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第二三章 予言の魔女

「こっちだな」


 森の中に入ってからは、ファリンが僕らを先導してくれていた。彼女は当初から言っていたように僕の呪いの発生源を匂いで感じ取れるらしく、とくにこの森に入ってからはそれを強く感じているらしい。

 樹齢何年と知れない巨木の数々とそれらが織りなす枝葉の天蓋によって森の中は昼間だというのに薄暗く、ランタンの明かりとアリスが灯してくれた魔術による光源がなければ視界の確保も難しい。そんな森にあってもやはりファリンには何もかもが見えているらしく、迷うことなく森の奥へ奥へと進んでいく。


「ぬ……」


 やがて、少し開けたところに出ると、その奥に家屋のようなものが建っているところが見えた。苔むした石造りのその家屋は、窓からほんのりと明かりが漏れい出ており、中に人が住んでいることを窺わせる。


「あそこだ」


 僕が訊くまでもなく、ファリンが言った。ここまで長かったようなそうでもないようなよく分からない感じだが、ともあれ、ようやく僕のレベルを奪った付呪師と再会である。アリスの言う『予言の魔女』が同一人物であるかどうかまでは分からないが、ひとまずは挨拶といこうじゃないか。


「いきましょう」


 アリスに促され、僕たちはできるだけ物音を立てないようにしながら扉のあるほうへと近づいていった。

 ノックをすべきか少し悩んだが、場合によってはすでに向こうが僕たちの存在に気づいている可能性もある。それに、下手にノックをして逃げられでもしたら面倒だし、ここは遠慮などせず一気に中に突入すべきだろう。もちろん、アリスの立場からしたらあまり荒っぽいことはしてほしくないだろうが……。

 ともあれ、僕は扉に手をかけると、そのまま勢いよく引き開けて中に足を踏み入れ、何が飛んできてもいいように腰の長剣に手をかけながら室内の状況を即座に確認する。

 家屋の中は何部屋かに分かれているようで、入ってすぐのところはどうやらリビングにでもなっているようだ。真ん中に少し大きめのテーブルがあり、奥には暖炉のようなものも見える。左右の壁には棚があり、そこには書物であったり不思議な光を放つ石や植物が飾られていた。

 暖炉の前にはロッキングチェアが二脚ならんでいて、そのうちの片方に一人の女性が座っている。その女性は驚いたように目を見開いてこちらを凝視していたが――おそらく彼女を見る僕のほうも、同じくらい目を見開いていたことだろう。

 その理由は二つあった。一つはその女性がいつかの夜にメイガスで一夜を共にした女性であったこと。もう一つは、その女性が何故か今まさに自分を慰めている真っ最中だったことである。


「あ、あ、ウソ、勇者……さま……?」


 女性は震える声で呟きながら、しかし、何故か手の動きはとめなかった。

 青みがかった銀髪はあまり手入れがされていないためかボサボサで、群青色のその瞳は驚き戸惑うようにこちらを見つめている。

 化粧っ気もなく飾り気もないが、それでも何処か人形じみた美しさを持つ不思議な雰囲気の女性である。ただ、今のこの状況はそれを差し引いても少し異常ではあるが。


「ま、幻……? つ、ついに幻覚まで見えはじめたの……?」


 暗灰色のローブの裾をたくし上げ、その中に両手を差し入れたまま熱っぽい視線で女性が僕を凝視する。

 どういった事情かは分からないが、彼女には僕が実在していないものと思われているらしい。な、何故だ。


「あ、あの、お久しぶり……?」


 僕もすっかり混乱してしまって、とりあえずそんなふうに声をかけてみる。

 そこでようやく僕が幻覚でないことを悟ったのか、女性は手の動きをとめるとともにガタッとその場から立ち上がり、おぼつかない足どりでズルリズルリとこちらのほうに歩み寄ってきた。


