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第二六章 与えられし役目

「随分とまたたっぷりと女の匂いをつけてきたものだな」


 扉を出たすぐ先には半眼になったファリンが待ち構えていた。ただ、僕の顔色があまりにもよくないことを察してか、いつもに比べれば怒りかたが少しマイルドな気がする。


「あとで君の匂いで上塗りしてくれよ」

「ぬっ……そ、そんなことは当然だ。おまえがどのような匂いをつけて戻ろうと、最後は必ずわたしの匂いに染まろう。ふん、よく分かっているではないか」


 そんなことを言って、プイッとファリンがそっぽを向く。

 このあたりのチョロさは相変わらずのようだ。今はむしろこんなファリンこそが僕にとっての真の癒しなのではないかとすら思えてくる。

 というか、どうにも各部屋とリビングでは時間の流れが異なっているらしく、かなり長いこと拘束されていたわりにはこちら側にそれだけの時間の経過を窺わせる変化は感じなかった。僕の感覚では三日くらい奴隷のように搾り取られていたのではないかと思うのだが。


「エドワルド! よかった、少し心配したわ」


 アリスも僕が戻ってきたことに気づいたようで、座っていたロッキングチェアの上から身を捻ってこちらに顔を向けながらも安堵の吐息を漏らしていた。

 もう一脚のほうにはイヴリースが座って本を読んでおり、こちらはすっかりくつろいでいるように見える。まあ、部屋の中で何が行われていたかくらい、彼女は最初から察していることだろう。


「……その、わたし、まだよく分かっていないのだけれど、レベルとか、死の運命とかっていうのは、どういうことなの?」


 ふと、アリスが僕とファリンのほうを交互に見やりながら訊いてくる。

 そういえば、彼女には僕たちがそもそも何を目的に旅をしていたのかちゃんと話していなかったか。死の呪いについてもファリンは何故か察しているようだが、アリスからすれば何の話をされているのかさっぱり分からないことだろう。


「実はね……」


 ひとまず僕はシキルによってレベルを奪われていたこと、そのレベルを取り戻すために呪いの発生源を探していたら偶然にもこの森だったこと、そして、レベルは取り戻したけど何故か今度はイヴリースに死の呪いをかけられたことを説明した。


「ええっ……!? そ、そんな……い、イヴリース、どうしてエドワルドにそんな真似を……!?」


 アリスが勢いよくロッキングチェアから立ち上がり、傍らのイヴリースに詰め寄る。

 一方のイヴリースは口の端に薄く笑みを浮かべるだけで、その視線は手元の本に残したままに答えた。


「勇者エドワルドには果たすべき役目があり、それはまだ終わっていません。それに、死の呪いと言ってもすぐに死ぬわけではありませんよ。あなたの叔父上だって、未だご健在でありましょう」

「そ、それは……あなた、叔父上の呪いについても何か知っているの?」

「もちろん、存じていますよ。国王にかけられた呪いも、その呪いをかけた者も、そして、その者が裏で何を考えているのかも」

「であれば、今からでもあなたの力で叔父上を……」

「であるからこそ、その必要はありません。国王の生死はこの国の未来にとって些末な事象でしかありませんから。それよりもアリスフェルン王女、あなたの御身のほうが大切です」

「わ、わたし……!?」


 イヴリースが本を閉じ、それを膝の上に乗せながらゆっくりとアリスの顔を見上げる。

 その瞳は相変わらず底知れぬ闇を湛えていて、言葉だけではその裏にどんな真意が秘されているのかまるで検討もつかない。


(というか、僕の役目ってなんだ……?)


