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第三八章 対峙

 聖堂の扉を押し開けた先に待っていたのは、一人の男と一匹の巨獣だった。最奥に設えられた祭壇の前に、まるで司教であるかのように悠然と佇んでいる。

 男はおそらくガイレルムだろう。イヴリースと同じ時代を生きていた人間と考えればそれなりに高齢なのだろうが、こちらもそのわりには随分と若く見えた。

 漆黒のローブを身にまとい、その目は落ち窪んでいるように見えながら炯々たる不気味な光を宿している。野心がそのまま瞳に宿っているような、そんな印象の男だ。

 その隣に座す巨獣は、黒き獣毛を持つ巨躯の狼のように見えた。僕は実際に目にしたことがあるわけではないが、おそらく黒狼と呼ばれる種のフェンリルだろう。

 だが、東の森を縄張りにしていた『黒狼』はすでにファリンによって喰らわれているはずで、だとしたら、この個体はまったく別のものということになるのだろうか。


「イヴリースがやってきたのかと思えば、何だ貴様は……」


 男――ガイレルムは、僕の顔を見るなり眉を潜めながらそう言った。

 この男は死の呪いがイヴリースから僕に移っていたことを知らないのだろう。

 となると、ここまでずっと僕の気配をイヴリースのものと誤認していたのかもしれない。


「感動の再会を期待していたなら申し訳ないね。呪いを解きにきてもらったんだよ、ガイレルム」

「私を知る者……ということは、イヴリースの差し金には相違ないか」


 ククッとガイレルムが喉の奥で笑う。

 のっけからこちらを見下しているようなその笑いかたに、僕はもうほとんど直感でコイツとは絶対に仲良くなれないだろうなと確信する。


「ガイレルム……かつての宮廷に仕えていたあなたが、どうしてこのような真似を……」


 一方、アリスは思うところでもあるのか、沈痛な面持ちでガイレルムに問いかけていた。

 ガイレルムはすぐには答えずにその底しれない瞳でアリスを睨めつけると、ふと何かに気づいたように口の端を歪める。


「その面立ち……そうか。小娘、ラルスベルグの娘だな。まさかこんなところまでのこのこと現れるとは、やはり運命は我が手中にあったか」

「……どういうこと?」

「小娘。貴様の叔父貴はすでに没しだぞ」

「なんですって……!?」

「残された王家の血筋は小娘、貴様のみだ。それも間もなく潰える」

「そんなこと……いえ、待って……」


 ガイレルムの一方的な物言いに、困惑した様子でアリスがたじろぐ。


「あなた、知らないの? それとも、知った上で言ってる? 叔父さまには、ルーファウス王太子という一人息子が……」


 そんなアリスの言葉に、ガイレルムは再び喉の奥でククッと笑った。


「どうせ死にゆく身だ。この国で何が起こっているか、少しばかり話をしてやろう」


 まるでこれから学生相手の講義でもはじめるかのようにそう言って、ガイレルムが祭壇のまわりを悠然と歩みはじめる。

 いちいち癪に障る男だ。アリスが話を聞きたそうにしているので大人しくしているが、正直なところ、僕としては今すぐにでも斬り伏せてやりたい気分だった。

 ファリンのほうも油断してると空気を読まずに飛びかかりかねないし、とりあえず手でも握っといてやるか。


「あっ……ご主人さま……」


 驚いたように振り返ってきたファリンの頬にはすでに朱が差し、その目は何かを期待するように潤んでいる。

 あいにくと期待には答えられそうにないが、相変わらずこっちが心配になるレベルでチョロい犬だな。まあ、そこがファリンの魅力でもあるわけだが。


「確かに、私はかつて王家に仕え、その繁栄を支えてきたと言えるだろう」


 僕が剣呑な眼差しを向けていることなど気にした風もなく、ガイレルムが口を開く。


「そのとき、傍らには常にイヴリースの姿があった。イヴリースは私の才を見出し、私に力を与え、私にこの世界の理を教えてくれた。私とイヴリースならば、ジェノア=レリン王家を未来永劫に渡って豊かで力ある国にしていけると信じていた」