「あ、ほ、ホントに勇者さま……?」


 女性がまだ少し指先がヌラヌラとしている手をこちらに差し伸ばしてくる。

 状況が状況ならそのまま押し倒しているところだが、さすがに今がそのときでないことくらいは分かっていた。僕だっていちおうそれくらいの空気は読む。


「ああ、ああ、やっと、やっと参られたのですね。お待ちしていました。ずっとこの地であなたさまをお待ちしておりました……」


 熱に浮かされたかのように女性が言った。そして、その少し湿った手で僕の手をとってくると、そのまま何を思ったのか自分の顔に押し当ててくる。

 その瞬間、何を察したのかしらないが、ものすごい勢いでファリンが割り込んできた。


「離れよ! 我らは貴様から勇者エドワルドの奪われたレベルを取り返しにきたのだ! 命が惜しくば今すぐこの男の呪いを解呪せよ!」


 ピシャリと女性の腕を跳ねのけ、剣呑な眼差しで睨みつけながらファリンが吠える。

 その瞬間、周囲一体の空気が比喩ではなく一気に下がり、足下から部屋の壁に至るまでが一瞬で氷の膜に覆われていった。


「落ち着きなさい」


 しかし、女性はとくに焦った様子もなく、掌を天井に翳すような仕草をしてみせる。

 すると、あっという間に周囲一帯を覆っていた氷の膜が霧散していき、部屋を満たしていた冷たい空気も消え失せていく。


「なっ……!?」


 驚いたのは、ファリンである。

 僕なんかはそもそも状況についていけていないから最初っから驚きっぱなしだが、ファリンからすれば自分が放った術をあっさり打ち破られたようなものだろうし、その衝撃は僕たちが感じているものの比ではないだろう。


「あなたは『白銀の魔狼』ですね。あなたが『黒狼』を喰らってくれたおかげで、この森も随分と平和になりました。まさかあなたと勇者さまがこのような形で共にこの地を訪れるとは、これもまた運命なのでしょうか……」


 言いながら、女性は再び僕の手を取ってくると、またしても自分の顔に押し当てて愛おしげに頬をこすりつけたり匂いを嗅いだりしはじめる。


「ああ、勇者さま……あの一夜以来、どれほどこの日を待ち侘びたことでしょうか……でも、あと少しの我慢……まだあなたさまにレベルをお返しするわけにはまいりません」

「ど、どういうこと?」


 僕はもう完全に混乱してしまって、そう聞き返すことしかできなかった。

 彼女が僕のレベルを奪ったことは間違いなさそうだが、この様子だと最初から返す前提で僕のレベルを奪ったようにも聞こえてくる。あるいは僕をこの地に呼び込むためだけに、そんな手の込んだ真似をしたとでもいうのだろうか。


「アリスフェルン王女……」

「えっ?」


 今度はアリスのほうに女性がその視線を向けた。

 相変わらず僕の手を弄び続けてはいるが、そのままアリスに向けて語りはじめる。


「よくぞ無事にこの地まで辿り着いてくれました。あなたのこれまでの行いすべてが、この国の未来へと繋がっていくことでしょう」

「で、では、あなたが……!?」


 アリスの目が驚愕に見開かれる。

 ということは、やはり僕に呪いをかけた女性と『予言の魔女』は――。


「いいえ、わたしではありません」


 しかし、女性は僕の手を頬に押し当てたままモゾモゾと首を振った。

 そろそろ離してくんないかな……。


「わたしのことはイストリエとお呼びください」


 女性――イストリエがアリスを見つめながら言い、それから僕の顔を見上げ、ずっと頬にあてていた僕の手を裏返すと、その手の甲にキスをしてきた。

 瞬間、またしてもファリンが反応し、横から僕の手を奪い取っていく。


「貴様! 先ほどから何なんだ!」

「魔狼よ、説明は不要でしょう。あなたがそうであったように、わたしもまた勇者さまに狂わされているのです。ああ、勇者さま……どうかお召しものの一つでもよいので、わたしにお貸しいただけないでしょうか」

「ええ……?」


 イストリエが懇願するように言うので、僕はひとまずそれまで身につけていた外套を脱いで彼女に差し出した。


「ああ、ああ、なんと芳しき香り……! ありがたき幸せにございます、勇者さま……今しばらく、この香りで自らを慰めるとしましょう……」


 そ、そういう用途で使うの!?


