだろう。

 とはいえ、この調子だと僕が倒したキマイラですら、もう一度くらい召喚されてきてもおかしくなさそうな感じではある。


「この世界には、三つの王国がある」


 ふと、ガイレルムがそれまでとは少し違う調子で言った。

 ローブの裾で拭われたその顔はすでに出血も完全にとまっているようで、とくに腫れている様子も見られない。

 まるで僕が殴ったことなど最初からなかったかのように綺麗なその風貌はどう考えても普通ではなく、不気味な予感に僕は背筋が冷たくなっていくのを感じる。


「我が国ジェノア=レリン、西の国ルビス=ノレス、最北の国フォルマ=ディエル。国家は数あれど、王家はこの三つしか存在しない。それは、王家が特別な意味を持つからだ」


 ガイレルムは語り続ける。


「王家には、この世界の根幹を担うシステムを護る役目があった。我々の遠い祖先が心血を注いで創り上げた、人類を救うためのシステムだ。それが何か分かるか、小僧」


 小僧――というのは、僕のことだろうか。ちくしょう、分かるわけないだろ。


「『神託』と《加護》だ」


 僕の答えを待たず、ガイレルムが告げた。


「知恵ある我らが祖先は神よりもたらされし《加護》を解析し、それをすべての人類に等しく享受できるよう創り変えた。そのためのシステムが『神託』だ。そして、そのシステムを構築するための装置……三つの『賢者の石』を護ることが、王家に与えられた役目だった」


 僕がさっぱり理解できないでいることなど気にした様子もなく、ガイレルムは一方的に喋り続ける。とりあえず、難しい顔をして理解できているふりだけでもしておくか。


「だというのに、今の王家はどうだ。貴族院の傀儡と化して執政すらまともに行えず、己が役割も王家に与えられた使命も忘れてただのお飾りとして君臨する王家に、よもや存在意義などあろうか」

「……お父さまは、そんな王室を変えようとしていた……!」


 ふと、背後から声が聞こえる。

 アリスだ。呪いによってその身を苛まれているにも関わらず、気丈にも立ち上がってガイレルムを真正面から睨み据えている。


「志半ばで没してしまったけれど……その意志は、今もわたしの中に残っているわ……!」

「であったとして、まわりの圧力に負けて王位継承権を放棄するような心弱き小娘に何ができる! 貴様のその脆弱さこそが、弱体したジェノア=レリン王家の象徴ではないか!」

「わたしは……!」


 アリスが王位継承権を持たないのは、やはり圧力やら何やらがあったからなのか。

 特別に何か聞かされているわけではないが、先王ラルスベルグが没してからの彼女の半生は、きっと僕なんかには想像もできないほど醜い政争の中にあったのだろう。


「わたしは……確かに、弱かった……でも、今は違う……今は、覚悟がある……!」


 アリスは重たげに足を引きずりながら、ゆっくりと前に歩みはじめていた。


「たとえ王位継承権がなくとも……そんなことは、関係ない……! わたしは、わたしのやりかたで……かつての気高き王家の姿を……必ず、取り戻してみせる……!」


 そう告げるアリスの瞳には、光が宿っていた。燃え盛るような決意の光だ。

 僕には何が正しくて何が間違っているかなんてまるで判断がつかないが、一方でやるべきことは最初から分かっていた。

 このいけすかないオッサンはぶっ飛ばす。何故なら、僕はアリスの英雄だからである。


「……くくくっ、やはり、ラルスベルクの血筋よ。であるからこそ、やはり貴様を生かしておくわけにはいかぬ」


 刹那、ガイラルフの目つきが変わった。どうやらもうお話タイムは終わりらしい。


「ファリン!」

「分かっている!」


 僕が声をかけると同時に、分厚い氷の壁がアリスの目の前に顕現した。

 次の瞬間、その氷壁に巨大な何かで殴られたかのような穴が穿たれる。貫通こそまぬがれたものの、氷の厚みが足りていなかったらアリスも無事ではすまなかったかもしれない。


「ファリン、アリスを連れて下がってくれ!」

「おまえはどうするのだ!?」

「こんなやつらくらい、僕一人でどうとでもなる!」

「随分と強気だな、小僧」


 僕の啖呵にガイラルフが忌々しげに顔を歪め、その目を不気味に光らせた。

 もう何がくるかは分かっていて、僕は襲いくる見えない真空波を叩き切るようにまっすぐにフェンリルの剣を振り下ろす。確かな手応えとともに僕の前で真空波が両断され、左右に散っていくつかの座席の背もたれを切り裂いた。