 話の腰を折るのも気が引けたので、ひとまず僕は自問する。

 そう言えば、イヴリースは少し前に僕がこの王国の未来を照らす光であるような発言をしていたが、まさか僕にこの王国を窮地から救えとでも言うつもりではあるまいな。


「エドワルドと魔狼が竜の血を求めに向かう間、あなたはこの森で身を隠すとよいでしょう」


 二人の会話は続いている。

 どうやら僕が竜の血を取りに行くことはすでに決定事項であるらしい。


「身を隠す……? まるで、わたしの身が狙われているみたいな言いかただけれど……」

「ふふっ……あなたはこの国の未来そのもの。その身に課された運命にもいずれ気がつくことでしょう。ですが、それは今ではありません」


 イヴリースが静かに笑い、それからゆっくりとその顔をこちらに向けた。


「シキルはどうしていましたか?」

「えっ……さすがに疲れて寝ちゃったみたいだけど」

「そうですか。我が弟子ながら自由な子です。仕方ありません、竜の棲まう地への道はわたしが開きましょう」


 表情は変えずに溜息を吐きながら、イヴリースがその視線を部屋の奥の扉に向けた。

 その瞬間、再び部屋の扉が勝手に開いたが、何故かその先に見えるのはイヴリースの部屋ではなく、薄暗い洞穴のような光景だった。


「なっ……いったいこの家はどうなっておるのだ……?」


 ファリンが開いた扉の奥を覗き込みながら、驚愕したようにその目を見開いていた。


「片道ですから、帰りはあなたがエドワルドをここまで連れてきてください。あるいは、そのときにはもう別の手段を手に入れているかもしれませんが」

「どう言う意味だ?」

「そのときになれば分かることです」

「ぐっ……生意気な人間め……」


 ファリンがイヴリースに剣呑な眼差しを向ける。鼻の効く彼女が人間というからには、少なくともイヴリースについては間違いなく人間であるらしい。しかし、これだけ好き放題されていながらファリンが大人しくしているということは、少なくとも人化している今の状態では厄介な相手であるという認識なのだろう。

 何にせよ、竜の血を取りに行く流れは避けられなさそうだ。ひとまずレベルも戻ったわけだし、慣らしがてらひと暴れするのも悪くないか。


「わ、わたしは一緒に行ってはいけないの?」


 扉に向かって歩き出した僕たちの背に、アリスの声が響いてくる。振り返ると、アリスはイヴリースのほうに顔を向けながらも横目でチラチラと僕らの様子を窺っていた。


「アリスフェルン王女、お気持ちはお察しいたしますが、今しばらくこの地でお待ちください。すでに王室つきの術師たちが本格的にあなたの捜索をはじめています。この地にいれば、たとえ彼の者たちの力でもあなたを捕捉することはできません」

「そ、それは……でも、いずれはわたしも王宮に戻らなくてはならないだろうし、そのことに何か問題があるの?」

「はい。僭越ながら、この先もあなたが王宮に戻る必要はないと申し上げておきましょう」

「……まさか、最初からあなたの目的は、わたしをこの地に呼び出すことだったとでも?」

「それだけではありませんが、それも大きな目的の一つです。間もなくすべての因子は揃うでしょう。二人がこの地を離れたら、少しお話をいたしましょうか」

「話……?」

「この国の未来の話です。あなたがあの夜に抱いた『覚悟』がこの先の未来に何を及ぼすのか、少しだけその話をいたしましょう」

「……っ!?」


 アリスが驚いたように息を飲み、そのまま後ずさるように自分が座っていたロッキングチェアにポスンと腰を下ろす。ギィッと座面の揺れる音がして、アリスが少し困惑した顔でこちらに顔を向ける。


「ごめんなさい。わたしはここに残らなければならないみたい」

「かまわぬ。どうせ貴様がいたところで邪魔になるだけだ」


 フンッと鼻を鳴らしながら、ファリンが開いた扉の先に出ていってしまった。

 そういえば、けっきょくアリスが勇者としてどの程度の強さを持つのか目にする機会はなかったな。少なくとも、この三日間の旅の道程においては、ファリンよりよほど役に立ってくれたとは思うが。


「すぐ戻ってくるよ」


 僕も軽くそれだけ言って、ファリンのあとを追った。


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