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第三九章 勇者イライラ

 ピタリと、刃が首筋に触れるか否かのところでとまった。とめざるを得なかった。

 ガイレルムが勝ち誇ったようにニヤリと口を歪め、怪しくその瞳を輝かせる。

 瞬間、強烈な衝撃波が僕の体を襲い、そのまま数メートルほど後方に弾き飛ばされた。

 肺の中の空気を一気に持っていかれ、僕はその場で激しく噎せこむ。


「エドッ!?」


 ファリンが心配そうにこちらを見やるが、僕は軽く手を上げて無事を伝えておく。

 仮にあの黒狼がかつて倒したことのある相手だったとしても、今のファリンは本来の力を出せる状況ではない。

 こちらに気を取られて怪我なんかでもされた日には、ファリンがそのことを気にしなかったとしても僕が自分を許せないだろう。

 とはいえ、面倒なことになった。このいけすかないオッサンをサクッと始末して終わりだと思っていたが、これだと少なくとも何か別の方策を考える必要がある。


「なかなか秀逸な脅し文句じゃないか。イヴリースは、死の呪いは術者を殺せば消えると言っていたけどね」

「この小娘にかけた呪いが死の呪いと同じものであれば、そうだろうな。私に扱える呪いが一種類だけだとでも思うたか?」

「なら、安心だ。少なくともアリスが今すぐに死ぬことはない。そうだろう?」

「……だとしたら、どうする?」


 ガイレルムの顔色が変わった。

 適当なハッタリだったが、どうやらビンゴのようだ。何でも言ってみるもんだ。

 僕はフェンリルの剣を握ったまま、空いたほうの手で拳を固めて告げる。


「だったらステゴロで勝負だ。さっさと殺されてたほうがマシだったって思わせてやる」

「痴れ者めが……!」


 再びガイレルムの目が怪しく輝いた。だが、そう何度も同じ手をくらうほど僕だって馬鹿じゃない。

 素早く横に跳ぶと、それまで僕のいた空間を真空波のようなものが薙ぎ払っていった。

 聖堂に並べられた長椅子の背もたれが豆腐のように斬り裂かれていき、その斬れ味に僕は思わず口笛を吹いてしまう。避けなければ、僕の胴体が真っ二つだったかもしれない。


「いでよ!」


 さらにガイレルムが頭上に手を掲げると、聖堂の天井付近に巨大な光の円陣が現れ、なんとその中から獅子と羊の頭に蛇の尻尾を持つ巨獣が姿を見せる。

 コイツ、ひょっとしてキマイラか。意思を持たないAAA級の魔物ではあるが、その中でもおそらく最上位に位置するものである。

 というか、魔物を自在に召喚するなんて術なんて、聞いたこともないぞ。この男、マジでいったい何者なんだろう。


「小娘風情が、いつまでも我が雷撃から逃れられると思うまいぞ!」

「くっ……黒狼め……!」


 一方、ファリンのほうも少し劣勢のようだ。

 黒狼の全身から放たれる雷撃は、ファリンの氷術を撃ち落とすだけに飽き足らずその接近すらも阻んでいるようだ。

 このままジリ貧になってファリンがやられてしまうことは避けたい。ここはいったんガイレルムは無視して、彼女の救援に向かうべきか――。


「おっと、そちらに気を取られていてよいのかな?」


 僕の意識が逸れていることを察してか、ガイレルムがほくそ笑むように言う。

 見やると、ガイレルムが膝を折って苦しむアリスの傍らに立ち、その手にアリスが持っていたはずの剣を握って意味ありげな笑みをこちらに向けていた。アリスを人質でも取ったつもりだろうか。

 舐められたものだ。だんだんイライラしてきた。何でこんなワケの分からんオッサンにいいようにされなきゃならんのだ。

 そもそもフェンリルなんて凶悪な魔物がいて、キマイラまで出てきて、おまけにこのタイミングでアリスまで呪いにかけられて、ふざけるのも大概にしてほしい。


「もういい。一つずつ片づけてやる」


 僕は自分に言い聞かせるように呟くと、まずはフェンリルの剣をその場に突き刺した。


「ほう。ここにきて血迷ったか?」


 ガイラルフは訝しむように僕を睨んでいる。もういい、おまえは黙っておけ。

 まずは一つずつだ。一つ目は、このワケの分からんオッサンをぶっ飛ばす。そして、アリスを安全な場所に退避させる。それだ。

 僕は肺の中に空気をためると、右足に力を込めて思いっきり床を踏み抜いた。

 疾駆する。僕とガイレルムの間の距離を、一気に詰める。

 ガイレルムの顔が一瞬で目の前に迫り、その目が驚きに見開かれるより早く、その顔面を思いっきり殴り飛ばす。

 ミシミシと顎の骨が砕けるような感触とともにその体がきりもみしながら飛んでいき、たまたま背後にあった祭壇を破壊しながら奥側の壁のほうまで吹っ飛んでいった。

 まあ、アリスの様子に変化は見られないから、さすがに死んではいないだろう。

 僕はそのままアリスの元まで駆け寄ると、お姫さま抱っこでその体を担ぎ上げ、襲いかかるキマイラの攻撃を掻い潜りながら聖堂の入口まで彼女を運んでいった。この位置なら、僕やファリンの戦闘に巻き込まれることはないはずだ。