「バカな……! 正気か……!?」


 さすがに僕が剣で真空波を斬り裂くとは思わなかったのか、ガイレルムが驚愕にその目を見開いている。

 バカめ。僕を誰だと思っている。ドラゴンすらものともしない最強の勇者さまだぞ。

 ヒュンヒュンと風切り音を鳴らしながらフェンリルの剣を振りまわすと、僕はそのまま炯々と瞳を輝かせてこちらを睨み据える黒狼に向き合った。


「かかってこいよ、犬っころ。次は僕が相手をしてやる」

「身のほどを知らぬ人間風情が! 神の裁きを受けよ」


 黒狼が吼え、それを合図にしたかのように頭上に無数の光の陣が現れる。そして、黒狼の全身から雷撃が迸ると同時に陣がその稲光を反射させ、あらゆる方向から僕の体を狙い撃ってきた。

 トリッキーな真似をしてくる犬だ。だったら、こっちはシンプルにいかせてもらおう。

 僕は腰だめにフェンリルの剣を構えながら雷撃の合間を掻い潜ると、そのまま踏み込みと同時に身を捻り、渾身の力で横一線に切っ先を走らせた。

 黒狼の体躯ではなく、空間そのものを斬る。

 イメージの話ではない。僕にはそれができるという確信がある。そして、その確信は『影響力』を介して目の前の現実に投影される。

 瞬間、迸る雷撃もろとも黒狼の体が真っ二つになった。早すぎる剣閃がそのまま強い衝撃波を生み、灰燼と化した黒狼の亡骸がサラサラと流れる間もなく爆散する。


「な、何なのだ、貴様は……!?」


 ガイレルムの顔にもようやく動揺の色が見えはじめた。

 格の違いを思い知ったか、バカめ。今さら降参しても許してやらないぞ。


「くっ……! だが、それでも貴様に私は殺せまい。私が死ねば、アリスフェルンの命はないぞ!」


 最後の悪あがきとばかりに、ガイレルムが告げる。

 悔しいが、これに関してはたとえハッタリだとしても効果的だった。万が一にでもアリスの身に危険が及ぶ可能性があるのであれば、確かに僕はこの男を殺せない。

 どうせならもう一回くらい思いっきりぶん殴ってやってもいいが、そうしたところでおそらくこの男にはあまり意味はないだろう。どうにもこの男には謎の回復力がある。


「ここまできたら、根比べだ。小僧、貴様が何処まで持つか試してやる」


 そう言って、ガイレルムが再び頭上に手を掲げる。

 すると、もう何度目になるのかすら分からないが、やはり天井付近に巨大な陣が出現して、今度はキマイラが再びその姿を現した。

 さらには立て続けに別の陣も展開されていき、そこからドラゴニュートやゴブリンロードといった亜人系の魔物たちが次々に出現しはじめる。


「な、何なのだ此奴は!? どうしてこのように魔物を召喚できるというのだ!?」


 アリスを伴って後方に退避していたファリンが、異常なこの状況にたまらず声を上げた。

 僕もまったく同感で、これでは破壊することができないコアを相手にひたすら召喚される魔物の討伐を続けているようなものである。


(……いや、実際にそうなのか……?)


 僕は剣を構えなおしながら、自分の中の予感が確信に変わりつつあるのを感じていた。


 ——と、そのときである。


「そろそろ終わりにしましょうか、ガイレルム」


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