「死を間際にして、本能的に人化という手段を取ったのだろうが……」
人の姿に戻ったファリンが、すっかり戦意喪失して泣きじゃくる『紅き眠り竜』を見下ろしながら言った。
「もう完全に心が折れているようだな」
力なく溜息を吐き、そのまま少し遠い目をする。
「わたしにも覚えがある。自分こそが最強だと疑いすらしていなかった中、突然に訪れる死の恐怖。あのときはわたしも三日三晩、孤独に泣きぬれたものだ」
そ、そんなにか。だとしたら、この女性もこのまま三日三晩は泣き濡れるのだろうか。
というか、『紅き眠り竜』も雌だったというのは意外だった。あるいは魔物自体に実は性別という概念はなく、人化の際に女性になるという法則があったりするのかもしれないが。
「でも、どうしよう。こうなると、とどめを刺すのはかなり躊躇われるんだけど」
「放っておけばよかろう。この問題は、自分で決着をつけねばならぬことだ」
「放っておいて、君みたいにまた僕の命を狙ってくるようになられても困らない?」
「ぬ……それはまあ、確かにそうだが……」
さすがにファリンでも、レッドドラゴンにストーカーをされ続けるような状況はさすがに受け入れ難いらしい。かつての僕の気持ちを少しは察してくれただろうか。
「ぼ、ボクも従魔にして……」
――と、女性が長い前髪の隙間から金色の瞳で僕を見上げ、そのまま僕の足にすがりつくようにまとわりついてきながら言った。これはまた随分と藪から棒な話だが……。
「従魔になるから、ボクを殺さないで……何でも言うこと聞くから……」
「ぬう。よほど死の恐怖が鮮烈だったようだな」
ファリンが再び溜息を吐きながら呟く。
つまり、これはある種の命乞いということか。あの高慢ちきな『紅き眠り竜』がここまで大人しくなるなんて少し想定外だが、フェンリルだけでなくドラゴンまで従魔にできるなんて控えめに言っても最高だし、本人がそれを望むなら願ってもないことではある。
それに、人化した『紅き眠り竜』はその情けない言動に反して美貌のお姉さんといった風貌をしており、僕のまわりにはいそうでいないタイプでもあった。ファリンとはある意味で好対照な雰囲気だし、二人合わせて両手に花なんてことになるのであれば、これほど僥倖なことはない。
「ぬっ! おまえ、またそうやって鼻の下を伸ばして!」
ファリンが僕の表情の変化に目ざとく気づき、もの凄い目つきで睨みつけてくる。
しかし、こんな千載一遇のチャンスを前に、僕だって素直には引き下がれなかった。
「レッドドラゴンを支配下におけるなんて、またとないチャンスだよ」
「そ、それは……いや、そもそもあれは単なる偶然で、本当におまえに魔物を従属させる力があると決まったわけではない!」
「ものは試しにやってみればいいじゃない。別に減るもんじゃないんだし」
「へ、減る! 減るもん! だ、だいたい、本当にこやつを従魔にする気か!?」
「だって、僕にデメリットはないし」
「わ、わたしの気持ちはどうなる!? 勇者エドワルドは、わたしだけのご主人さまではなかったのか!?」
「君のご主人さまは、これまでもこの先も僕だけだよ」
「そ、そういうことではない!」
ファリンはなかなか納得してくれなかった。
もう面倒くさくなって、僕は彼女の体を無理やり抱き寄せると、柔らかいその髪に鼻先を突っ込みながら耳のつけねあたりに優しくキスをする。瞬間、ファリンの体がビクンと跳ねて、全身から力が抜けていくように僕の体にしなだれかかってきた。
さらに僕はファリンの顎に手をかけてクイッと持ち上げると、そのまま震える彼女の唇に深く口づけをする。ファリンの体がひときわ強く跳ねて、驚くように見開かれていた瞳が熱に浮かされたように細められていく。
「心配しないで。ちゃんと終わったらファリンの相手もたっぷりしてあげるからさ」
鼻先同士を触れ合わせるようにファリンの瞳を覗き込みながら言うと、何を思ったのか今度は彼女のほうから深く深く唇を重ねてきた。そのままたっぷりと僕の唾液を味わって、舌先から糸を引かせながら潤んだ瞳で訴えてくる。
「ほ、本当? 本当に? さっきお預けされたこと、忘れてないんだから……!」
相変わらずのチョロ犬っぷりに、もはやある種の愛おしさを感じるくらいだ。
僕は答える代わりにそんなファリンの額に軽くキスをすると、改めて人化した『紅き眠り竜』に向きなおる。
「従魔にしてくれるの……?」
「そうだね。でも、そのためには君にも協力してもらわないと」
「な、何でもする……ボクができることなら……」
「じゃあ、まずは君の『名』を知りたいな」
「あっ……レ、『レザリア』……」
意外とあっさり教えてくれた。どうやら命乞いの振りをして僕を謀っているわけでもないらしい。
彼女がそこまで本気なら、僕もそれなりに誠意を見せる必要がある。
「いい子だ、レザリア。おいで、君を夢の世界に連れて行ってあげるよ」
「夢の世界……?」
「ご主人さま、終わったら、ちゃんとわたしのことも相手してくれなきゃダメなんだから……」
僕の体から離れようとしないファリンはそのままに、僕は優しく『紅き眠り竜』——レザリアの体を抱き寄せる。