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第二八章 紅き眠り竜

「……ヒトのねぐらで何してんのさ」


 ——と、そのときである。

 何処からか大地を鳴動させるような不思議な声が聞こえてきた。


「おかしな気配が二つもあると思って久々に目を覚ましてみれば、マジで何してんの? まとめて食べてもいい?」


 薄闇の中からドシンドシンと重々しい足音を響かせながら、それはゆっくりと僕らの眼前にその姿を現した。

 言葉の軽さに反して、その姿はあまりに雄々しい。見上げるほどの巨躯に、薄闇の中で燐光をまとう紅い鱗、長い首をもたげながらこちらを見下ろすその瞳は金色で、薄く開いた顎からは呼気とともに仄かに炎が漏れ出ている。

 レッドドラゴン——『紅き眠り竜』だ。まさか向こうのほうからこちらに顔を見せてくれるとは。ドラゴンの表情なんて分かりはしないが、眠りを妨げられたせいか少し怒っているようにも見える。


「や、やあ、久しぶり」


 僕は恐るべき眼光でこちらを見下ろす『紅き眠り竜』に、ひとまず当たり障りのない挨拶する。こうして相対するのは実に一年ぶりくらいだろうか。


「これがドラゴン……」


 ファリンもさすがにデレデレしている場合ではないと判断したらしく、僕から離れて臨戦態勢をとっている。

 人化をしているとはいえフェンリルとドラゴンが対峙するなんてのは前代未聞な光景だと思うのだが、この状況をその道の学者さんが見たらいったいどんな反応をするのだろう。


「……今まで何してたの?」


 『紅き眠り竜』がその顎から火の息吹を漏らしながら僕を睨みつけてくる。どうにもファリンのほうにはそこまで興味がないらしい。

 とはいえ、その質問の意図も僕にはいまいち理解できないし、さて、どう答えたものか。


「冒険者ギルドの依頼とかこなしながら、テキトーに過ごしてたけど……」

「ボクの討伐依頼はなかったわけ?」

「え? いや、あったんじゃないかな? もう長らく誰も受けてないようだったけど」

「なんで受けなかったの?」

「ええっ? だ、だって、準備に手間も暇もかかる上にけっきょく倒せないし……」

「ふーん……」


 僕の答えに『紅き眠り竜』はその眼を細めると、喉の奥で低く笑いはじめ、それに共鳴してか洞穴の床や天井がビリビリと震えた。


「そうか。つまり、君は逃げたわけだ」


 頭上から僕を見下ろしながら、『紅き眠り竜』が馬鹿にでもするかのように告げる。


「やっぱり、ボクは最強だ。君との戦いは退屈しのぎにはなったけど、あの程度で諦めるなんて失望したよ。この先、もっと強くなればボクのライバルになってくれるかもと思って見逃してあげてたけど、もうその必要もなさそうだね」


 細められた眼の奥に剣呑な光が宿り、薄く開かれた顎の奥でその牙が不気味に輝く。背筋にゾワリと悪寒が走り、気がつけば僕の手は長剣に伸びていた。


「その口ぶりだと、まるで今まで手加減してくれてたみたいだけど?」

「当たり前だろう? 人間ごとき矮小な存在に、竜であるボクが本気を出すと思う? 退屈な世界に少しでも刺激があればと思って目にかけてやったのに、期待を裏切られてがっかりだよ」

「そいつはご愁傷さまだね。ところで、今回は君の血が欲しくてここまできたんだけど、分けてもらえたりするかな?」

「欲しけりゃ無理やりとってごらんよ。その代わりに、今回ばかりは君にも血を流してもらうことになるけどねぇ!」


 そう言った瞬間、『紅き眠り竜』の首が蛇のように伸びてきて、僕の体にその鋭い牙を突き立ててくる。僕はすぐさま長剣を抜き放ち、その一撃を迎え撃つように一閃するが――。


「んげっ!?」


 ギィン! ――と、激しい金属音がして、ボッキリと長剣が根本から折れてしまった。幸いにも『紅き眠り竜』の噛みつきを逸らすことはできたが、まさか初手から長剣を折られてしまうのは想定外だ。