「でも、あなたは力を失った王室に失望して出奔したと……」

「ククッ……そうではない。そうではないのだよ」


 何がおかしいのか、まるで腹でも抱えるかのように体を折り曲げてガイレルムが笑う。

 そして、ゆっくりとその顔を上げると、底意の知れない不気味な笑みを浮かべて言った。


「私が失望したのは、イヴリースにだ。その力の使いかたも知らぬ、哀れな女よ」

「何ですって……?」

「私は何度もイヴリースに問うた。力を失う王家、このまま滅びゆくことが約束された王家のために、どうして我ら才知ある者がかしずかねばならぬのかと。王家などなくとも我らが民を統治すればよい。弱き王家を護る必要などなかろう。そう問うた。だが、イヴリースは頑なに我が意を汲み取りはしなかった」

「そんな……でも、だったら、どうしてあなたは姿を消したの? イヴリースが王室を去ったあとで、貴族院にでも何にでも接触すればよかったじゃない」

「察しがよいではないか。そう。私はイヴリースが出奔したあと、さる貴族家に召し抱えられる形で王室を去った。表向きはイヴリースと同様、王室への失望という体にしてな」

「……ッ!? まさか……」

「この古城はかつて王家が管理していたが、今はヴァレリ公爵家が管理している。貴様が王家の血筋であるならば、その意味は理解できよう」


 アリスの顔から一気に血の気が引いていき、その肩が小さく震えはじめる。

 二人が何の話をしているかなんてさっぱり分からないが、とりあえずアリスがいろいろと衝撃を受けていることは間違いないのだろう。

 すぐにでもその肩を優しく抱いて震えをとめてやりたいところだったが、そのせいでファリンの機嫌を損ねるのも怖いし、さて、どうしたものか。


「今や王家に名を連ね、貴族院すらその手中に収めつつあるヴァレリ公爵家……すべてはあなたが裏で手を引いていたということ……?」

「そう。すべてはこの日のために準備をしてきたのだ。小娘……いや、アリスフェルン、貴様の行方が知れなくなったときは少し肝を冷やしたが、こうして我が前に現れたのは何たる僥倖。おかげで余計な手間をかけずに王家の血筋を根絶やしにできる」

「……まさか、ルーファウス王太子は……!?」

「彼奴は我が子よ。ルドルファスも実に哀れな男であった」

「……貴様ァ!」


 瞬間、激昂したアリスが腰の剣を抜き放ちながらガイレルムに向かって疾駆する。

 おう、マズいぞ。これはちょっと予想していなかった。

 ガイレルムの前にはそれまで大人しくしていた黒狼が立ちふさがり、アリスを迎え撃とうとその牙を剥いている。

 たとえ勇者の《加護》を持っていてレベルもそこそこに高いアリスであっても、さすがにフェンリルを相手にするには分が悪い。

 僕は慌てて彼女の支援に向かおうと床を蹴った――が、ふと、アリスがフェンリルと接触する間際、その傍らでガイレルムが不気味に瞳を輝かせていることに気づく。


「なっ……!?」


 刹那、アリスの動きがとまった。ポロリとその場に剣を落とすと、苦しげに胸をおさえながらその場に膝を折り、額に脂汗を浮かべながら荒い息を吐きはじめる。

 その様子には覚えがあった。僕自身がつい最近体験した、呪いに体を苛まれる症状だ。


「ファリン!」

「分かっている!」


 僕の呼びかけにファリンが飛び出し、そのままアリスに襲いかかろうとする黒狼に向けて氷術を放つ。それと同時に、僕はガイレルムに向かって一直線に突進していく。


「黒狼! 何故、貴様が生きている!」

「何故、だと? まるでわたしが死んだかのような口ぶりだな!」


 ファリンが宙空に無数の陣を出現させ、そこから雨のごとく無数の氷柱を打ち出して黒狼を責め立てる。

 一方の黒狼はその獣毛を逆立たせ、その身から稲光のようなものを発して迫りくる氷柱を撃ち落としていた。どうやら体毛の色によって得意とする属性も異なるらしい。

 というか、この黒狼は、かつてファリンが喰らった『黒狼』と同じ個体なのだろうか。少なくとも、ファリンの目にはそのように見えているようだが……。


(……いや、今はそんなことより、このガイレルムとかいうオッサンだ)


 気にはなったが、いったん気持ちを切り替える。

 どのみち、この男を始末すればあとは消化試合のようなものだ。仮にアリスが死の呪いに侵されていようとも、彼女の命が潰える前に終わらせてしまえば何も問題はない。

 僕は疾駆しながら腰からフェンリルの剣を抜き放つと、そのまま真っ直ぐにガイレルムの首許に切っ先を滑らせ――。


「私を殺せば、小娘も死ぬぞ」


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