「い、いったい何なのだ、貴様は……!」


 ファリンもすっかり困惑した様子で、イストリエを睨みつけている。

 ただ、その体は僕の背後に半分ほど隠れていて、さすがに彼女もこの意味不明すぎる女性の言動には少し恐怖心を感じてきているらしい。


「言ったでしょう。わたしはイストリエ。ただ血に飢えるだけの名もなき悪魔。わたしのことはよいのです。どうか奥の部屋にて、我が師とお会いください」


 イストリエが僕の外套に顔を埋めたままススッと身を引き、それと同時に部屋の奥に見える扉が勝手に開く。


「アリスフェルン王女、あなたさまのお役目はここまでです。よければこれから一緒に互いを慰め合いませんか?」

「えっ……ええっ!?」

「魔狼よ、あなたもこちらにきなさい。勇者さまの外套はとてもいい香りがしますよ。そうだ、よろしければお二人の血も少し分けていただけませんか?」

「ほ、本当に何なのだ、貴様は……!」


 ファリンとアリスが困惑ぎみに互いの顔を見つめある。

 しかし、イストリエは気にした様子もなく先ほどまで自分が座っていたロッキングチェアまで戻ると、そのまま本当に僕の外套の匂いを嗅ぎながら自身を慰めはじめてしまった。

 もうまったくわけがわからないが、ひとまずこの女性に僕らの常識は通用しないことだけは確かなのだろう。どのみち、ここまできて今さら引くわけにもいかないし、こうなったらもう流れに身を任せるより他ないか。

 僕はひとまずファリンとアリスをその場に残して部屋の奥に向かうと、開かれた扉の先に足を踏み入れる。そこは誰かの私室のようで、そこまで広くない空間の中に飾り気のない衣装棚と使われているのかどうかも分からない古びた化粧台、それから大小の本棚とやけに柔らかそうなベッドが設えられていた。

 部屋の中央にはまたしてもロッキングチェアがあり、そこにイストリエが着ていたものと同じものと思われる暗灰色のローブを着た女性が座って本を読んでいる。


「よくぞ参られました、勇者エドワルド」


 女性が本から目線だけを上げて言った。

 床にとどくかと思うほど長く艷やかな黒髪に、闇を塗り固めたかのような深く暗い瞳をした不気味な女性である。その肌は蝋燭のように白く、まるで色のない写真を見せられているかのように生気を感じない。

 それでいて、何故か僕はこの女性を見た瞬間から自分でも驚くほど胸の奥がざわめくのを感じていた。まさに『抱きてぇ!』という衝動である。

 シラフでこんなふうに感じるのは初めての経験かもしれない。そうでなくとも、今の僕は限りなく空っけつに近い状態のはずなのだが。


(何か魅了の術でも使われてるのか……?)


 そう訝しむレベルだった。自然と呼吸が荒くなっていくのを感じる。


「言葉は不要です。さあ、こちらへ」


 女性は読んでいた本を無造作に床の上に落とすと、そのままロッキングチェアから立ち上がり、スルスルとローブを脱いで一糸まとわぬ姿となった。そして、嫋やかな足どりで部屋の奥にあるベッドのほうまで歩いていき、その縁にそっと腰を下ろしながら僕の顔をじっと見つめてくる。

 女性の裸なんて見慣れているはずなのに、僕は自分でもびっくりするからいその姿から目が離せなくなっていた。綺麗だとか、抱き心地がよさそうだとか、そういう次元の話ではない。何故か僕の意識とはまったく別のところで、とにかくその体に触れたいという衝動だけが襲いかかってくる。

 気づけば部屋の扉もしまっていて、外の音も聞こえない。女性はベッドの縁に座ったまま僕を迎え入れるように両腕を広げており、よく見るとその胸の谷間に紋様状の痣のようなものが浮かび上がっていて、そこだけが赤黒く明滅していた。

 いつの間にか女性の口許にいつの間にかうっすらと笑みが浮かんでいて、その色の薄い唇がポツリと告げる。


「わたしはイヴリース。あなたを導く者。さあ、まずはあなたのすべてを見せてください」


 その言葉は、呪詛のように僕の脳を焼いた。気づいたとき、僕はもう胸当ても服も脱ぎ捨てていて、まるで獣のように女性の――イヴリースの体に襲いかかっていた。


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