「エドッ!」


 しかし、今回ばかりはいつもと状況が違った。少し離れたところから声がして、そちらを見やると、ファリンが自分の腰に差していた細剣を鞘ごと外し、それをこちらに投げてよこしてくる。

 使え、ということだろうか。慌てて受け取ると、今度は不思議なことに、僕の手の中でその細剣が光を放ちながら変容していく。


「これは……!?」

「それは我が魔力の結晶! 人の身に扮する上で飾り以上の意味はなかったが、おまえであれば役立たせることもできよう!」


 光が収まったとき、細剣であったそれは片手半剣ほどのサイズの長剣になっていた。身幅のある純白の刀身は薄暗い洞穴の中においても仄かに燐光を放っているように見え、鍔には狼を模した意匠があしらわれている。

 さしずめフェンリルの剣といったところだろうか。コイツはよく斬れそうだ。


「おまえ、やっぱり人間じゃないな?」


 ファリンの正体に感づいたのか、『紅き眠り竜』がその首を彼女のほうにめぐらせる。


「エド、わたしを元の姿に!」

「分かった!」


 言われるままに僕が念じると、即座にファリンの体が光の渦に包まれ、再び本来の魔狼の姿に変化する。その姿は人間と比較すれば明らかに大きいが、しかし、眼前に対峙するドラゴンと比較するとさすがにその差は歴然だった。

 とはいえ、体のサイズが勝負を決めるのであれば、そもそも僕だってとっくに『紅き眠り竜』に喰われてるし、ファリンとだって勝負になってなかったはずだ。

 僕にもついに真っ当な武器が手に入ったし、ファリンという頼りになる相棒もいるし、たとえドラゴンが魔物として最強の種であろうと、今回ばかりは本気で負ける気がしない。


「フェンリルとは驚いた。人間ごときに尻尾を振るなんて、所詮はカラダのデカい犬だったってことかな」

「痴れ者が! 有象無象の人間なればいざ知らず、我が盟主を侮辱する者はたとえ神であろうと断じて許さぬ!」


 ファリンが吼えると同時に周囲の床が凍りはじめ、その凍った地面から巨大な氷柱が次々に出現して『紅き眠り竜』に襲いかかる。しかし、『紅き眠り竜』は低く笑ってその顎から灼熱の吐息を吐き出すと、逆に今度は周囲を紅蓮の炎で埋め尽くしてしまった。


「小癪な!」


 もちろん、それで一方的にやられるファリンではない。次に彼女が頭上に向かって遠吠えをすると、それを合図に無数の円陣が宙に浮かび上がり、そこから次々に氷塊が出現して『紅き眠り竜』を狙い撃つとともに、瞬く間に周囲の炎も消し去っていく。

 まさに巨獣大決戦といった状況である。『紅き眠り竜』はすっかりファリンの相手に気を取られており、僕のことなど忘れてしまったかのようだ。この隙に、僕は僕でファリンからもらった剣の試し斬りでもさせてもらうとしよう。


「鬱陶しいんだよ!」


 翼撃と尾撃で絶え間なく襲いくる氷塊を器用に打ち払いながら、『紅き眠り竜』が吼える。その声には何処か苛立ちのようなものが感じられるあたり、本人的にはもっと簡単に決着が着くものと思っていたのかもしれない。

 僕の認識でもフェンリルとレッドドラゴンならさすがに種族的な強さは後者に軍配が上がると思っていたのだが、端から見ている分にはほとんど互角のように感じられた。あるいはファリンの個体としての能力がそれだけ高まっているということか。


「ドラゴン種も、いざ対峙して見れば大したことはないものだな!」

「デカい犬ごときが、舐めた口をきくんじゃないよ!」


 ファリンの挑発に、『紅き眠り竜』がいよいよ怒りのままに飛びかかっていく。もう完全に僕のことなんか眼中になさそうで、僕はその隙を突いて『紅き眠り竜』の背後にまわる。


「調子に乗って! おまえなんか喰ってやる!」

「喰らわれるのは貴様のほうだ!」


 獣同士の闘いのように、互いの首許を狙って二体の巨獣がその鋭牙を閃かせる。

 僕はその隙を突いて――。


「……ギャッ!? な、なんだっ!?」


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