 そのままさらに引き返し、床に差したフェンリルの剣を抜き放ちながら、今度こそキマイラに向きなおる。

 一つずつだ。ちゃんと一つずつ片づけていけばいつか終わる。

 僕は呼吸を整えるように深く息を吸うと、両手でフェンリルの剣を握り、獰猛な目つきで飛びかかってくるキマイラを正面から睨み据えた。

 そして、一閃。駆け抜けるように斬り結んだ大上段からの一刀はあっさりとキマイラの体を縦に真っ二つにし、その体が弾けるように灰燼へと帰していく。


(……召喚された魔物……死体を残さず消滅……まさか……)


 ふと、頭の中に本来ならば絶対に有り得ない仮定が思い浮かぶ。いや、今は考えるな。まだ終わったわけじゃない。

 ファリンのほうを見やると、彼女は自分の周りに氷の壁をつくりながらしぶとく黒狼との攻防を続けているようだった。一見するかぎりでは、黒狼のほうが優勢そうだが……。


「その氷の壁も、いつまで持つだろうなぁ!?」


 黒狼はまるで疲れ知らずと言った様子で、全身から雷撃を迸らせながら少しずつファリンとの距離を詰めていく。

 一方のファリンは氷壁の後ろで疲労感の滲んだ顔をしていたが、不思議なことにその手には火の点いた燭台のようなものが握られていた。

 そういえば祭壇の上にそんなものがおかれていたような気もするが、いつの間に手にしていたのだろう。それに、いったいその燭台をどうしようというのか。


「黒狼よ。やはり貴様はあの黒狼なのだな。どうして再びこの世界に顕現したのかは分からぬが……」

「急にどうした。死を目前にして血迷うたか」

「いいや。単に呆れておるのよ。貴様は、また同じ方法で死ぬのおだ」


 そう言って、ファリンは少しだけ周囲に視線をめぐらせた。

 そして、僕が離れたところで見ていることを確認し、さらにアリスが聖堂の入口あたりにいることを確認すると、何故か満足げに頷く。


「どうせなら今回も喰ろうてやりたかったが、贅沢は言うまい。さらばだ」


 それだけ告げると、ファリンは黒狼に向けて燭台を投げつけ、そのまま自分の身を覆うように分厚い氷の壁を展開した。

 瞬間、バンッという激しい爆発音とともに視界が白く染まり、その衝撃に僕は思わず尻もちをついてしまう。あまりの激しい音に耳の奥がキーンとしていた。

 閃光に焼かれた真っ白な視界の中で目をパチクリしていると、やがて少しずつ正常な視界が戻ってくる。

 何が起こったのかはよく分からないが、僕が確認できた時点ではすでに黒狼の頭は消し飛んでおり、その体も崩壊がはじまっているようだった。


「な、何が起こったんだ?」


 サラサラと灰燼に帰していく黒狼の亡骸をぼんやりと眺めながら、疲れたように溜息を吐くファリンに僕が訊く。


「何と説明したものか……氷と雷撃が触れ合うと、可燃性のガスが発生するのだ。彼奴はそれに気づかず我が氷術を雷撃で破壊し続け、その自覚もなく自身のまわりを可燃ガスで満たしていた。わたしはそこに燭台で点火したというわけだな」


 なるほど、分からん。とりあえず、何か頭のよさげな作戦ではありそうだが。


「屋外であれば氷をレンズに太陽光を用いて着火したが、今回はそういうわけにもいかぬゆえ、いかにしようか悩んでおったのだ。幸いにも火そのものがあって助かったが」


 ファリンはそう言って、改めて入口のほうで辛そうにしているアリスのほうを見やった。


「あやつはどうしたのだ。まるで呪いにでも侵されているように見えるが」

「いや、そのとおりだよ。ガイレルムにやられた。死の呪いとはまた違うようだけど」

「そのガイレルムはどうしたのだ? 始末したのではないのか?」

「ちょっと始末できない事情ができてね。ガイレルムは……ほら、あそこ」


 聖堂の最奥、ステンドグラスが埋め込まれた壁の下で、ガイレルムがよろよろとその体を起こしはじめていた。

 口と鼻から激しく出血をしているが、明らかに骨を砕いた手応えがあったわりに顎や鼻が変形している様子はなく、その様相には少し違和感がある。


「なるほど……侮ったわ。イヴリースに与えたはずの呪いをその身に宿し、それでいて壮健である時点で気づくべきであった。貴様、ただイヴリースに遣わされた者ではないな?」


 ガイレルムが忌々しげに僕を睨みつけながらそんなことを訊いてくる。

 僕は肩をすくめ、少しうんざりしながら答えた。


「そもそもイヴリースに遣わされた覚えなんてない。僕は最初からこの呪いを解くためにきたんだ。これ以上、痛い目をみたくなかった僕とアリスの呪いを解いてくれ」

「どうやら、思い違いをしているようだな。この程度で、自分が優位に立ったなどとは思わぬことだ」


 この期に及んでくつくつと喉の奥で笑いながら、ガイレルムが深く呼吸をする。

 そして、ローブの裾で顔の血を拭うと、反対の腕を頭上に掲げた。またしても天井付近に巨大な光の陣が現れ、そこから――。


「……黒狼……!?」


 驚いたことに、先ほどファリンの手によって滅されたはずの黒きフェンリルが、再び陣の中からその姿を現していた。


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